音楽ファンのみなさま、お待たせいたしました。
やっと、グラナダ国際音楽舞踏祭のレポートをアップです。
ちなみに、「第1夜」というのは、僕たちが観た第1夜ということで、音楽祭自体は、6月の終わりから始まっていました。
ロンドンシンフォニー&バレンボイムなんかも来てましたよ。
写真暗くてごめんなさい。
地元の人々がおしゃれをして三々五々集まってきます。夜の10時過ぎです!
↑の建物が「カルロス5世宮殿」です。外側は、四角い建物なんですが、実は、円形の野外劇場の周りを、四角い壁が取り囲んでいるだけで、天井はないのです。
内部は先に述べたとおり青天井なんですが、かなり蒸し暑く、僕もジャケットを持っていったのですが、結局暑くて着ていられませんでした。
コンサートの概要がHPに載っていたので翻訳いたしました(かなりいい加減ですが・・・)以下ご参照ください。
これを書いたのは、誰だか定かではありません。ことによると、このコンサートの指揮者かもしれないです。
『グラナダ出身のソプラノ、マリオラ・カンタレーロが出演します。
いかにもアルハンブラ風のグラナダにマッチした歌と演奏です。
国際的なベルカントのスターに、グラナダ市立オーケストラとコーラスがスタンバイしています。コンサートは、イギリスの有名なデイヴィッド・パリーの演出で、Foudation Rural Box、クラシックRNEラジオとUERの提供でお送りいたします。
今夜のプログラムは2部に分かれています。ひとつは、オリエンタルな、ロマンティックな和声の作品を集めたものです。そして、もうひとつは、北ヨーロッパ的に思える作品を集めました。こういうわけで、コンサートは、いまでもCMや映画やテレビで盛んに使われていて、皆さんよくご存知の、ロッシーニ作曲「ウィリアムテル序曲」から始まります。また、ベルカント低迷の時代の最後の代表者のうちで、今でも続いているのはロッシーニのスコアなのです。それは、私がTeti(コンサートマスター?)に渡したカンタータである、Him nozzeの中に含まれている、コーラス付きのアリア、「Ah、non potrian resiteres」についてのものです。そして私は、その音楽家が、後のフランス王シャルル10世の息子であり、ナポリ王フェルディナンド4世の祖父でもある、ベリー伯の婚礼のために書いた、「私は戦う」もスコアを渡しました。
今夜のコンサートの2番目の作曲家については、マリオラ・カンタレーロは、故郷「グラナダのために」ある解釈を加えようと決心したようです。それは、「Ruperto's Moorish Fantasy Chapí」を構成した最もエレガントな試みのうちのひとつです。しかしながら、ドニゼッティによるグラナダでのAlahorを聴くとわかるのですが、その音楽の中のオリエンタルなアンダルシア風の以下の楽曲が注意深い技法で唄われているのです。そして、このコンサートの前半部は、ビゼーの「アルルの女」とベリーニの歌曲で締めくくります。
休憩の後、そのグラナダ出身のソプラノは、パリーの演出とともに、オペラのベルカント唱法を駆使して、正統派の歌唱を披露します。それは、スコットランドの湿った大地に私たちを誘います。最初の三つの曲はそこで作られました。また、言葉のうえからも、地図の上からも少しかけ離れた場所へ私たちは連れて行かれます。それは、ヴェルディの有名なオペラ、「椿姫」をコンサートの終わりに選んだからです!
今夜は、マリオラ・カンタレーロ、グラナダ市立オーケストラとコーラス、同じくグラナダ出身のテノール、パブロ・マーティン・レイエスによる素晴らしいコンサートを楽しむ最高の機会となるでしょう。』
ところどころ意味不明の箇所がありましたがどうぞご容赦ください。
ソプラノ本人によるベリーニの歌曲です。当日も唄われました。
椿姫のこの曲も当日歌われました
オーケストラは、うちの奥さんが言うには、かなり適当だったようですが、僕はとっても楽しめました。「ウィリアムテル序曲」とか、「ファランドール」とかが演奏されて、とっても面白かったです。コンサートの途中から薬の効き目か、片頭痛もほぼ治まって、楽しく聴くことが出来ました。
マリオラ・カンタレーロというソプラノ歌手、コロラトゥーラが上手で、唄もルックスも、とても迫力ありましたが、実はかなり若くて、地声が笑っちゃうほどに、とっ~てもかわいかった!!!
笑っちゃうと言えば、曲の終わりに、最後一旦ポーズして、そして華やかにエンディングという曲がありますよね?その、ポーズのところで、爆発的なクシャミをしたおじさんがいました。まるで、ドリフのコントみたいです(~o~)
かわい~い声で「最後にグラナダゆかりの曲をやります」みたいなMCがあって、カスタネットを自ら演奏しながら歌いました。ジプシー風でとっても良かったです。
おそらく、↓この曲ではなかったかと思います。
コンサートが終わったのは、なんと二時近く!!!
