1月26日は、いつもの通り朝5時くらいには起きていました。
当日の少し前に、らいもんどさんから📩がきていました。
🌟 熊岡菓子店
創業は明治29年(1896年)。
天気は良くなかったので、それが残念でしたね。
雨がシトシト降っていました。
朝から神様達と話して、夫の昼食も作って、外に出てバス停に行った時にお財布を忘れたことに気付いて、家に戻ったりしていたこともあり、早目に着く予定が、電車が遅れたりして、すっかり遅刻をしてしまいました。
川崎大師に10時に集合だったのが、10分程は遅れてしまったと思います。
当日、遅れそうだと連絡があったのは、ジャズシンガーのチホさんだけで、私が川崎大師の駅に着いた時には、ほとんどの方々が集まってガヤガヤしていました。
まずは、リーダーの皆様に当日のメンバー表を渡して、チェックをお願いすると、チホさん以外はこの時点で集まっていることがわかりました。
そのまま、川崎大師に行ってしまうと広くてわからなくなると思ったので、駅から見ると右側の方にある若宮八幡宮と金山神社に一旦行くことにしました。
とにかく、人数が多いので、若宮八幡宮も満員状態になっていて、神社の方も驚いていました。
みんなでゾロゾロしている間に、チホさんも間に合って、全員集まることが出来ました。
当日の少し前に、らいもんどさんから📩がきていました。
お嬢さんが受験で、お守りは何がいいかということで、丁度私の知り合いの息子さんが受験だという話があり、私は空海に聞いてみると、若宮八幡宮のお守りがいいと言っていました。
社務所で聞いてみると、白いお守りがあったので、らいもんどさんと一緒に求めました。
若宮八幡宮と金山神社については、過去記事に調べてありました。
🐶 5月27日に
11時から、川崎大師の護摩焚き(ごまだき)が始まるので、あまりゆっくりも出来なくて、またみんなでゾロゾロと歩いて行きました。
歩いている間に、かよちゃんが仕事が忙し過ぎて、手首に「ガンクリオン」が出来て痛いと言っていました。
青森のまーさんの「ガンクリオン」が急に無くなったことがあったので、かよちゃんはまーさんにも訴えていました。
私も見てみましたが、手首がボッコリと膨らんでいました。
私は前日に空海に言われていたゴマ煎餅を、門前のお煎餅屋さんに買いに行っていました。
川崎大師に入ると、本堂に沢山の人が並んでいるのが見えました。
四国の高松から、初めての参加のミミさんが、空海様にと言って下さったお菓子も一緒に袋に入れました。
🌟 熊岡菓子店
創業は明治29年(1896年)。
現在の建物は大正2年(1913年)に建てられたもので、店の内外ともに建てられた当時のまま、現在も使われています。
お菓子の陳列ケースも昔から大事に使い続けたもので、中にはなつかしいお菓子が並べられています。
ここの名物は「カタパン」。
ここの名物は「カタパン」。
理想的な軍事食糧として考案されたもので、創業当時は「兵隊パン」と呼ばれていました。
現在のカタパンは小麦粉と砂糖を練りあげて焼かれたもので、柔らかい食感に慣れている現代っ子には、びっくりするような堅さ。
「善通寺名物本家堅パン製造本舗」と書かれた紙袋に入ったなつかしい味です。
私も頂いたので食べましたが、本当に石のように硬いお菓子なので、噛むと歯が折れてしまうかもしれません。
唾液で溶かしながらゆっくり食べるようになっているので、軍事食糧だったのだと思いました。
舐めていると、甘くなっておいしかったですよ。
川崎大師の護摩焚きは、今まで何回か行ったことがありますが、そんなに混んでいることはなかったのに、この日はとにかく混んでいて、普段は入らない場所にもギッシリと沢山の人達が整然と誘導に従って入っていきました。
まだ1月で初詣の時期だからかと思いました。
護摩焚きが終わると、不動明王、空海様、愛染明王をぐるりと廻るようになるので、空海様のところにゴマ煎餅と熊岡のお菓子の入った袋を供えていただきました。
本堂を出て、不動堂から橋を渡って薬師殿に向かうと、皆さんがそこにいて、おみくじを引いたりしていました。
かよちゃんは、薬師如来に「ガンクリオン」が治るようにお願いしていたようですよ。
今まで、川崎大師の薬師如来に、いろいろな方が、ずいぶん治していただいていたからですね。
🐶 川崎大師の薬師如来の話
この日は、雨だったので、私も写真をほとんど撮っていませんでした。
昼食の場所が、川崎駅から歩くところだったので、あまりゆっくりも出来ずに、川崎大師の駅の方に向かいました。
続きます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます