前回で、Iさんが「むかーし」と言っていた話は、2015,5,17の話でした。
まだ、Iさんと会って、そんなに経っていない頃のことですね。
イソタケルが話してきたことを、Iさんに電話で伝えると、話の中に出てきた茨城県の吉田八幡神社の近くで、ゴルフをしていたということでした。
今回、その時に行かなかった吉田八幡神社に行けそうだということを言っていたのです。
5年前に、イソタケルが話していたことを、抜粋します。
イソタケルだ。
ヤマトタケルではないのですよね。
ヤマトタケルは、私ではないな。
高い「位」のことなのだ。
では、ヤマトタケルは沢山いたのですか?
そうだな。
イソタケル様はどこにいるのですか?
私は茨城の吉田八幡宮の杉の木にいる。
なぜ、そこにいるのですか?
私は常陸の国に遣わされたので、そこにいるのだ。
お父様は、スサノオノミコトなのですか?
私の父はスサノオノミコトだ。
ニギハヤヒもそうだぞ。
腹違いの兄弟は沢山いたのだ。
M子は、スセリヒメの分け御霊だそうだな。
はい。そう言われています。
ミラクルだな。私の話がわかった人はいなかったぞ。
スサノオノミコトは、辣腕だったのだ。
イソタケルだ。
ヤマトタケルではないのですよね。
ヤマトタケルは、私ではないな。
高い「位」のことなのだ。
では、ヤマトタケルは沢山いたのですか?
そうだな。
イソタケル様はどこにいるのですか?
私は茨城の吉田八幡宮の杉の木にいる。
なぜ、そこにいるのですか?
私は常陸の国に遣わされたので、そこにいるのだ。
お父様は、スサノオノミコトなのですか?
私の父はスサノオノミコトだ。
ニギハヤヒもそうだぞ。
腹違いの兄弟は沢山いたのだ。
M子は、スセリヒメの分け御霊だそうだな。
はい。そう言われています。
ミラクルだな。私の話がわかった人はいなかったぞ。
スサノオノミコトは、辣腕だったのだ。
天王(てんのう)と言われていたくらいだからな。
三鷹に行ってくれたらしいな。
アメノウズメは、私の乳母でもあったのだ。
乳母はキレイだったぞ。
アメノウズメにも子供がいたな。
男の子だったから私達はいつも遊んでいたぞ。
アメノウズメの娘はサルメだが、男の子はどうしたのだろうな。かわいい子供だったぞ。
ニギハヤヒは、私よりずっと下の弟だった。
ニニギはもっと下だな。
タケミナカタ様は?
タケミナカタは、私よりずっと上の兄だったぞ。
タケムナカタではないですか?
タケムナカタが正しい。誰が言ったのだ?
Iさんです。
Iというのは、最近話している人だとセナの神(にぎはやひ)が言っていたぞ。
セナの神は、今も仲がいい。
宝のような神だぞ。
三鷹に行ってくれたらしいな。
アメノウズメは、私の乳母でもあったのだ。
乳母はキレイだったぞ。
アメノウズメにも子供がいたな。
男の子だったから私達はいつも遊んでいたぞ。
アメノウズメの娘はサルメだが、男の子はどうしたのだろうな。かわいい子供だったぞ。
ニギハヤヒは、私よりずっと下の弟だった。
ニニギはもっと下だな。
タケミナカタ様は?
タケミナカタは、私よりずっと上の兄だったぞ。
タケムナカタではないですか?
タケムナカタが正しい。誰が言ったのだ?
Iさんです。
Iというのは、最近話している人だとセナの神(にぎはやひ)が言っていたぞ。
セナの神は、今も仲がいい。
宝のような神だぞ。
5年前の話ですが、やっぱり話はブレていないと感じます。
🐶 イソタケルの話 その2
今回渋滞はなく、Iさんは、吉田八幡神社に着いたようです。
話してきたのは、吉田八幡神社の三浦杉を植えたと言われている、三浦大介義明(みうらおおすけよしあき)でした。
三浦義明とは、いわゆる三浦一族の武士ですね。
三浦義明の系譜を遡ると、桓武天皇から分かれたことがわかりますが、それは平将門も同じなのは、因縁を感じますね。
その三浦大介義明が話してきました。
私は三浦の神だ。
私は、三浦大介義明だよ。
三浦の神様は、何階層の神様ですか?
私は、五階層の神だよ。
武神(ぶじん)は、五階層までが限界みたいだな。
鎌倉権太郎も、平将門も、源義経もいるからな。
坂上田村麻呂が、武神のトップだよ。
鎌倉権太郎と言われていますが、鎌倉の祖である鎌倉権五郎景正のことです。
史実では、三浦氏との絡みがあるのですね。
そして、イソタケルも話してきました。
イソタケルだ。
吉田八幡神社に、来てくれてありがとう。
私は杉の木の上にいるよ。
三浦杉は、三浦の神が植えたからな。
🌟伝説によれば、久寿2年(1155)、相模国(神奈川県)の三浦大介義明が、九尾の狐退治の命を受けて下野国(栃木県)那須野ケ原に赴く途中、この神社に参拝し、「首尾よく退治できた暁には、この杉天にそびえよ」と祈願したと伝えられています。
三浦大介が退治した九尾の狐は、その後石となり毒気を吐き続けたと言われ、那須の殺生石として有名です。
この杉は、かつて「鎌倉杉」と呼ばれていたようですが、水戸藩2代藩主徳川光圀が三浦大介の狐退治とこの大杉のいわれを聞いて「三浦杉」と改称したと伝えられています。
やっぱり、伝説通りのようですね。
三浦杉は、とても大きくなっていて事故が多くなっているそうです。
続きます。
毎回楽しく拝見させて頂いてます(^^)!
三浦の杉。
あの時「秘密のお話」を教えて頂いて
大変感謝しています。
私の宝物です。
この場を借りて。
ありがとうございました(^^)
神様達は、本当に優しいので、私は話を聞いていて、嫌だと思ったことはありません。
曲げてしまうのは、人間の欲なのかと思います。