エイターの周辺が、ざわついてます。
大忙し、です。
大変です。
どなたさまにとっても、悲喜こもごもの週末になりそうです。
ええ、もちろん、我が家でも。
ツアーはね。
まだ申し込んだところの当落は出てませんので、
そちらは、ドキドキが先延ばしになってますけれども。
例の、上映会の方はね、
もう、ドッキドキですよ。
一番近い上映館では、一番たくさん入る座席数をエイトに充ててくれたんだけれど、
とりあえず、3回の上映はしてくれるみたいなんだけれども、
それでも、総数1200あまりですからね。
申込に、いろいろ考えてしまったわけですよ。
本当は、エイトを知らない人たちに、たくさん観てもらったほうがいいんじゃないか、とか。
どっちにしても、特典つきのアルバムを買うわけだから、
無理する必要ないんじゃないか、とか。
月曜日は、婆さんも自宅にいるし、
もし当たったとして、一日外出なんて可能かしら?とか。
(まあ、これは、当たってから考えればいい話だけど)
でもやっぱり、エントリーしちゃったのよねー。
MステのSPのときに、後ろに映ってた映像。
あれを、大きなスクリーンで見られるっていうのは、
やっぱり、とても魅力的なお誘いでした。
どうなるかなー。
ざわざわするなー。
いろんなことが、詰め込まれすぎてる秋ですね。
開け放した窓の外から、
虫たちが奏でる、小さな綺麗な音が聞こえてきます。
降り出した、雨の音に混じるように。
珍しく、通りの車の音も、響いてこないくらいに静かな夜です。
耳を澄ましたら、
遠い街で、すばるが奏でてるかもしれない音まで聞こえるかも、
と思わせてくれるような。
すばるが奏でる音、を、何故思い浮かべていたのかといえば。
今月号のWITHの東京散歩のページで、
ヤス君と一緒に、ギターを抱えてるすばるの姿を見たからです。
(今頃、でごめんなさい)
にかっ!って笑ってる顔も、
大事そうにギターを抱きしめてる表情も、
無論、私の大好きなすばるの表情です。
愛しくて、抱きしめてしまいたいくらいの。
でもそれよりも。
やっぱり、ギターと向き合って音を奏でてるすばるの姿の方が、好き。
こんな彼のそばにて、
いつまでも彼を見ていたい。
ギターを鳴らしながら、自分の心と向き合ってる彼のそばにいたい。
ずっと、ずっと。
見られてるのを嫌がるかな。
ギターを弾いてる彼のそばで、
じゃあ、私は私で、なにか違うことをしていようかしら。
彼がつまびく、ぽつん、と流れる音符を一つずつ編み込むように、
編み物でもしていましょうか。
こぼれだした音を集めるように、
小さな端切れのピースをつないで、パッチワークでもしてみようか。
それとも、彼の姿を閉じ込めるように、スケッチブックを開きましょうか。
ヤス君との会話は、
最近になって、やっとオンオフの切り替えが出来るようになった、ってお話でした。
あと、10年くらいの長いお休みをもらって、
全く違う民族が暮らすところで暮らしてみたい、と。
いつでしたっけ。
どこで、でしたっけ。
似たようなニュアンスのお話を、彼はしていたことがありますよね。
歌で、子供たちに笑顔をって。
今はまだ、
そんな他愛のない、突拍子もない話も、
いつか、彼なら実現させるんだろうな、って思ってしまう。
枠とか、型とか、ありきたりの常識、ってものに捉われない生き方を、
選んで生きていきそうな彼だから。
ヤス君に、
「絶対戻って来てや!」って言われて、
「もちろん!得たもの全部、グループに持ち帰って来る」って答えてるすばるには。
やっぱり、真中に、「関ジャニ∞」って核があるんだ、ってことを再認識させられてるようで、
嬉しかったな。
傍目には見えない、変わらないように見えるものも、
少しずつ、ゆっくりと、確実に、
彼の中で、変化し続けている。
それは、嬉しいこと、ですよね。
自分自身を生きるのが生き難い、と感じていた彼の、
それは、
確かな成長の証、だと思うから。
明日、また、彼のおしゃべりが聴ける事を願って。
