「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
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スサノオノミコトの話

2018-04-09 07:30:00 | 日記
前回の話の続きです。


だーーーーかーーーーらーーーー大丈夫だよと、Iに伝えてくれ。
おーーーーなーーーーじーーーー魂と、繋がりは作った方がいからな。
Oは、つーーーーりーーーーしーーーー(釣り師)だからな。
Iは、「ライオンの業師」だろう。
Oは、猿田彦の子供の荒熊の神が認めたから、一緒に行ってやってくれ。

ところで、どなたですか?

私は、スサノオノミコトだよ。
だいぶ変わっただろう。
平将門も私の分け御霊だったからな。
(平将門の)「乱」と言われているのが、残念だ。


私は、誰が話しているのかわからなかったので、最後に聞いていましたが、スサノオノミコトでした。
その後、少し間があってまた話してくれました。


ホッとするな。
M子と話すと、ホッとする。

スサノオノミコト様ですか?

そうだよ。
違うと思ったのか?
もしも、私がピアノを弾けたなら思いの全てを歌にして、君に伝えるという、歌があったな。
M子は、きちんと覚えていないようだな。
歌ってくれよ。


まさかの、「池中玄太80キロ」でした。
懐かしいと思う年代の方は、五十代以上でしょうね。

調べてみると、ドラマをやっていたのは、1981年だったようで、その挿入歌の西田敏行さんが歌った「もしもピアノが弾けたなら」のことです。


作詞:阿久悠 作曲・編曲:坂田晃一による。
阿久悠は1981年の『日本作詩大賞』を受賞した。

なお、作詞の阿久はその時代で旗色が悪くなっていた不器用な男に対する応援歌を書きたいという願いをドラマの主人公のキャラクターに託したという。
そして、歌詞に出てくるピアノは「少しばかり器用なサービス精神」との解釈でよいと述べている。

元々は、1981年に放映された西田敏行主演の『池中玄太80キロ』第2シリーズの挿入歌として作られた曲で、同番組の主題歌の「いい夢みろよ」のB面として発売されていた。しかし、視聴者からの反響が大きく、のちに「もしもピアノが弾けたなら」が主題歌に変更され、A面とB面の立場が入れ替わる形となった。


西田敏行さんの、沁みいるような歌い方が、懐かしいですね。

🎤もしもピアノが弾けたなら

もしもピアノが弾けたなら
思いのすべてを歌にして
きみに伝えることだろう
雨が降る日は雨のよに
風ふく夜は風のよに
晴れた朝には晴れやかに
だけど ぼくにはピアノがない
君に聴かせる腕もない
心はいつでも半開き
伝える言葉が残される
アア アー アア ………
残される

もしもピアノが弾けたなら
小さな灯を一つつけ
きみに聴かせることだろう
人を愛したよろこびや
心が通わぬ悲しみや
おさえきれない情熱や
だけど僕にはピアノがない
きみと夢みることもない
心はいつでも空まわり
聴かせる夢さえ遠ざかる
アア アー アア ………
遠ざかる


私が、椅子から落ちた2月16日は、Iさんは歩くのがやっとだったようです。
Iさんからの📩


心配してくれているのか?
龍神さんたちが真上に沢山来てくれてるから、なんとか出かけて来たけど、仕事にならないから早く帰ることにした。



スサノオノミコトが言っていた、隅田川の龍神が来ていたようですね。

Iさんは、以前にみんなで行った後も、一人で丸山古墳の石を雑巾でキレイにしていたようです。

🐷芝公園徒然


この日、Iさんはやっとの思いで仕事を片付けていました。


私はスサノオノミコトが話してきたことを、夜にIさんに電話で話しました。

その間中、キツネがIさんに噛みついていたようで、「痛い、痛い」と言いながらの電話でした。


続きます。

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