甲斐バンドが、野際陽子さんの【非情のライセンス】をカバーすることになった際に
甲斐さんが「あんな歌詞書けないよね」と驚いておられましたが
その作詞をなさった佐藤純彌さんが永眠されました
高倉健さんが亡くなられた時には
健さんの代表作とされる一連の任侠物ではなく
「君よ憤怒の河を渉れ」が中国で評価されたことに触れられ
「一番好きなのは『新幹線大爆破』だったりするんで…」とおっしゃっていて
佐藤監督と面識がおありだったかどうかはともかく
感性という面で、ご縁のある方だったんじゃないかと…?
その健さんの代表作の一つ「八甲田山」が
昨年末、デジタルリマスター版で甦り
「天は我々を見放した」のセリフを発された神田大尉役の北大路欣也さんと
撮影監督の木村大作さんが対談なさっていて
「凍傷にならないように、ずっと足踏みしながら
雪待ち、風待ちで数時間立っているなんてこともザラでしたしね
それで不平を言おうものなら『健さんは5時間待ったんだ!』なんて
大作さんに怒鳴られる(笑)」と北大路さん
でも、木村さんによれば…「神田大尉が率いる部隊は200人の大所帯で
全員がカメラの前を通り過ぎるまで、ずっと撮るんです
三國連太郎さん、緒形拳さん、加山雄三さんといった
そうそうたる人達が、みんな一緒に黙々と歩いている
エキストラだけのシーンなんか、ひとつもありません」
…といった過酷な現場だったようで
北大路さんも、健さん演じる徳島大尉が、神田大尉の亡骸と対面するシーンでは
「とても大事なシーンだったので、絶対に健さんの邪魔はしたくないし
緊張しているスタッフの皆さんにも負担をかけたくない
神田大尉として、じっとそこにいることが、その日の自分の仕事だと思って」
撮影の5時間前から棺の中に入っていらしたんだとか…(汗)
この映画は、フィルムのみならず
その撮影方法もかなりのアナログみたいだけど(苦笑)
デジタルリマスター作業では「視覚だけでなく
触覚(手触り)や聴覚(リールの回転音)など
五感の全てを使ってフィルムをチェックし『カルテ』を作り
カルテを元に1コマずつデジタルデータに置き換えて行く」らしく
元々アナログフィルムには、豊富な情報が収められているものの
「これまでは、その全てを十分に引き出す方法がなかった」
…というスタッフの方の言葉に
「Highway25」を作られる際の甲斐さんや松藤さんの姿が重なった奥さん(笑)
「デジタルで聴いたら『松藤って、ちゃんとドラム叩いてたんだ!?』
…って言ってたよね?(笑)」と…(笑)
ともあれ…北大路さんのご出演は、健さんの推薦で実現したそうですが
「僕も撮影中は知らなかったんです」と北大路さん
「終わった後で(脚本家の)橋本先生からうかがって嬉しかったですね」と話されていて
そういえば…と思い出したのが、その橋本忍さんのインタビュー記事
お祖母様から何度となく聞かされたという「生野騒動の話」の最後に
「時代が進めば進むほど、庶民にとっては悪い世の中になって行く」
…と添えられた言葉は「この通りに書いて行けばいい」
…という脚本の原点のひとつであり
もうひとつは、地元で毎年、芝居の興行を打っていらしたお父様が
あるプロデューサーから「忠臣蔵」を提案されておっしゃった
「1人が47人を斬るんなら面白いよ、でも、47人がよってたかって
1人の爺さんを斬る話のどこが面白いんだ?」という言葉らしい(笑)
そのお父様から「お前の本で面白いのは『切腹』と『砂のナントカ』だけだ
出来がいいのは『切腹』だが、俺が好きなのは『砂のナントカ』だ」と言われ
カンヌ映画祭の審査員特別賞を受賞され、既に評価の高かった「切腹」より
当時まだ映画になっておらず、ご自身では当たりそうにないと思っていらした
「砂の器」を推されたことで、映画会社を回られたんだとか…
「砂の器」をご覧になった方はご記憶でしょうけど
後半40分は、父子の旅・捜査会議・演奏会という
3つの場面が並行して描かれていて
奥さんは、この映画を観てからかなり後になって
「イントレランス」の4つの物語が目まぐるしく入れ替わるラストシーンを観て
「ずっとナンか気になってた」のが何だったのか
この橋本さんのインタビューで判ったみたいです(笑)
その橋本さんが晩年に執筆なさっていた「天武の夢」について…
「映画にするなら天武天皇を北大路欣也にやって貰おうと考えているんだ
兄貴の天智天皇は高倉健かなと思っていたんだけど亡くなったからね」
…と、おっしゃっていて「八甲田山」でのお二人のシーンが
印象に残っていらしたのかなあと…?
木村さんも「『ご苦労さん』ということでしょうけど
橋本さんと森谷監督が『撮影 木村大作』と大きくクレジットを入れてくれました
撮影者の名前をこんな風に扱ったのは、日本映画ではこれが最初です」
…と話されてますが、橋本さんは「羅生門」や「七人の侍」など
数多くの黒澤明監督作品を手がけられ
「黒澤さんが、自分一人でも書けるのに共作にしたのは
より面白くしたいという貪欲さからだった
脚本を作ることに時間と手間を惜しまない人」のそばで
その仕事ぶりをご覧になって来たからこそ
木村さんの撮影に対する姿勢に敬意を表されたんじゃないかと…?
