「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

秋田の神様の続きの話 その2

2021-06-20 07:30:00 | 日記
4月26日に、秋田の赤神神社の赤神は、いったい京都のどこの神社にいるのかを、聞いてみました。


赤神だ。

赤神様は、京都のどこにいるのですか?

京都の四条通りにある神社にいるよ。
秋田に帰るのは、5月の連休明けだよ。

お参りに行きたいと言う方がいますが、何か欲しい物は、ありますか?

わかった、よろしくな。
私は酒が欲しいよ。

銘柄は何かありますか?

冷酒なら何でもいいよ。
待っているよ。

以前に、粟田神社にいると言いませんでしたか?

粟田神社にいることもあるが、四条通りにいることが多いよ。


私は、京都の四条通りの神社を検索してみました。
すると、八坂神社があることがわかったのて、また、振り子を持って赤神と話してみました。


赤神様は、八坂神社にいるのですか?

そうだよ。
八坂神社だよ。
わかってくれて嬉しいよ。



八坂神社は、有名な神社ですが、私は行ったことがありませんでした。
前回の記事で、粟田神社を調べたら八坂神社から分かれたとのことだったので、大元なのだと思ったのですね。


八坂神社は、656年の創建の神社で、元は牛頭天王の神社なので、祇園社と言われていたのを明治時代に八坂神社に名前が変わったとのことでした。

牛頭天王と言えば主祭神はスサノオノミコトですが、他の祭神も、クシナダヒメと八王子と言われるスサノオノミコトの子供達ということになっていました。

私は、すぐにM川さんに伝えるために、お電話しました。
私が、「四条通りの『八坂神社』にいると言うのですよー」と言うと、M川さんはビックリしたように、


えーー?!本当ですか?
次男が勤めることになった美容室は、四条通りにあるので、引っ越し先も四条通りに決めたのです。
驚きました。鳥肌ですねー


とのことで、私もビックリしました。
赤神は連休明けには、秋田に帰るとのことだったので、5月4日に行かれるということはギリギリだった訳ですね。


そして、5月5日にM川さんから📩と写真が送られてきました。


おはようございます。
金沢のM川です!
昨日に日帰りで赤神様の四条の八坂神社に行って来ました。

緊急事態宣言中に心配しましたけど、何事もなくスムーズでした。
冷酒をとの事でしたが、我々でここかな~って場所にお酒をお供えして来ました(笑)

緊急事態宣言中なんで、人々は少ないかなって思ってましたが、けっこう京都市内は賑わっておりました。

無理やりなお願いを聞いていただいて、本当にありがとうございます。
無事に次男坊の引っ越しも完了し、今日から仕事始めです。

もしよろしければ赤神様、サン様にくれぐれもお伝えくださいませ。

M子さんも旦那様もご自愛くださいませ









キレイな日輪も出たようで、良かったですね。


この下書きを作っている6月19日に、赤神であるオジカの神と話してみました。


赤神だ。

今、どこにいますか?

秋田にいるよ。

なぜ、冬の間は京都にいるのですか?

冬の間は、秋田の山の神社に来る人はいないからな。

確かにそうですね。

だから、(神様達の)会議が終わったら、京都に半年くらいいるんだよ。

なぜ、八坂神社なのですか?

私は、スサノオノミコト様の家来だったからな。
スサの王と言われていた時からだよ。
だから、八坂神社では家族ではないので、孤独と言ったのだよ。
孤独ではないけどな。
ツンデレだから、言ってみたかっただけだよ。


赤神は、「なまはげ伝説」もあるので、平たい顔族の日本人とは、違った姿だったのかもしれませんね。

2年前に秋田の赤神神社に行かれたM川さんご一家は、夏休みだから行かれたようですが、神社までの999段の階段は、かなりキツかったようですよ。

雪が積もっているような季節に昇る人は確かにいないだろうと思いました。
神様の会議は、11月の始めなので、季節的には合っていますね。


🐶 秋田の神様 その2

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秋田の神様の続きの話

2021-06-17 07:30:00 | 日記
4月終わり頃に、金沢在住のM川さんから📩がきました。

M川さんは、カリスマ美容師のAringoのみこちゃんの先輩ご夫妻で、そのご縁から一緒に十津川の旅に行っていただいたり、金沢の整体のY先生を予約していただいたり、ありがたいお付き合いの方です。


