羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

深読み! 『原初生命体としての人間』

2006年05月13日 08時06分59秒 | Weblog
 高田榮一さんとお話をして、1993年当時を思い出した。
 13年前、スピルバーグ監督の「ジュラシックパーク」や角川春樹監督の「レックス」などの映画が上映さたりして、恐竜ブームが起こっていた。
 この年の「東京国際ミネラルフェア」は第六回で、「恐竜の卵」が日本に大量に持ち込まれ始める年でもあったし、日本各地に自然史博物館がぼちぼちお目見えする時期でもあった。
 当然、ミネラルフェアの会場には、それ以降、自然史博物館・学芸員の方々も増えていったのだった。
 その後、ますます古生物学の資料や化石標本も豊かになって、一般にも手に入りやすくなっていった。

 バブルが完全にはじける前の、輝ける時代現象の一つであったことに違いない。

 さて、野口先生が鉱物や化石に深い興味を持たれ、そこで私が得たことは大きい。
 それは時間感覚の変化だ。
 それまでは人間の歴史、せいぜい5千年ほどが長い方だった。
 しかし、古生物学は億年単位で「生命の歴史」を紐解く世界だった。日常的な時間を遥かに越えているから、実感とは程遠い世界であるのだけれど。
 何回も「化石」の出来るわけを聞いても、不可思議で神秘的ですらあった。
 しかし、地球の歴史とつなげて生命の歴史を考え、生きものの進化について、隕石や化石や鉱物や岩石に触れながら知識を得ることは、人間至上主義を理屈でなく返上することでもあった。

 野口先生は、「博物館の硝子ケースに、後生大事に保管され、触れることのできない標本ではなく、自分でも手に入れることができる石を身近に置いて、地球に親しむことって、すごく大事だと思うの。そういった意味からも、ミネラルフェアは、そこで何も買えなくても、見て触れて話し合うことができる場として、僕は応援したいんです」とおっしゃりながら、私たちを「石の世界」に導いてくださっていた。

 ちょうどその時期に、高田さんとボールニシキヘビを囲んで、「生きもの」を感じ考える講座が開けたのはラッキーだった。

 人間にとって何処からが人工なのか。
 そういった境界線は明確に引くことはできないだろう。「恐竜だって1億6千万年の間、地球環境を大きく変えてきた」という野口先生の言葉は今になって意味を深めていると思う。
 南の島の蝶の羽ばたきが、ロンドンの気象を変えることを知った時代に私たちは生きているのだから。
 
 人間よ 驕るなかれ! という『原初生命体としての人間』が語りかけてくるところを、もう一度 、深読みしてみようではありませんか。
 できれば、石と親しみながら。
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