「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

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飛騨高山へ その4

2025-01-16 07:30:00 | 日記
最近の私は、横浜の自宅と熱海のマンションを行ったり来たりしています。

大体が、日曜日に熱海に向かい水曜日に横浜に帰って来る感じです。
gooブログが、1月2日にDDos攻撃を受けて、私もブログにログイン出来なくて困っていました。
1月14日に全面的に復旧したという記事を読んで良かったと思っていたのですが、15日(水曜日)熱海発10:18の電車に乗って次の記事を下書きしようとすると、またログイン出来なくなっていました。

またまた、gooが10:20からDDos攻撃を受けていたようで、本当に大変なことだなと思います。

今朝のテレビ朝日の「モーニングショウ」で、DDos攻撃について解説していました。
お店に入ろうとしていた時に、いきなり沢山の人がお店に入ってしまったので、入れなくなってしまう状態だと言っていて、これからもいろいろな企業も攻撃が増えるのかと思うと、ネット社会は便利を作ってきましたが、不便も多くなるのでしょうか。



さて、飛騨高山の続きの話です。

私達3人は宮川のところで、朝食のおにぎりを食べた後は、櫻山八幡宮に行きました。







拝殿でご挨拶をして、境内を巡りましたが、ここの秋葉社は急な階段の上にありました。







看板には80段と書いてありますが、もっとありそうに見えて、とても急な階段なので迫力がありました。

下からの写真も撮ってみました。



Iさんは飛騨高山に何度も行っていて、丁度この神社の高山祭に遭遇したこともあったようですよ。


🌟一般に高山祭といわれるのは、春(4月14日、15日)と秋(10月9日、10日)の年二回あるように思われがちですが、春と秋では、お祭を行う神社も地域も屋台も全く違います。
春は日枝神社、秋は桜山八幡宮の例祭です。

古くから飛騨の国は、大和朝廷ヘ、税のかわりに匠(たくみ)を毎年送り出しました。
選ばれて都ヘ出た匠たち(毎年100人~130人)は、奈良の都の宮殿や、お寺の建築に従事してその腕をふるいました。

匠が都ヘ送られた期間はおよそ600年、延べにして7、8万人の飛騨人が一年間都で働いたことになります。
この人たちを総じて「飛騨の匠」と呼んでいます。

飛騨の国には、今もこの匠たちの長い伝統と、培われた技術が脈々とうけつがれていますが、中でも江戸時代後期に、大輪の牡丹のように花開いたのが高山祭の屋台(国指定重要有形文化財)です。


私達は、名古屋に向かって帰路に着こうとしていましたが、Iさんが郡上八幡に寄って行こうと言ってここで昼食となりました。

郡上八幡も趣のある町なのですね。






昼食は、「平甚」さんでおそばをいただきました。




一泊二日だけとは思えない、相変わらず充実した旅になりました。
本当に、Iさんが回復して良かったです。

名古屋から、新幹線で東京に向かっていた時に、一瞬でしたが虹が見えて、なんとか撮れて良かったです。


多分、浜松の辺りだと思いますが、本当に次の瞬間は通り過ぎてしまいました。


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