大忙し、です。
大変です。
どなたさまにとっても、悲喜こもごもの週末になりそうです。
ええ、もちろん、我が家でも。
ツアーはね。
まだ申し込んだところの当落は出てませんので、
そちらは、ドキドキが先延ばしになってますけれども。
例の、上映会の方はね、
もう、ドッキドキですよ。
一番近い上映館では、一番たくさん入る座席数をエイトに充ててくれたんだけれど、
とりあえず、3回の上映はしてくれるみたいなんだけれども、
それでも、総数1200あまりですからね。
申込に、いろいろ考えてしまったわけですよ。
本当は、エイトを知らない人たちに、たくさん観てもらったほうがいいんじゃないか、とか。
どっちにしても、特典つきのアルバムを買うわけだから、
無理する必要ないんじゃないか、とか。
月曜日は、婆さんも自宅にいるし、
もし当たったとして、一日外出なんて可能かしら?とか。
(まあ、これは、当たってから考えればいい話だけど)
でもやっぱり、エントリーしちゃったのよねー。
MステのSPのときに、後ろに映ってた映像。
あれを、大きなスクリーンで見られるっていうのは、
やっぱり、とても魅力的なお誘いでした。
どうなるかなー。
ざわざわするなー。
いろんなことが、詰め込まれすぎてる秋ですね。
開け放した窓の外から、
虫たちが奏でる、小さな綺麗な音が聞こえてきます。
降り出した、雨の音に混じるように。
珍しく、通りの車の音も、響いてこないくらいに静かな夜です。
耳を澄ましたら、
遠い街で、すばるが奏でてるかもしれない音まで聞こえるかも、
と思わせてくれるような。
すばるが奏でる音、を、何故思い浮かべていたのかといえば。
今月号のWITHの東京散歩のページで、
ヤス君と一緒に、ギターを抱えてるすばるの姿を見たからです。
(今頃、でごめんなさい)
にかっ!って笑ってる顔も、
大事そうにギターを抱きしめてる表情も、
無論、私の大好きなすばるの表情です。
愛しくて、抱きしめてしまいたいくらいの。
でもそれよりも。
やっぱり、ギターと向き合って音を奏でてるすばるの姿の方が、好き。
こんな彼のそばにて、
いつまでも彼を見ていたい。
ギターを鳴らしながら、自分の心と向き合ってる彼のそばにいたい。
ずっと、ずっと。
見られてるのを嫌がるかな。
ギターを弾いてる彼のそばで、
じゃあ、私は私で、なにか違うことをしていようかしら。
彼がつまびく、ぽつん、と流れる音符を一つずつ編み込むように、
編み物でもしていましょうか。
こぼれだした音を集めるように、
小さな端切れのピースをつないで、パッチワークでもしてみようか。
それとも、彼の姿を閉じ込めるように、スケッチブックを開きましょうか。
ヤス君との会話は、
最近になって、やっとオンオフの切り替えが出来るようになった、ってお話でした。
あと、10年くらいの長いお休みをもらって、
全く違う民族が暮らすところで暮らしてみたい、と。
いつでしたっけ。
どこで、でしたっけ。
似たようなニュアンスのお話を、彼はしていたことがありますよね。
歌で、子供たちに笑顔をって。
今はまだ、
そんな他愛のない、突拍子もない話も、
いつか、彼なら実現させるんだろうな、って思ってしまう。
枠とか、型とか、ありきたりの常識、ってものに捉われない生き方を、
選んで生きていきそうな彼だから。
ヤス君に、
「絶対戻って来てや!」って言われて、
「もちろん!得たもの全部、グループに持ち帰って来る」って答えてるすばるには。
やっぱり、真中に、「関ジャニ∞」って核があるんだ、ってことを再認識させられてるようで、
嬉しかったな。
傍目には見えない、変わらないように見えるものも、
少しずつ、ゆっくりと、確実に、
彼の中で、変化し続けている。
それは、嬉しいこと、ですよね。
自分自身を生きるのが生き難い、と感じていた彼の、
それは、
確かな成長の証、だと思うから。
明日、また、彼のおしゃべりが聴ける事を願って。