緒畑稲荷神社は、見晴らしの良い山の上の公園の奥にありました。
千句塚公園は、名古屋の町が一望出来る気持ちの良い公園でした。
真新しい鳥居は、令和三年に荒熊神社から奉納された物でした。
私が感動したのは、前回の記事に改めて再録した「小俣大明神」と書かれたお札が拝殿の真ん中にあったことでした。
KIさんが、
これも、令和三年の荒熊神社からの奉納でした。
調べてみると、山王山(さんのうやま)という縄文の頃からの遺跡がある場所で、公園は千句塚(せんくづか)公園というらしいです。
千句塚公園は、名古屋の町が一望出来る気持ちの良い公園でした。
3月だったので、キレイに花も咲いていました。
私達は、奥にある緒畑稲荷神社に向いました。
真新しい鳥居は、令和三年に荒熊神社から奉納された物でした。
以前に記事にしましたが、しばらく荒れてしまっていたのを、荒熊神社の信者さん達で掃除をしていたそうで、キレイにスッキリとしていました。
私が感動したのは、前回の記事に改めて再録した「小俣大明神」と書かれたお札が拝殿の真ん中にあったことでした。
現宮司様になった英勝さんにそのことを言うと、私の電話の後に、すぐに持っていかれたとのことでした。
拝殿を過ぎて後ろの階段を降りていく途中に洞穴のようになっている祠がありました。
KIさんが、
ここは、若い頃に清元さんが修行で籠もっていた場所だそうですよ。
蚊と戦いながらだったらしいです。
と、教えてくれました。
今年の3月1日で、御年99歳になられた元宮司様の清元さんが修行をしていたのは、60年も前のことだと思いますが、本当に大変な修行をしていたのだろうと想像出来る場所でした。
階段を降りて行くと、こちらが正面なのだろうという鳥居がありました。
これも、令和三年の荒熊神社からの奉納でした。
それにしても、大きなキツネさんですね。
いきなり見ると、ビックリしてしまうと思いますよ。
私達は、お仕事のギリギリまで案内してくださったKIさんに感謝して、それぞれに別れました。
まーさんご夫妻は、そのまま伊勢神宮に向けて旅の続きに行かれました。
みーららさんが車で送ってくれて、私とのぶえさんは名古屋駅から東京に帰りました。
1月にまーさんに言われなければ、こんなに濃い旅にならなかったと思います。
そして、旅に行く直前の3月4日に話したことです。
猿田彦が話してきました。
猿田彦だ。
荒熊神社に行くことは、多いのですか?
荒熊神社の山で、一服する時が多いよ。
息子と娘がいるからな。
玉姫は、(知多半島の)先端にいるからな。
重要な場所だったのだよ。
Iさんと私が初めて荒熊神社に行ったのは2016年10月1日でしたが、その時荒熊神社の後に行ったのは先端にある羽豆神社でした。
2016/10/22の記事の抜粋です。
🌟羽豆岬(はずみさき)は、愛知県知多郡南知多町にある岬。
知多半島の最南端に位置し、東側を三河湾、西側を伊勢湾に挟まれている。
岬にある明神山には羽豆神社が鎮座しており、社叢は国の天然記念物に指定されているほか、三河湾国定公園の特別保護地区となっている。
羽豆神社で、お参りにをした中に、小さな社が、少し離れてあって、そこには「玉姫」と、書かれてありました。
☆ 知多半島の話 その5
猿田彦は、この時も言っていましたが、荒熊の神は息子で玉姫は娘のようですよ。
玉姫は荒熊の神のお姉さんみたいです。
続きます。
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やっと3月の旅の記事が終わりました。
その節は、ありがとうございました。
まーさんから言われなければ、K会長のレストランも荒熊神社も行けませんでした。
5月のお話しは、お聞きしていましたが、本当に大変でしたね。
また、ぜひご夫婦仲良し旅をしてくださいね。
紀伊半島を回る行程で
3月のロケット打ち上げ延期による渋滞に遭遇するなど
中々できない経験をしながら十日余り旅を続けて帰りました
道中お世話になった皆様には
この場をお借りいたしまして御礼申し上げます
この5月私が福引で当てた
東京ドーム「巨人阪神戦」を観戦に東京に向かいましたが
その前日妻の大切な友人が亡くなりションボリ出発
帰りの新幹線では妻の母危篤の一報が入り
到着を待たず旅立たれました
と言うことで3月の旅行のタイミングは
あれで良かったんだと妻と話しております
本当にありがとうございました