夜分に突然失礼いたします。
金沢のM川です。

M子さんもブログを拝見するとお元気そうなので安心します。

以前に十和田湖の十和田神社のお姫様の件でM子さんにお聞きした時に、男鹿半島の赤神神社の赤神様の情報を頂き、その後に参拝させていただきました。

その赤神様が、夏は秋田県男鹿半島の赤神神社にいるけど、普段は京都の神社にいるとM子さんにお聞きしました。

実は5月から家の次男坊が京都に就職が決まり、部屋決めやらで何度か京都を往復するにあたり、、、
氏神様やらをご挨拶させて頂いたた後に ふっと赤神様が頭をよぎり、何て神社だったか?気になって。

ラインさせて頂いた次第です~

次回に京都には5月4日に日帰りで息子の荷物を運ぶ時に、赤神様の神社にご挨拶してきたいと思っています

緊急事態宣言の中に大変申し訳ありません

赤神様の神社と何か欲しいお供え物があれば、宜しくお願いいたします。



以前に秋田の神様の話を記事にしましたが、それは奥様のご実家の秋田に行くのに、気になる場所を聞かれたことから、始まりました。

その時の記事を少し抜粋します。
話してきたのは、秋田の男鹿(おが)半島の赤神神社の赤神でした。
秋田のなまはげは、この赤神からの話のようですよ。
この時も、ヘンテコな話から始まりました。



十和田神社に行くのなら、お笑いの(明石家)さんまが好きな「きなこ餅」がいいよ。

どなたですか?

私は、粟田神社にいるダンスの好きな孤独の神だ。
スサノオノミコトが元気になって良かったよ。
オジカの神と言うよ。
オジカ半島にいるよ。
八郎潟にもいるよ。
オジカ半島で調べたらいいよ。
粟田神社は、京都だよ。
京都は今暑いからオジカ半島にいるのだよ。

牡鹿(オジカ)半島は、宮城県だと思いますが、、、

オジカとは言わないみたいだな。
男の鹿だよ。
「きなこ餅」がいいと思うよ。
伝えたらいい。


🐶 秋田の神様





この記事の中に、京都の粟田神社が出てきました。

この記事の時は、特に調べていませんでしたが、今回調べると、平安時代から京都の粟田口鍛冶町にある神社だとわかりました。
そして、主祭神はスサノオノミコトとオオナムチの、八坂神社から分かれた神社のようでした。


私は、赤神がそこにいるのか、確かめてみました。


続きます。
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水戸光圀の話 その4

2021-06-16 07:30:00 | 日記
4月の終わり頃は、水戸に行ったからかIさんは、また具合が悪くなっていたようでした。

体が重くなっていたそうで、それがやっと楽になった時に話してきたのは、水戸光圀でした。


くす玉が割れたのだよ。

くす玉?

Iの中で、くす玉が割れたのだよ。

どなたですか?

光國だよ。
スミが入っていたから、無くなったということだな。

スミですか?

黒い思いだな。
ずーーーーっと溜まっていた黒い思いがくす玉で、弾けたのだよ。


その後に、Iさんの魂も話してきました。


ねーさん、断っておくけど、本当に大変だったのだよ。
だから、今日は軽くなって良かったよ。
いつも、ありがとう。


とりあえず、落ち着いたようでしたが、その少し後に、なぜくす玉の話になったのかのことになっていきました。

そして、Iさんからはいきなり写真が送られてきて、いつもの如く、どこに行っているのかわかりませんでした。

急に、静岡県の賤機山(しずはたやま)に行きたくなったそうで、過去記事も送られてきましたが、私は知らない場所でした。
2013,7,27の記事なので、私と出会うずいぶん前のことですね。

賤機山は、静岡県の語源になっている山で、静岡県は横に長いですが、まさに真ん中当たりにある山です。


🐷 ややミステリアス


Iさんは、この賤機山の神社を丁寧に巡った後に、三保の松原と久能山の東照宮にも行ったようでした。

Iさんの📩

とても良い日でした。
ありがとう。
光圀さんの為に、
東照宮にも登りました。







そして、5月1日に水戸光圀が話してきました。


たーーーーかーーーーらーーーー(宝)だな。

どなたですか?

先の副将軍、水戸光圀だよ。
Iと静岡に一緒に行けて良かったよ。
東照宮にも行ってくれたからな。
テーーーーストに合格したので、私は飛び級で、六階層に上がったよ。
だから、ありがとう。
去年、八階層になったばかりだから、異例の出世ということみたいだよ。

おめでとうございます。

幕末の志士達が、推薦してくれたと聞いたよ。
水戸の学問が知れ渡っていたからだろうな。
徳川斉昭(とくがわなりあき)は、継承してくれたから、飽くなき水戸の伝統になったのは、良かったよ。

光圀様は、諸国を巡っていたのですか?