3時間以上やってたことになりますね。かなりびっくり!!!こっちの人はパワフルですね。あんたら明日の朝仕事ちゃんといけるのかね???
アルハンブラ宮殿がライトアップされてたので、撮りました。
明日は、いよいよこの中に入ります!!!それから、コンサート第2夜もありますよ!!!
乞うご期待!!!
やっと、グラナダ国際音楽舞踏祭のレポートをアップです。
ちなみに、「第1夜」というのは、僕たちが観た第1夜ということで、音楽祭自体は、6月の終わりから始まっていました。
ロンドンシンフォニー&バレンボイムなんかも来てましたよ。
写真暗くてごめんなさい。
地元の人々がおしゃれをして三々五々集まってきます。夜の10時過ぎです!
↑の建物が「カルロス5世宮殿」です。外側は、四角い建物なんですが、実は、円形の野外劇場の周りを、四角い壁が取り囲んでいるだけで、天井はないのです。
内部は先に述べたとおり青天井なんですが、かなり蒸し暑く、僕もジャケットを持っていったのですが、結局暑くて着ていられませんでした。
コンサートの概要がHPに載っていたので翻訳いたしました(かなりいい加減ですが・・・)以下ご参照ください。
これを書いたのは、誰だか定かではありません。ことによると、このコンサートの指揮者かもしれないです。
『グラナダ出身のソプラノ、マリオラ・カンタレーロが出演します。
いかにもアルハンブラ風のグラナダにマッチした歌と演奏です。
国際的なベルカントのスターに、グラナダ市立オーケストラとコーラスがスタンバイしています。コンサートは、イギリスの有名なデイヴィッド・パリーの演出で、Foudation Rural Box、クラシックRNEラジオとUERの提供でお送りいたします。
今夜のプログラムは2部に分かれています。ひとつは、オリエンタルな、ロマンティックな和声の作品を集めたものです。そして、もうひとつは、北ヨーロッパ的に思える作品を集めました。こういうわけで、コンサートは、いまでもCMや映画やテレビで盛んに使われていて、皆さんよくご存知の、ロッシーニ作曲「ウィリアムテル序曲」から始まります。また、ベルカント低迷の時代の最後の代表者のうちで、今でも続いているのはロッシーニのスコアなのです。それは、私がTeti(コンサートマスター?)に渡したカンタータである、Him nozzeの中に含まれている、コーラス付きのアリア、「Ah、non potrian resiteres」についてのものです。そして私は、その音楽家が、後のフランス王シャルル10世の息子であり、ナポリ王フェルディナンド4世の祖父でもある、ベリー伯の婚礼のために書いた、「私は戦う」もスコアを渡しました。
今夜のコンサートの2番目の作曲家については、マリオラ・カンタレーロは、故郷「グラナダのために」ある解釈を加えようと決心したようです。それは、「Ruperto's Moorish Fantasy Chapí」を構成した最もエレガントな試みのうちのひとつです。しかしながら、ドニゼッティによるグラナダでのAlahorを聴くとわかるのですが、その音楽の中のオリエンタルなアンダルシア風の以下の楽曲が注意深い技法で唄われているのです。そして、このコンサートの前半部は、ビゼーの「アルルの女」とベリーニの歌曲で締めくくります。
休憩の後、そのグラナダ出身のソプラノは、パリーの演出とともに、オペラのベルカント唱法を駆使して、正統派の歌唱を披露します。それは、スコットランドの湿った大地に私たちを誘います。最初の三つの曲はそこで作られました。また、言葉のうえからも、地図の上からも少しかけ離れた場所へ私たちは連れて行かれます。それは、ヴェルディの有名なオペラ、「椿姫」をコンサートの終わりに選んだからです!
今夜は、マリオラ・カンタレーロ、グラナダ市立オーケストラとコーラス、同じくグラナダ出身のテノール、パブロ・マーティン・レイエスによる素晴らしいコンサートを楽しむ最高の機会となるでしょう。』
ところどころ意味不明の箇所がありましたがどうぞご容赦ください。
ソプラノ本人によるベリーニの歌曲です。当日も唄われました。
椿姫のこの曲も当日歌われました
オーケストラは、うちの奥さんが言うには、かなり適当だったようですが、僕はとっても楽しめました。「ウィリアムテル序曲」とか、「ファランドール」とかが演奏されて、とっても面白かったです。コンサートの途中から薬の効き目か、片頭痛もほぼ治まって、楽しく聴くことが出来ました。
マリオラ・カンタレーロというソプラノ歌手、コロラトゥーラが上手で、唄もルックスも、とても迫力ありましたが、実はかなり若くて、地声が笑っちゃうほどに、とっ~てもかわいかった!!!
