今日は、東京から朝日新聞の「ニッポン人脈記」班が河辺の屋根付き橋に係わった人脈の取材を受けました。随分昔のような気はしますが、肱川町に移住されてたバントック京子様より、マデソン郡の橋の小説を紹介され、時を同じくしてマデソン郡の橋が上映され、すごい反響をよんでました。一人で行くのも気が引けて家内と松山まで深夜映画を見に行きました。映画は素晴らしかったのですが、橋はまだ河辺の屋根付き橋が情緒があるな感じたのが、河辺の屋根付き橋八橋を、浪漫八橋と名づけ売り出す切っ掛けとなりました。合併して大洲市の周辺部となり、どんどんと取り残されいくような感じを受けていますが、当時ふるさとの宿を造り、脱藩の道を世に出し、浪漫八橋で売り出していたこと、中には批判される方もありましたが、あながち間違いではなかったと思うこのごろです。毎年わらじで歩こう坂本龍馬脱藩の道を400人近くの人が歩いていただき、感謝しています。