甲斐さんが「あんな歌詞書けないよね」と驚いておられましたが
その作詞をなさった佐藤純彌さんが永眠されました
高倉健さんが亡くなられた時には
健さんの代表作とされる一連の任侠物ではなく
「君よ憤怒の河を渉れ」が中国で評価されたことに触れられ
「一番好きなのは『新幹線大爆破』だったりするんで…」とおっしゃっていて
佐藤監督と面識がおありだったかどうかはともかく
感性という面で、ご縁のある方だったんじゃないかと…?
その健さんの代表作の一つ「八甲田山」が
昨年末、デジタルリマスター版で甦り
「天は我々を見放した」のセリフを発された神田大尉役の北大路欣也さんと
撮影監督の木村大作さんが対談なさっていて
「凍傷にならないように、ずっと足踏みしながら
雪待ち、風待ちで数時間立っているなんてこともザラでしたしね
それで不平を言おうものなら『健さんは5時間待ったんだ!』なんて
大作さんに怒鳴られる(笑)」と北大路さん
でも、木村さんによれば…「神田大尉が率いる部隊は200人の大所帯で
全員がカメラの前を通り過ぎるまで、ずっと撮るんです
三國連太郎さん、緒形拳さん、加山雄三さんといった
そうそうたる人達が、みんな一緒に黙々と歩いている
エキストラだけのシーンなんか、ひとつもありません」
…といった過酷な現場だったようで
北大路さんも、健さん演じる徳島大尉が、神田大尉の亡骸と対面するシーンでは
「とても大事なシーンだったので、絶対に健さんの邪魔はしたくないし
緊張しているスタッフの皆さんにも負担をかけたくない
神田大尉として、じっとそこにいることが、その日の自分の仕事だと思って」
撮影の5時間前から棺の中に入っていらしたんだとか…(汗)
この映画は、フィルムのみならず
その撮影方法もかなりのアナログみたいだけど(苦笑)
デジタルリマスター作業では「視覚だけでなく
触覚(手触り)や聴覚(リールの回転音)など
五感の全てを使ってフィルムをチェックし『カルテ』を作り
カルテを元に1コマずつデジタルデータに置き換えて行く」らしく
元々アナログフィルムには、豊富な情報が収められているものの
「これまでは、その全てを十分に引き出す方法がなかった」
…というスタッフの方の言葉に
「Highway25」を作られる際の甲斐さんや松藤さんの姿が重なった奥さん(笑)
「デジタルで聴いたら『松藤って、ちゃんとドラム叩いてたんだ!?』
…って言ってたよね?(笑)」と…(笑)
ともあれ…北大路さんのご出演は、健さんの推薦で実現したそうですが
「僕も撮影中は知らなかったんです」と北大路さん
「終わった後で(脚本家の)橋本先生からうかがって嬉しかったですね」と話されていて
そういえば…と思い出したのが、その橋本忍さんのインタビュー記事
お祖母様から何度となく聞かされたという「生野騒動の話」の最後に
「時代が進めば進むほど、庶民にとっては悪い世の中になって行く」
…と添えられた言葉は「この通りに書いて行けばいい」
…という脚本の原点のひとつであり
もうひとつは、地元で毎年、芝居の興行を打っていらしたお父様が
あるプロデューサーから「忠臣蔵」を提案されておっしゃった
「1人が47人を斬るんなら面白いよ、でも、47人がよってたかって
1人の爺さんを斬る話のどこが面白いんだ?」という言葉らしい(笑)
そのお父様から「お前の本で面白いのは『切腹』と『砂のナントカ』だけだ
出来がいいのは『切腹』だが、俺が好きなのは『砂のナントカ』だ」と言われ
カンヌ映画祭の審査員特別賞を受賞され、既に評価の高かった「切腹」より
当時まだ映画になっておらず、ご自身では当たりそうにないと思っていらした
「砂の器」を推されたことで、映画会社を回られたんだとか…
「砂の器」をご覧になった方はご記憶でしょうけど
後半40分は、父子の旅・捜査会議・演奏会という
3つの場面が並行して描かれていて
奥さんは、この映画を観てからかなり後になって
「イントレランス」の4つの物語が目まぐるしく入れ替わるラストシーンを観て
「ずっとナンか気になってた」のが何だったのか
この橋本さんのインタビューで判ったみたいです(笑)
その橋本さんが晩年に執筆なさっていた「天武の夢」について…
「映画にするなら天武天皇を北大路欣也にやって貰おうと考えているんだ
兄貴の天智天皇は高倉健かなと思っていたんだけど亡くなったからね」
…と、おっしゃっていて「八甲田山」でのお二人のシーンが
印象に残っていらしたのかなあと…?
木村さんも「『ご苦労さん』ということでしょうけど
橋本さんと森谷監督が『撮影 木村大作』と大きくクレジットを入れてくれました
撮影者の名前をこんな風に扱ったのは、日本映画ではこれが最初です」
…と話されてますが、橋本さんは「羅生門」や「七人の侍」など
数多くの黒澤明監督作品を手がけられ
「黒澤さんが、自分一人でも書けるのに共作にしたのは
より面白くしたいという貪欲さからだった
脚本を作ることに時間と手間を惜しまない人」のそばで
その仕事ぶりをご覧になって来たからこそ
木村さんの撮影に対する姿勢に敬意を表されたんじゃないかと…?