まーさんの旅の計画を聞いたのは、今年の1月のことでした。
走り出せば、道路は積もっていなくて、南下して行くに連れて雪は無くなっていったので、良かったです。
神社の中は、いろいろな神様が祀られていて、マーケット状態でした。
そういう人がいたのかと、私も勉強になりました。
どうしても行ってみたいK会長のお店「そわ迦」と、荒熊神社にも行きたいとのことを聞いて、私はなんだか、渡りに船な話だと思ったのです。
なぜなら、1月2日に話してきた荒熊の神が、
清水(宮司)に会いに行ってやってくれよ。
と、言っていたからです。
多分、今年の節分で宮司さんは、息子さんの英勝さんにバトンタッチをするということがわかっていたからだと思います。
そして、3月1日が誕生日でなんと脅威の99歳(白寿)になられたのですね。
そして、「荒熊神社公式ライン」では宮司さんになられた英勝さんからお知らせが来ました。
明日(2月8日)発売の月刊誌「ムー」に神社の事が掲載されました。お知らせします。
私は「月刊ムー」は知っていましたが、今まで読んだことはなく、初めてアマゾンで頼みました。
と、いう訳で、まーさんの旅の計画は山梨県から愛知県知多半島に行くということになりました。
福岡のSご夫妻は荒熊神社に寄って山梨県に行こうとしていたらしかったのですが、みんなで行ってそのまま帰るとのことに変更してくださり、朝から向かうことになったのですが、前日からの雪はかなり積もっていて、まーさん達は早朝から車の雪かきをしてくれていました。
走り出せば、道路は積もっていなくて、南下して行くに連れて雪は無くなっていったので、良かったです。
Sご夫妻も、チェーンを使わずに済んだようですよ。
今回の旅の計画が始まった時に、なかなか会うことの出来ない名古屋在住のみーららさんにも声掛けをしていました。
待ち合わせは、その少し前にセッションでいらした方がおっしゃっていた玉鉾神社という神社にしました。
場所的には、知多半島の根元近くの神社だったからですが、ご祭神は明治天皇のお父様の孝明天皇で、珍しい神社のようでした。
神社の中は、いろいろな神様が祀られていて、マーケット状態でした。
孝明天皇は、一度も京都から出ることはなかったようですが、幕末の江戸時代の最後の天皇で大変な時代だったのだろうと、想像は出来ますね。
🌟初代宮司正八位旭形亀太郎は江戸時代に力士として大阪相撲、京都相撲で活躍していましたが、幕末動乱期に入ると力士隊を結成し、その隊長として宮中警護につきました。
元治元年(1864)の蛤御門の変では、孝明天皇を戦火から見事お護りし、大任を果たしました。
この至誠を帝はお喜びになられ守護符、御製を贈り、深い信頼を表しました。
後に旭形亀太郎は孝明天皇より勅願を賜り、日本国の守護のための神社を創建しました。
そういう人がいたのかと、私も勉強になりました。
ここの御朱印は人気のようですよ。
この神社でみーららさんとも合流出来て、荒熊神社に向いました。
続きます。
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