甲斐さんの「オススメ映画」には、ドキュメンタリーや
実話に基づいた作品が多いと思うんですが
広辞苑によれば、ドキュメンタリーとは
「虚構を用いずに、実際の記録に基づいて作ったもの
記録文学・記録映画の類。実録」と定義されていて
最近の甲斐さんオススメの映画では「エリック・クラプトン 12小節の人生」や
「マイ・ジェネレーション~ロンドンをぶっとばせ!」がドキュメンタリーで
「イーグル・ジャンプ」や「ボヘミアン・ラプソディ」「ロケットマン」は
実話に基づいたエンターテイメントということになりますけど
ドキュメンタリーの原点と位置づけられている映画「極北の怪異」には
「虚構」がふんだんに盛り込まれているらしく(苦笑)
カナダの「イヌイット」の日常を記録したという
この作品の主人公一家は、配役による疑似家族だったり
撮影に十分な光量を確保するため
「イグルー」と呼ばれる氷雪の家を半分に切ったり…といったエピソードがあるそうだし
「日本ドキュメンタリーの父」亀井文夫監督の
中国を侵攻する日本軍を追った作品「戦ふ兵隊」では
前線本部で中隊長が兵士から報告を受ける場面を「再現」しているみたいですが
カメラが大型でフィルムも高額だった当時
その瞬間に偶然居合わせることが不可能に近かったため
再現や再撮影は珍しくなかったらしい
今村昌平監督の「人間蒸発」は、失踪した男性を探す婚約者に密着し
関係者を訪ね歩く姿を記録したもの…としながら、監督自身が作品内に登場(笑)
スタッフの方々に演出の指示を出され、様々な仕掛けを施された挙げ句
最後に主人公のいる部屋を解体し、セットであったことを観客にネタばらし(笑)
森達也監督の「FAKE」では、自称作曲家の佐村河内守さんに取材した過程を
監督自身が作曲を持ちかけるシーンも含め、作中で明らかになさっていたり
松江哲明監督に至っては「このドキュメンタリーはフィクションです」と表記した(笑)
フェイク・ドキュメンタリーを提示されてます
脚本が存在するドラマであると明かしながら、実録風に仕上げることで
虚実の区別がつかなくなる作品を作られたのは
「フェイクでも、カメラは『現実』や『社会』を撮ってしまうものなので
カメラを向け、作者が関与することで起こるさざ波を撮った方が面白いし
それも新しいドキュメンタリー表現の一つだと思っている」からなんだとか…
まあ「ドキュメンタリー」と聞くと
つい「事実をありのままに記録したもの」と考えがちで
「事実」がねじ曲げられているとか「ありのまま」ではないと感じた途端に
ちょっと冷めた気分になってしまうのに
フィクションなら、どんな設定でも気にならないというか
少なくとも「騙された」とは思いませんよね?(笑)
かつて一世を風靡した「水曜スペシャル」川口浩さんの「探検隊」なんて
「前人未到の洞窟」に足を踏み入れる様子を洞窟の中から撮ってたし(笑)
黒澤明監督は、大木を切り倒させたり、家一軒ぶっ壊したり(笑)
逆に木を植え、花を足し、雪を運び込み、氷上に水を撒いて
ロシアの大自然を作り出したり…と、あまりにスケールが大き過ぎて
そこまで人工的な画だとは気づかないくらいでした(笑)
「忠臣蔵」や「ボヘミアン・ラプソディ」は
確かに史実に忠実ではないかも知れませんが
一つの物語として成立していると思うし
それを言うなら、大河ドラマもどこまでが真実で
どの場面が虚構なのか…って話になってしまうんじゃないかと…?(苦笑)
もちろん、緻密な時代考証がなされているんでしょうし
明らかに間違っている…といった点はないはずだけど
それでも歴史学者の方の間で様々な説が飛び交っている中から
ある説に沿って脚本が書かれる訳で
同じ歴史上の人物でも、ドラマによってイメージが変わることはあります
それも「あり」とするか、許せないと考えるかは人それぞれ(笑)
毎週のように何らかの指摘やクレームをテレビ局にねじ込む方もおられるそうだし
キャスティングひとつ取っても「適役」「イヤ、しっくり来ない」と
意見が分かれることも珍しくないでしょう(苦笑)
ただ、歴史学者の呉座勇一さんによれば…
「『戦国武将たちは歴史小説や大河ドラマで描かれているような
高邁な理想を抱いて戦っていたのか?』とよく訊ねられる
夢を壊すようで恐縮だが、率直に言って疑わしい」そうで
織田信長や豊臣秀吉が「天下静謐」を掲げたことを額面通り受け取れば
「『戦のない世を作る!』という壮大なドラマを想起させるが
己の野心を隠した綺麗事に過ぎないという解釈も当然あり得る
信長台頭以前の戦国大名たちに至っては
そもそもそうした政治理念を持っていたかどうかも史料的に確認できない
おそらく、そんな悠長なことを考えている余裕はなかった」らしく(苦笑)
戦国武将にロマンを託すのは、ほどほどが良いみたいです(笑)
