私達は道しるべにあった「ドルメン」に向かいました。


改めて「ドルメン」を調べてみました。





天草では一番高い山(682メートル)なので、遠くまで見渡せました。



光の柱に感動しました。

ここに着いたのは、夕方の4時頃で時間を決めて温泉に入り、暖まることも出来ました。
私は「ドルメンて何?」と思いながらでしたが、着いてみると何だか奈良の「石舞台古墳」の感じだなぁと思いました。


改めて「ドルメン」を調べてみました。
ドルメンは日本語では「支石墓(しせきぼ)」と訳されていますが、ケルト語のドル=机、メン=石という意味だそうです。
新石器時代から鉄器時代にかけて、世界中に存在する物だということで、同じような物が同じ時代に作られたというのは不思議だと思いますね。
ヨーロッパに多いようですが、朝鮮半島と日本にはあるのに中国にはないそうです。
私のブログの初期から「石舞台古墳」を神様達は「神社」と言っていたので、やっぱり祭祀場だったのではないかと思いました。
こんな山の上に大きな石を持って来ることは難しいことだし、スサノオノミコトがカラカラの国から石を運んで来たと言っていたのは、あながち間違いではないのでは?と思います。

私はここにあった立看板を記事を作るために読んで、やっぱり驚いていました。
看板の中段の辺りを写します。
分かりやすいように、括弧と改行は私が入れていますが、文章はそのままです。
矢岳神社の謂われに、男女山の神二対を合わせ祭るとされているが、まさに境石とそれに随するゲブの伏石、大地の女神と大地男神の二神を表している。
このことは、古代エジプト・古代シュメールに伝わる大地神と天神との交合によって生まれる天地創造神話が、ここ矢岳にあったことが想像できる。
矢岳は白岳、ツワ岳に連なる三峰であるが、「ヤタケ」とはシュメール系古ペブル民族では「神の峰」を意味する。
神「ヤ」は北極星であり、天神とされた。
また白岳の「白」は蛇を表す日本の古語であるが、麓の「永目」の地名の「ナーガ」は海洋民族のトーテムで蛇神を意味する。
インド、エジプトにそのナーガ帝国の跡が見られる。
因みに「メ」はシュメール語で祈るを意味する。つまり「ナガメ」とは「蛇神に祈る」という古代シュメール語である。
地図で探してみると、確かに麓の海の近くに「永目」という地名はありました。
Iさんは、矢岳神社の前で大蛇を感じていたようですしね。

天草に行く前に、ヤダケの神と話した中で、自分はイラタの神(天之御中主之神)の家来のような者だと言っていたのは、北極星の家来と言っていたのと同じですし、アクネの神がヤダケの神はシュメールから来たと言っていたのも合っていたようです。
🐶 天草へ その3
私達は、矢岳神社を後にして、またウネウネ道を降りて行きましたが、Iさんが次に目指していたのは、倉岳(くらだけ)という山でした。
また、ウネウネ道を登って行くと、倉岳の頂上に倉岳神社がありました。



天草では一番高い山(682メートル)なので、遠くまで見渡せました。



光の柱に感動しました。
さすがに山頂は寒かったですね。
その後は、Iさんが何度も行っていると言っていた温泉に連れて行ってくれました。
「ペルラの湯船」さんですね。

ここに着いたのは、夕方の4時頃で時間を決めて温泉に入り、暖まることも出来ました。
そして、宿泊先のある熊本市内に戻りました。
朝早くから、Iさんのお陰様で充実した天草の旅でした。
続きます。