「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
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須賀神社

2020-12-01 07:30:00 | 日記
10月1日の朝から話してきたのは、スサノオノミコトでした。


来年に行って欲しい場所があるよ。

どなたですか?

スサノオノミコトだ。サンとも言う。

どこに行って欲しいのですか?

来年に行って欲しいのは、とーーーーっーーーとり(鳥取)だ。

鳥取ですか?

鳥取砂丘のポータルに行ってほしい。

鳥取にもあるのですか?

鳥取砂丘にもあるのだよ。
知られてないけどな。
鳥取と大山(だいせん)と出雲が繋がるよ。
Iは、忙しくなるだろうから、今のうちに言っておいてくれ。

今年ではなくていいのですか?

今年はいいだろう。
がんばってくれたからな。


私は、鳥取県に行ったことはありません。
Iさんは、よく知っているので、一応伝えておきました。
この日は、夕方から月がとてもキレイでした。
満月の1日前でしたけどね。





ツクヨムが話してきました。


ツクヨムだ。
月はキレイだっただろう。

はい。

サインが沢山の人に届いたと思うよ。

サインですか?

世界平和のサインだよ。
美しい地球を守って欲しいからな。
問題は、沢山あるが、素直に変わると思わないと変わらないからな。
サンか、、、慣れないとな。
がんばるよ。


スサノオノミコトとツクヨムは、合体して名前がサンになったのですが、まだなかなか慣れないみたいですね。


そして、夜にIさんから📩がきました。


明日、仕事で栃木県の小山に行くのだけど、神様が来て欲しい所とかあるかな?
昼が空いていて、遠くは無理だけど。
小山の近くなら動けるので。

なんか、ある気がするんだよねー

突然入った仕事だから。


私は、小山を調べて、須賀神社ではないかと思い、Iさんと電話で話していました。


🌟須賀神社は社伝によれば、940年天慶3年)藤原秀郷が現在の小山市中久喜に創建したのに始まるとされ、現在地に移ったのは平治年間(1159年1160年)とされる。

中世には小山氏の崇敬が篤く、小山城の守護神とされた。元は小山城内にあったとされるが、江戸時代初期、小山藩藩主となった本田正純によって現在地に移転されたという。

小山城の別名である祇園城の名はこの神社(祇園社)に由来している。

社殿の南側には七ツ石がある。
この七ツ石は本来祇園城にあった石であるとのことで、小山の伝説に登場するもの。


ご祭神は、スサノオノミコト(牛頭天王)、オオナムチ(大国主)、ホンダワケ(八幡神)というよくある神様達ですが、祇園社と言われるのは、やっぱりスサノオノミコトが、強いのかと思えますね。

伝説にある「七ツ石」という話は、祇園城にあった七つの庭石で、石が落城を悲しんで夜に泣いたので、この境内に移したら泣き止んだという伝説があるそうです。


次の日の朝に話してきたのは、スサノオノミコトでした。


スサノオノミコトだ。サンとも言う。
ツクヨムもまだ、慣れていないな。
Iは、今日、小山の須賀神社に行ってくれるらしいな。

はい。

石は七つあるので、それぞれに酒を頼むよ。
昔、動かされて泣いた石だからな。
魂が宿っているのだよ。

ポータルなのですか?

ポータルではないが、ツカだな。
スカイウェイになるよ。
奈良の須賀神社と出雲の須我神社が繋がるよ。


私達タイタマ会の4人(Iさん、いくちゃん、みこちゃん、私)で、出雲を巡ったのは、2017年の1月のことで、出雲の須我神社にも行ったのですね。
雪の中の須我神社を思い出します。


🐶 出雲への旅 その4



私は、奈良にも須賀神社はあるのかと思い、調べてみると三つあることがわかりました。

やっぱり、スサノオノミコトが言っていたことは、合っているのだと思いました。

次の日の朝早くに、Iさんから📩がきました。


今日、もしかしたら、むかーし、ねーさんも言っていた、イソタケルさんがいる吉田八幡神社に寄ってから小山に入るかもしれない。
渋滞次第だけど。
三浦杉のとこ。


これも懐かしい話でした。


続きます。

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