実話に基づいた作品が多いと思うんですが
広辞苑によれば、ドキュメンタリーとは
「虚構を用いずに、実際の記録に基づいて作ったもの
記録文学・記録映画の類。実録」と定義されていて
最近の甲斐さんオススメの映画では「エリック・クラプトン 12小節の人生」や
「マイ・ジェネレーション~ロンドンをぶっとばせ!」がドキュメンタリーで
「イーグル・ジャンプ」や「ボヘミアン・ラプソディ」「ロケットマン」は
実話に基づいたエンターテイメントということになりますけど
ドキュメンタリーの原点と位置づけられている映画「極北の怪異」には
「虚構」がふんだんに盛り込まれているらしく(苦笑)
カナダの「イヌイット」の日常を記録したという
この作品の主人公一家は、配役による疑似家族だったり
撮影に十分な光量を確保するため
「イグルー」と呼ばれる氷雪の家を半分に切ったり…といったエピソードがあるそうだし
「日本ドキュメンタリーの父」亀井文夫監督の
中国を侵攻する日本軍を追った作品「戦ふ兵隊」では
前線本部で中隊長が兵士から報告を受ける場面を「再現」しているみたいですが
カメラが大型でフィルムも高額だった当時
その瞬間に偶然居合わせることが不可能に近かったため
再現や再撮影は珍しくなかったらしい
今村昌平監督の「人間蒸発」は、失踪した男性を探す婚約者に密着し
関係者を訪ね歩く姿を記録したもの…としながら、監督自身が作品内に登場(笑)
スタッフの方々に演出の指示を出され、様々な仕掛けを施された挙げ句
最後に主人公のいる部屋を解体し、セットであったことを観客にネタばらし(笑)
森達也監督の「FAKE」では、自称作曲家の佐村河内守さんに取材した過程を
監督自身が作曲を持ちかけるシーンも含め、作中で明らかになさっていたり
松江哲明監督に至っては「このドキュメンタリーはフィクションです」と表記した(笑)
フェイク・ドキュメンタリーを提示されてます
脚本が存在するドラマであると明かしながら、実録風に仕上げることで
虚実の区別がつかなくなる作品を作られたのは
「フェイクでも、カメラは『現実』や『社会』を撮ってしまうものなので
カメラを向け、作者が関与することで起こるさざ波を撮った方が面白いし
それも新しいドキュメンタリー表現の一つだと思っている」からなんだとか…
まあ「ドキュメンタリー」と聞くと
つい「事実をありのままに記録したもの」と考えがちで
「事実」がねじ曲げられているとか「ありのまま」ではないと感じた途端に
ちょっと冷めた気分になってしまうのに
フィクションなら、どんな設定でも気にならないというか
少なくとも「騙された」とは思いませんよね?(笑)
かつて一世を風靡した「水曜スペシャル」川口浩さんの「探検隊」なんて
「前人未到の洞窟」に足を踏み入れる様子を洞窟の中から撮ってたし(笑)
黒澤明監督は、大木を切り倒させたり、家一軒ぶっ壊したり(笑)
逆に木を植え、花を足し、雪を運び込み、氷上に水を撒いて
ロシアの大自然を作り出したり…と、あまりにスケールが大き過ぎて
そこまで人工的な画だとは気づかないくらいでした(笑)
「忠臣蔵」や「ボヘミアン・ラプソディ」は
確かに史実に忠実ではないかも知れませんが
一つの物語として成立していると思うし
それを言うなら、大河ドラマもどこまでが真実で
どの場面が虚構なのか…って話になってしまうんじゃないかと…?(苦笑)
もちろん、緻密な時代考証がなされているんでしょうし
明らかに間違っている…といった点はないはずだけど
それでも歴史学者の方の間で様々な説が飛び交っている中から
ある説に沿って脚本が書かれる訳で
同じ歴史上の人物でも、ドラマによってイメージが変わることはあります
それも「あり」とするか、許せないと考えるかは人それぞれ(笑)
毎週のように何らかの指摘やクレームをテレビ局にねじ込む方もおられるそうだし
キャスティングひとつ取っても「適役」「イヤ、しっくり来ない」と
意見が分かれることも珍しくないでしょう(苦笑)
ただ、歴史学者の呉座勇一さんによれば…
「『戦国武将たちは歴史小説や大河ドラマで描かれているような
高邁な理想を抱いて戦っていたのか?』とよく訊ねられる
夢を壊すようで恐縮だが、率直に言って疑わしい」そうで
織田信長や豊臣秀吉が「天下静謐」を掲げたことを額面通り受け取れば
「『戦のない世を作る!』という壮大なドラマを想起させるが
己の野心を隠した綺麗事に過ぎないという解釈も当然あり得る
信長台頭以前の戦国大名たちに至っては
そもそもそうした政治理念を持っていたかどうかも史料的に確認できない
おそらく、そんな悠長なことを考えている余裕はなかった」らしく(苦笑)
戦国武将にロマンを託すのは、ほどほどが良いみたいです(笑)