梅木よしてる徒然日記

人生60歳代からが黄金の時代だとか、我が家は黄金の人生??悪戦苦闘の人生ですが、黄金の人生を目指しています。

母の日

2013-05-12 20:53:11 | Weblog
母の日、世のおかあさんは、送られたり、送ったり、忙しい1日を過ごされた事でしょう。
我が家も、娘たちから送られた母の日プレゼントに感激する一方、自分の母へのプレゼントを届けに行ったところです。
大正15年生れの88歳ですので、あと何年母の日のプレゼントを届けられるでしょうか。
幸い義母は同じ町内に住んでいるので度々訪ねて、話を聞いてあげるのが何より一番のプレゼントだろうと思います。

母の日ポータルサイトで、母の日撮っておきエピソードキャンペーンの発表がありました。
少し紹介します。

最優秀賞
ペンネーム るいともさん

末っ子の私が4歳の時に夫を病気で亡くした母は、苦労の末4人の子供を育て上げてくれました。働きづめだった母に、恩返しができるようになったのは、私が結婚し、二人の息子が5~6歳のころ。姉二人と母を誘って、伊豆への親孝行旅行を企画したんです。小さい子供のいる私だけはこぶ付きで、伊豆への旅をしました。ワニ園で歓声を上げる息子たちを見て、母はポツリ。「子供に楽しい思い出を作ってあげることができなかった」って。姉と3人で言いました「お母さん、私たちを生んでくれてありがとう!」その言葉を聞いた時の母の顔は忘れられません。しわだらけの顔が輝いて見えました。その母もなくなって今年で8年目。天国のお母さん、そちらでは幸せに過ごせていますか?

優秀賞
ペンネーム rinokoppさん

子供のころ母の日にカーネーションを駅前の花屋で買って、夜ごはんの時に渡すようにこっそり自分の部屋においていた。どきどきしながら。そして夕飯のときにおもむろに差し出しながら、「はい」と照れ笑いしながら渡すと、母は少し大げさに声を出して喜んでくれた。「まあ、きれい!ありがとう」それからすぐにコップに数輪の淡いピンクのカーネーションをいけて、「きれいね、ありがとう」と母は連呼しつづけた。私はなんとなく誇らしいような恥ずかしいような気持ちになった。毎年そのくりかえし。幼い私はひとにものを贈るといううれしさ、感謝する喜びをそのとき学んだような気がする。ものはともかくどんな小さなものでも感謝の気持ちを伝えられることは、それ自体が素敵なことでありがたいことだと思う。今年もすこし照れながら、母に感謝の気持ちを伝えよう。カーネーションとともに。

優秀賞
ペンネーム もえなさん

結婚して初の母の日、義母に贈るカーネーションを選んでいると、ふとガーベラが目につきました。以前、実家を訪れた際にガーベラが飾ってあったのを思い出し、1輪だけラッピングしてもらいました。カーネーションを渡すと、義母は「私の娘になってくれてありがとう」と言ってとても喜んでくれました。その後に、「これも一緒に」と言って、ガーベラを差し出すと、「どうして?」と不思議そうに聞かれました。「以前、来た時にリビングに飾ってあったので」と答えると、義母は「本当に嬉しい」と涙を流して喜んでくれました。こんなに喜んでもらえると思っていなかったので、正直、私の方が驚きましたが、きっと、このガーベラには何か義母の大切な想い出が詰まっているのかなと感じました。それから毎年、母の日にはカーネーションと一緒にガーベラを贈っていますが、いつの日か、義母の方からガーベラのエピソードが聞けるといいなぁと思っています。