笑っちゃうと言えば、曲の終わりに、最後一旦ポーズして、そして華やかにエンディングという曲がありますよね?その、ポーズのところで、爆発的なクシャミをしたおじさんがいました。まるで、ドリフのコントみたいです(~o~)
かわい~い声で「最後にグラナダゆかりの曲をやります」みたいなMCがあって、カスタネットを自ら演奏しながら歌いました。ジプシー風でとっても良かったです。
おそらく、↓この曲ではなかったかと思います。
コンサートが終わったのは、なんと二時近く!!!
3時間以上やってたことになりますね。かなりびっくり!!!こっちの人はパワフルですね。あんたら明日の朝仕事ちゃんといけるのかね???
アルハンブラ宮殿がライトアップされてたので、撮りました。
明日は、いよいよこの中に入ります!!!それから、コンサート第2夜もありますよ!!!
乞うご期待!!!
結局、合理的で、誰でもやれる可能性がある、という意味で、ベルカントが評価されている様で、様式美という意味でベルカント隆盛になっている、という訳ではない様です。
実は、この「低迷時代」という訳は、「periodo álgido 」を意訳したもので、この「álgido 」という形容詞は、もともとは「寒気がする」と意味なんですが、最初、「冬の時代」とするか、または、「黎明期」とするか、迷ったのです。
私は、ベルカント唱法については、カルーソーによるようなナポリ民謡が発祥だ、ぐらいにしか、知識がなかったもので、WIKIで調べてみました。
どうやら、ロッシーニが言っている「ベルカント」というのは、今のベルカント唱法のベルカントとは違うのではないかと思い、悩んだ末、「低迷時代」としました。
つまり、ロッシーニの「ベルカント」とは、15世紀頃から始まる、コロラトゥーラなどの装飾技法も含めた「イタリア的唱法」の総体を言うのではないかと思ったのです。そしてそれは、ロッシーニの活躍した19世紀の前半を境に、ワーグナーなどのオペラの登場で急速に衰えたとありました。そして、ロッシーニは、われらの「ベルカント」が失われたと嘆息を漏らしたというエピソードを知りました。
したがって、これを「黎明期」と訳すと、ロッシーニの指しているベルカントが今は主流という感じがするし、別の意味のベルカント唱法が流行っていないというイメージを持ってしまうので、「冬の時代」つまり、「低迷時代」としました。
もちろん、僕は、全くの素人ですので、この点に誤謬があれば、どうぞご指摘くださいませ。
僕は、もちろん今のベルカントも大好きです(*^_^*)
ご指摘の通り、カルーソーがいちばん古い録音な訳で、それ以前は、録音というものが存在していません。ですから、今のベルカントが、昔のベルカントであるかどうか、というのは難しい問題だと思います。
ヴァーグナーのお話もありましたので、ベルカントでヴァーグナーを歌うとどうなるのか、というと、これはモナコが大まじめにジークフリートを歌っているのを録音で昔聴いたことがあります。これはシュールな世界で、南春男さんがミスチルを歌っている、あるいはその逆、みたいなものでしょうか。サッカーの国際試合のときに、無茶苦茶なスタイルの君が代をずいぶん聴くことがありますが、これも同じです。
ではドイツリートがどうか、というと、これはこれで、シュワルツコプフが「ドイツリートを歌えるのは、私とフィッシャーディスカウしかいない」と言明したくらいですから、では、ドイツリートとは何か、という話にもなってしまいます。
ただ、最近、BSですとかでドイツリートの演奏など聴きますと、確かにベルカント的、というか、われわれが受けている教育に近い発想で「発声」されているのは確かです。
その意味では、ベルカントとか、ドイツリート、というのは、伝統ではなく、教育的な問題にあるのではないかと思います。クラシックの世界でも、合理化が進んでいる、という言い方ができるかもしれません。
ロッシーニの好きだったベルカントと、現在一般的に言われるベルカントとは違うみたいですね。
どちらが良いということはなくて、好みの問題でもあるし、その楽曲や歌手に似合っていて違和感がなければ聴く側としては大きな問題ではないように思われますね。
しかし、皮肉なことに、メディアの発達は、それぞれの違いを守れなくなってきたということでしょうね。
EUが大きくなってからは、ワインでも微妙な個性がなくなってきたそうです。違いに意味があったのでしょうが、合理化のメリットを選択するところが多いのかもしれません。
種の多様性が生物にとって非常に重要であるように、音楽にも多様性が重要であると思いました。
どうも、ありがとうございましたm(__)m