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新井白石翁

2007年02月23日 | Blog徒然草
新井家は上総国の小藩、久留里藩の藩主、土屋利直に重用されたが、その死去の後は、後継の頼直から疎まれ、白石19歳の時、浪人となった。長く不遇の身をかこち、37歳のとき(1693)、甲府藩主・徳川綱豊の侍講として出仕したことがきっかけとなり白石の才能が世に用いられることとなった。江戸時代の平均寿命が40歳前後だったことを考えると随分な遅咲きだったことになる。
彼の正徳の治にはいろいろ議論もあることは承知だがここで特筆したいのは彼の使命感の強さである。
うだつがあがらない浪人生活の折、近所で有名な美人の娘で、裕福な商家への婿養子の縁談があったのだが、先祖代々の弓矢の道を捨てて商人になることはできない、自分の存在意義は苦しくても学問を修め天下国家に奉ずることだとして縁談を断ったのだそうである。僕のようなインチキ学徒には耳の痛い話である。
それにしても昔の人は気持ちが一途だ。我が身の縮む思いである。
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