私が諸国を巡っていた訳ではないが、助さん、格さんのような人はいたのだよ。
いろんな国に行って話をしてくれる人がね。
だから、隠居しても退屈はしなかったよ。
時がずいぶん経ったのだな。
先の副将軍と、テレビで観ていたよ。
ありがたいことだな。
覚えてもらってね。


光圀が言っていた話は、「水戸学」と呼ばれていることのようです。

🌟水戸学とは、第2代水戸藩主の徳川光圀によって始められた歴史書『大日本史』の編纂を通じて形成された。
特に天保期以降、第9代藩主徳川斉昭のもとで尊皇攘夷(そんのうじょうい)思想を発展させ、明治維新の思想的原動力となった。


私は、最近毎週NHKの大河ドラマの「青天を衝け」を観ていますが、徳川斉昭による尊皇攘夷思想により、当時の若者達が動かされていた様子が描かれています。
主人公の渋沢栄一も、それによって徒党を組んで横浜の外国人居留地を焼き討ちしようとしていたのですからね。

光圀が言っていた幕末の志士達というのも、やっぱり繋がりがあったのだと思いました。

今のように、情報がすぐ伝わる時代ではなかったのですから、伝達するのは、大変なことで、幕末は海外からの船がどんどん押し寄せてきて、どこもかしこも大混乱状態だったのだろうと思います。

渋沢栄一を一橋家の家来に取り立てた、平岡円四郎も、優秀だったようですが、水戸藩士に暗殺されてしまいました。
その後も徳川慶喜の側近の家来達は、どんどん暗殺されてしまったようで、渋沢栄一が生き残ったのは、奇跡だったのかもしれませんね。


次に話してきたのは、笠間稲荷の四兄弟の末娘だと言っていたシズカでした。
Iさんが、夢でキツネ達とサッカーをしたと言っていたからだと思います。


笠間(稲荷)のシズカです。

お兄さん達は、話さないのですか?

兄達は、恥ずかしがり屋なので、いつも私が代表して話しています。
四兄弟だと、わかった人は最近いなかったので、驚いています。
静岡に行きましたよ。
しーーーーとーーーー(使徒)達が。
沢山、ついて行ったので、Iさんは大変だったと思います。
サッカーやったと言っていたでしょう?

はい。言っていました。

あれは、蹴鞠(けまり)ですよ。
使徒達は、いつもやっているのです。
たーーーーかーーーーらーーーー(宝)ですね。


使徒という言い方が最近出てきて、たつやさんから、質問もありました。
丁度話していた熱海のマンションの裏山にいると言っていた、ツナの龍神に聞いてみると、

眷属と妖精みんなです。

と、教えてくれました。
エヴァンゲリオンとは関係ないようですよ。


しばらくして、続きます。
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水戸の旅の後で

2021-06-13 07:30:00 | 日記
私達が水戸の旅に行っていたのは、4月25日でした。

次の日の26日に話してきたのは、この旅のきっかけであった水戸光圀でした。


水戸光圀だ。

昨日のは、あのような感じで良かったのですか?

あれで良かったよ。

場所は、合っていましたか?

場所は、神社ではなく鴨志田家の墓だったのだよ。
鴨志田家が、古墳を守っていてくれていたが、今はいなくなってしまったからな。
仕方ないと思うよ。
これから、墓守りはどんどんいなくなるだろうな。
繋がりは、少なくなるだろうしな。
頼りにしていると、神達が言っていたのがわかるよ。
私も神になったばかりだけどな。
修行して、上の階層になろうと思うよ。
水戸は、いいところだっただろう。

はい。

また、来てくれよな。
笠間(稲荷)のキツネが話したいそうだ。


私が若い時には、結婚式には仲人を立てるのが普通でした。
私も夫と「頼まれ仲人」を二組したくらいですからね。

今や、結婚式で仲人を立てることは、ほとんどなくなったと聞いています。
データでは、10%くらいなのだそうです。

墓守りの話も、それが結婚の条件になっていて、結婚が出来ないという話も当時はいくつか聞きました。
30年前くらいで、そんな感じだったのですから、時代は急速に変わっているのでしょうね。

昨年からのコロナ禍では、いろいろな式が無くなっているので、余計加速していくのではないかと思います。

「蒼いとびら」が始まって、一年になりますが、同年代の方から墓じまいについての話もいくつかありました。


水戸光圀が笠間のキツネと言っていたので、呼んでみました。


笠間のキツネです。
昨日は、私の眷属のために、まんじゅうありがとうございました。

栗まんじゅうではなかったのですが、良かったですか?

