すばるに恋して∞に堕ちて

新たに。また1から始めてみようかと。

言葉は暴力と心して。

2011-08-07 21:32:46 | コンサート・ライブ・舞台

トラストの私的感想です。
あくまでも、私的。
どなたかを非難するつもりも批判するつもりもありません。


8月6日昼公演
役者として舞台にたつヤスを見るのは、初めて、でした。

スポットライトの中に浮かぶヤスは、登場シーンではまだ、私の目にはヤスでしかなかったのに。
物語が進むにつれ、次第に舞台に引き込まれ、話にのまれていく私がいました。

この日のこの時の客席には、やたらと笑いの沸点が低い割に、声の高い方がいらして、
それがいちいち邪魔だったといえば、邪魔だった気はしましたが。
それは舞台の上には、なんの関係もないことで、
舞台は至極テンポよく、軽快に進んでいました。

父親と息子の関係。

舞台の上の彼が、父に対して小さな反発を繰り返すたび、
仕草や口調や、戸惑う感情の爆発のさせ方に、
我が家の息子の姿が重なりました。
(我が家では、父に、というよりはもっぱら私に対して、ですが)

「最愛の人」を亡くした、その事実は同じなのに、
「最愛の家族」を想うがゆえに、すれ違ってしまった親子。

自らの運転で、息子から母を奪った罪悪感をかかえ、
その息子を置いて逝かねばならない事実と向き合う父が発した言葉。

その言葉の裏にあるものに気づくには、一途でありすぎた息子は、
その分反発も強くなる。

優しくて男気のある主人公の姿は、演じているヤスの素直さをスパイスにして、
舞台の上でひと回りもふたまわりも大きな存在になってゆく。

誰もが優しく、
誰もが少しばかり自分に正直で、
決定的な悪人のいない世界。

思いやる心が、ほんの少しずれるだけで、
受け取る心までもがずれてゆく。

だからこそ、誰もが自分の心にほんの少し素直になるだけで、
絡んだ糸がほぐれていく。

舞台を見ながら考えていたのは、
やはり、私と息子の関係性でしかなく。

息子の心を推し量るには、私がちゃんと「親」にならなければならないってことで。

つまりは、前途多難ってことで。

あ、舞台の感想にはなってないわ(笑)

事実が分かって誤解がとけて、
でもそれが最期になったシーンは、胸に迫るものがありました。

ひざを抱えて泣きじゃくる息子と、
彼に肩を寄せ、頭を愛しそうに撫でる父の姿があったかくて。

反発しあった時間の長さも、無駄ではなかったのだと。

どたばたな笑いのシーンや、軽快なやりとりがあっただけに、
このラストは記憶に深く突き刺さって来ました。



舞台終了後、挨拶に立った演者を包む大きな拍手。
あったかい笑顔を見せるヤス。
挨拶が、やっぱりヤス的だったのには笑った。

最後の最後の投げチュウと、
窓越しのバイバイは可愛かったな。

やすだデレ期は来なかったけど、∞に逢いたいライブに行きたい病は発症したかも(笑)

テゴマスツアーとアルバム発売が発表になっておかげで、
さらに加速していく、枯渇感。

満たされるのは、いつの話かなぁ。