のぶまさのヒザシマツヤマ(申松山)備忘録

日差しあふれるわが街、東松山を
日を串刺ししてる字「申」をあて
申松山でヒザシマツヤマと褒めたたえています

35年後の別れ

2021年09月16日 18時06分46秒 | ニュース・記事

あぁ~なたにぃ~、さよっならって、いえるのはぁ~、きょうぉだけぇ~

8年前の8月13日の記事は、この歌詞から始まりました。
駐在の解任が決まり、当時大変お世話になっていた女性との
最後の晩餐の記事でした。

いまはただぁ~、よねんのつきひがぁ、ながすぎたはると、いえるぅだけですぅ~
歌詞では5年ですが、彼女にお世話になったのは4年でした
彼女がいなければ、異国の地でただ一人4年半も過ごせなかったでしょう。
最後の晩餐のあとでお別れした時に
あなたのぉ~、しらないところへ、もどぉっていく、わたしに、とぉおってぇ~
この歌詞で記事を終えました

そして、この歌を歌っていたフォークグループのお一人が
本日、知らないところに旅立っていきました。

高校3年生の頃、『谷村新司のセイヤング』を聞きながら
受験勉強をしていました。
そのころ、よくヘッドホンに響いていた歌の一つです。
71歳になられていたのですね・・・

あのころ、青春時代を一緒に過ごしてくれた先輩たちも
いよいよお迎えが来るようになってしまったのですね
これから先、こういうニュースがおおくなるのでしょうか
その番組でチンペイさんが
この年になると、出会える人の数より別れる人の数が増えてくる
と言っていたことが思い出されます。

つぎは、私たちの番なんだなぁ

思い出の曲をありがとうございました
ご冥福をお祈りします



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