栗まんじゅうは、季節でないと言っていましたね。
大丈夫ですよ。
まんじゅうが食べたかったみたいなので。
伏見のキツネからも聞いていました。
世界は、寸断たれてしまうと言われていましたが、少し戻ったようですよ。
本当にラストにしないで欲しいので、私達もがんばります。

よろしくお願いします。


笠間のキツネさんも喜んでくれたようで、良かったです。
ズンドコ節を歌いながら、Iさんについて行ったのは、眷属のキツネさんだったようですね。

ズンドコ節は、今は氷川きよしさんが浮かびますが、私達の年代はドリフターズですかね。

ルーツは、「海軍小唄」という、戦地に赴く兵隊さんの本音の歌のようですよ。
軍歌と言えば軍歌になるのでしょうか。
沢山の人が替え歌のように歌っているのは、ズンドコ節の耳に残る面白さですかね。





Iさんからの📩

これね、
4匹の狐さんが纏まっている姿ではないかと。
頭が4つあるんだよね。
右に伸びる長い雲は4体のフサフサな尾が重なっている感じだよね。


27日に話してきたのは、カラツの神でした。
Iさんが、言っていた笠間稲荷神社に向かう途中で見えた雲についても聞いていました。


カラツの神です。
話したかったです。
「時の扉」は今年中ですから、よろしくお願いします。
笠間のキツネが喜んでいましたよ。
笠間のキツネは、大丈夫です。

キツネさんは、4ついるのですか?

兄弟なのですよ。
四兄弟ですね。
男三匹と女一匹ですね。
昨日、話していたのは、女のキツネです。
先日、M子さんのお父さんが、三代前と言っていたでしょう。

はい。言っていました。

良いことも悪いことも、三代に影響するのです。
浮わついていなければ、大丈夫です。


私は、また笠間稲荷のキツネさんと話していました。


笠間のキツネです。

キツネさんは、四兄弟の女のキツネさんですか?

私は四郎介と言われていましたが、「しずか」という名前です。


私がIさんに、この話を伝えると、笠間稲荷のキツネさんは確かに四兄弟だという伝承を教えてくれました。


伝承については、Iさんの記事に詳しく載っています。


🐷 笠間徒然



やっぱり、カラツの神が言っていたことは正確なのだと思いました。
亡くなった父が話していたのは、記事にした通りです。


🐶 父とサン(スサノオノミコト)の話


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水戸の旅 その3

2021-06-11 07:30:00 | 日記
笠間稲荷神社の鳥居です。
キツネさんのオブジェがありますね。


鳥居をくぐり、門までの間にはお土産屋さんや、神棚とお供えに使う品々のお店が並んでいました。


もう、すっかり雨は止んでいて、左手には光の柱がキレイでした。



右手には、さざれ石としだれ桂。





門をくぐると、右側に素晴らしい藤棚があり、まさに満開でした。
日曜日でしたが、雨模様で時間的にも4時くらいだったからか、観光客の姿も疎らでした。
一番は、コロナのせいでしょうけどね。





拝殿で、お参りした後に、Iさんが右手の方に歩いて行って、「こっちに何かある」と行ってしまい、私達4人は後を追って行きました。

そこには、狐塚がありました。


Iさんが、

あーここだ!
みこちゃん、ごめん。
さっき、拝殿に置いてきたおまんじゅう持って来て!


と、言ってみこちゃんが走って行ってくれました。

ここは、本殿の裏側でもあり、本殿の彫刻が素晴らしかったですよ。






みこちゃんが、おまんじゅうを取って来てくれて、狐塚に供えました。





笠間稲荷神社に着いた時に、Iさんから何が欲しいか聞いてと言われて聞いてみました。
実際に言われたのは、


ズンドコ節を歌いながら行ったのです。
栗まんじゅうが欲しいです。


だったのですね。
私がミクネの神(天之常立之神)に聞いた時に、

ズンドコ節のキツネだよ。

と言っていたのは、Iさんが感じた通り、笠間稲荷のキツネさんだったということですね。

拝殿の方に戻り、みんなでキツネさんの形のおみくじを引いていました。



Iさんは、家にあるおみくじの鹿さんの横に置きたいと言っていました。

いつも、近くに来ていたのに、寄らなかったから、今回は来て良かったと言っていたので、ズンドコ節のキツネのお陰様ですね。

帰り道は、大変な大渋滞に巻き込まれましたが、Iさんの状況判断のお陰様で、無事に帰ることが出来ました。

水戸光圀様の話から、半年近く掛りましたが、何とか、役目を果たせたようです。


続きます。
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