スゴイ❣️
今日、京王線で身長177cm位のOL風の女性を見た。可愛かった。化粧が薄いのも好みだった。
電車を乗り換えようと、笹塚駅で並んでいたら、前に立っていた女性が僕と身長は変わらなかった。多分、183cm位はあっただろう。その女性は電車に乗って、すぐ座ってしまったのがとても残念だった。さを比べたかったのに・・・
日本テレビは毎週木曜19:30から「木曜スペシャル」という番組をやっていた。「アメリカ横断ウルトラクイズ」や「ピラミッド特番」が放送された枠である。
毎年11月、その枠でうちの局は、「全日本有線放送大賞」を大阪・フェスティバルホールから生放送。
その年に人気のあった歌手を大阪に集めての歌番組。
僕も何度かスタッフとして参加したが、一年に一度の大型歌番組。フロアディレクターをやっていて、どれだけ緊張したか分からない。
同じ、木曜日。21:00からTBS系では、久米宏、黒柳徹子司会、伝説の歌番組「ザ・ベストテン」の生放送があった。
そして、23:20、うちの本社では「11PM・おめでとう有線放送大賞」の生放送。
大阪に有名な歌手が集まっている。当然、「ザ・ベストテン」にも複数の歌手の楽曲がランクインする。
TBS系MBS毎日放送はフェスティバルホールからうちの局までの間に生中継をしなければならないという状況に陥っていた。
「しぶがき隊」が国道2号線を走る二階がオープンになったバスの上で歌った事もあるし、うちの局のロビーから二階のパーラーに上がる螺旋階段で「中森明菜」が歌った事もあった。
僕はこの生放送の3連チャンを観て、毎年興奮したものだった。
子供たちの楽しみ、大晦日。
親たちに何の気遣いもせず、夜遅くまで起きていられる貴重な日。
この日も生放送の3連チャンがあった。
まずは19:00から始まるTBS「輝く!日本レコード大賞」。21:00スタートのNHK「紅白歌合戦」。
そして、23:45民放全局(多分、当時100局以上でネット)で生放送される「ゆく年くる年」であった。
この「ゆく年くる年」、日本テレビ系列始め、各系列が毎年持ち回りで番組制作を担当していた。
ある年、日本テレビ系で制作される事になり、滋賀の三井寺からの中継に僕も駆り出される事になった。
「全国各地のお寺の鐘の音」で「蛍の光」を演奏しようという特別企画。三井寺の鐘はそのいちばん最初だった。
昼過ぎ、三井寺に着き、セッティングが始まる。三井寺の中継時間はカメラ4台で40秒。
夕方になり、日も暮れて来ると途端に底冷えがし、立っていても歯がガタガタなる程寒い。
プロデューサーが日本酒を一升、やかんにぶち込んでスタッフ皆んなに振る舞ってくれた。嬉しかった。
僕の役割はTK(タイムキーパー・日本テレビから三井寺の中継に来るまでの時間、三井寺の中継時間をディレクターやスタッフに伝える人のこと)。
カメラリハーサルは上手くいった。日本武道館で指揮をする加山雄三さんが指揮棒を振り上げた瞬間に、三井寺のフロアーディレクターが鐘を撞くお坊さんにキュー(合図)を出す。
このタイミングでキューを出す訳。それは、鐘を撞くには木でできた太い棒を一旦引いてから振り下ろさないと、鐘が撞けないから。タイムラグがあるのである。
いよいよ、23:59生本番。
加山さんがリハーサルと同じ様に指揮棒を上げた。三井寺でお坊さんにキューが出る。お坊さんは木の棒を思いっきり引く。
そこで思わぬ事態が生じたのである。
加山雄三さんが一言喋った。リハーサルとは違う。そして、一拍あって加山さんは指揮棒を振り下ろした。
三井寺に中継の映像が切り替わる。その時、鐘は既に撞き終わっていた。カメラ目線の驚愕したお坊さんの表情が映し出される。
フロアディレクターが見切りながら(画面に入りながら)、お坊さんにもう一度キューを出している。
お坊さんは気を取り直して、鐘を鳴らした。そして、全国のお寺の鐘の音による壮大な企画「蛍の光」は始まった。
元旦の早朝、僕らスタッフは局に帰る為にロケバスに乗っていた。何とも言えない沈黙が車内を支配していた。名神高速を走るバスの車輪の音だけが鳴り響いていた。
全くもって、愛でたい元旦とは言えなかった。苦々しくも、今となっては懐かしい思い出。