「世界の神」や六代山不動明王に、逗子まで行って欲しいと言われていたのは、8月のことでした。
この奥にある場所ですね。
私達は、言われていた土佐のお酒の「豊の梅」を供えて、Iさんが不動明王のご真言を唱えてくれました。
コロナ禍の平日なのに満席で、待っている人もいて、人気が高いということがよくわかりました。
Sさんは、鬼滅の刃の竈門炭治郎のように、蝶々の耳飾りをしていました。
窓からは海が見えていて、テーブルの上にはカラスがいました。
Iさんは、私達を駅まで車で送ってくれて帰ったので、私とSさんは、逗子の海岸まで歩いて行きました。
真ん中に見える赤い屋根の建物が、少し前にいた「なぎさ橋珈琲店」ですね。
9月に行こうということになっていたのですが、Iさんはいろいろ忙しいので、8月の終わり頃に日にちを決めて欲しいと言われ、その時点で彼が空いていた私の誕生日でもある9月8日に決めていました。
そもそも、六代山不動院というのは、一体何なのかという話ですが、これは平家の話だったのですね。
六代御前の墓の前にあるのです。
🌟六代御前とは、平高清(1173?-1199?)のこと。
父は平維盛。平清盛の曾孫にあたります。
六代という名は高清の幼名であり、平氏興隆の基盤をつくったとされる平正盛から数えて六代目ということから名付けられました。
1「正盛」ー2「忠盛」ー3「清盛」ー4「重盛」ー5「維盛」ー6「高清(六代)」となります。
したがって、高清は清盛、重盛、維盛と続いた清盛嫡流最後の一人ということになります。
壇之浦の戦いの時は、子供だった六代御前は
なんとか僧侶になって生きていたのですが、この逗子の地で処刑されたということで、このお墓があるのです。
実際にはいろいろな説があって本当のことはわからないようですよ。
さて、当日はとても天気の良い暑い日でした。
京急線の逗子葉山の駅で、Iさん、Sさん、私の三人で待ち合わせて、現地まで歩いて行きました。
この奥にある場所ですね。
大きな欅(けやき)が二本でお墓を囲むようにお墓を守っている感じでした。
私達は、言われていた土佐のお酒の「豊の梅」を供えて、Iさんが不動明王のご真言を唱えてくれました。
下の写真はIさんが撮った物ですが、何だか、喜んで頂いたようですね。
Sさんは、逗子に住んでいた時に、本当に近くにいたそうで、平家の話は、剣山からの逗子に繋がっていたのですね。
私達は、六代山不動明王が言っていたなぎさコーヒーへ向かいました。
コロナ禍の平日なのに満席で、待っている人もいて、人気が高いということがよくわかりました。
私達は、窓側の角の席に案内されて、Iさんは喜んでいました。
特等席な感じでしたよ。
私は、少し前から食べたかったキーマカレーが、イメージ通りにあったことに、感動していました。
Sさんは、鬼滅の刃の竈門炭治郎のように、蝶々の耳飾りをしていました。
窓からは海が見えていて、テーブルの上にはカラスがいました。
Iさんは、私達を駅まで車で送ってくれて帰ったので、私とSさんは、逗子の海岸まで歩いて行きました。
真ん中に見える赤い屋根の建物が、少し前にいた「なぎさ橋珈琲店」ですね。
続きます。
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