殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

施設ジプシー・1

2025年02月18日 10時03分06秒 | みりこんぐらし
実家の母サチコの退院が近づいている。

年末年始にデイサービスと日に2回の弁当配達が休みになるため

かかりつけの精神病院に頼んで一時的に入院させてもらったものの

本人が「まだ入院していたい」と言うので

今月末まで延長してもらっていた。


この約2ヶ月、デイサービスの送り出しに通うこともなく

頻繁な電話や呼び出しからも解放されて

数年ぶりにのんびり過ごせた私は、体重が少し増えて元気を取り戻した。


だが退院の日が近づくにつれて

「こうしてはいられないのではないか…」

そんな焦りにも似た気持ちが湧き起こる。

91才、認知症と鬱病で要介護2のサチコが

2ヶ月も病院で暮らした後で、急にまた一人暮らしに戻れるだろうか。


…無理のような気がする。

「一人だと不安で安眠できない」

「昼と夜の弁当は届くが、朝ご飯は自力なのが億劫」

「デイサービスに行ったり来たりするのはしんどい」

日頃、そう主張するサチコがおとなしいのは

その三大問題を入院生活が解決しているからだ。


サチコと離れて暇ができると

私はしきりに隣のおばさんを思い出すようになった。

前回の記事でお話ししたが、90才を迎えて一人暮らしがつらくなり

3年前に広島市内の息子さんの所へ引き取られたおばさんだ。


引き取られる1〜2年前は、忙しかった。

家電が動かない、虫が出た、気分が悪いなど

様々な理由で呼び出されては、ほぼ毎日通っていた。

行けば一人ぼっちの我が身をとめどなく嘆き

クスン、クスンと幼児のように甘えた泣き真似をする。

幼児なら可愛いけど、何しろ相手は当時90の婆さんだ。

それを聞くたびに寒気を感じたものだが、今思えばサチコとそっくり。


あの頃、私は確かに思っていた。

ひょっとしたら、おばさんは隣の私をわざとこき使って

息子さんに苦情を言わせたいのでは…。


「いくら隣でも、こう毎日世話をさせられたんじゃあ困ります。

何とかしてくださいっ!」

私が息子さんに抗議すれば、彼は動かざるを得ない。

広島の家を処分して、自分の元へ帰ってくれるはず…

おばさんは、そう考えていたのではないだろうか。


「隣の若奥さんが怒ったから、息子が帰るしかなくなった」

彼女は、この状況を目指していたような気がする。

悪者は私で、息子さんは被害者。

そしておばさんは、年寄りだから何も知らないという立ち位置。


なぜこんなに手の込んだことをするかというと

息子さんと自分の仲だけは、良い状態に保ちたいから。

帰れ帰れとうるさくせがんでも息子さんに嫌われるだけなので

第三者の口から言わせる魂胆だ。

実際、彼女の言動は時々芝居がかっていて

こちらを思い通りに動かそうと画策する計算高さを感じたものである。


おばさんには、鬱病の入院歴があった。

そしてあの頃の彼女は、認知症が始まっていた。

つまり、今のサチコと似たようなものだ。


認知症と鬱病が重なると、皆がそうなるわけではないと思うが

よく考えたら、おばさんとサチコの言動には共通した部分が多い。

ボンヤリしていたかと思えば泣き、泣いたかと思えば

ニタリと笑ってギョッとするようなことを口走る…

物腰が柔らかくナヨナヨしたおばさんと

歩く凶器サチコとは全くの別物と認識していたが

症状は同じと言えるかもしれない。


だとすると、サチコが私を無料の召使いとして

無体に扱う理由もわかるというもの。

誰だって他人より我が子の方がいいので当然だが

サチコは実子のマーヤを実家に呼び戻して、そばに置きたいのである。


あまりのワガママに私がサジを投げ

「もう手を引く!」

そうマーヤに宣言したら思うツボ。

「継子が逃げたので、娘が関西から帰ってくれました」

この状況に持ち込めるというわけ。

この際、マーヤが仕事を辞めようが家族と別居しようが

サチコの知ったことではない。

サチコ自身は決して悪者にならないまま、悲願は叶うというわけだ。


こんな悪質な老婆の面倒を、この先見続けることができるのだろうか…

サチコも、再び始まる一人暮らしに耐えられるのだろうか…

そう思い始めた私は、施設探しに着手した。

《続く》
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不穏な空気

2025年02月15日 13時24分02秒 | みりこんぐらし
うちの左隣の家は以前、90才のおばさんが住んでいた。

彼女はご主人を亡くして7〜8年の間、一人暮らしをしていたが

だんだんおかしくなって広島市内の息子さんに引き取られた。

が、お嫁さんと折り合いが悪いため

ほどなく老人ホームへ入居して、一度電話があったきりだ。


おばさんが老人ホームへ入ると、築38年の大きな家は

すぐに売りに出された。

新聞に挟まれていた広告を見たら、2千万超え円の高値。

敷地が広いのと駐車場が大きいのが、セールスポイントらしい。


広告が出ると、何人かが見学に訪れていた。

「誰が買うんだろう?」

隣に住む我々は、興味しんしん。

だって、隣人って大事じゃないの。

変わり者や怪しげな人は嫌だし、前の住人みたいな高齢者も困る。

生前のおじさんは認知症になって包丁を振り回したし

おじさん亡き後のおばさんとは、近所付き合いというより介護だった。

夫婦が同時に亡くなることは無いため、残された年寄りには手がかかる…

おばさんや近所の実例でそのことを知り

実家の母サチコで身に沁みた私である。


隣の家は広告が出るたびに少しずつ値を下げ、やがて買い手がついた。

うちと同じシルバーストリートに住む80才の女性Sさんの

姪一家だそう。


引っ越しに先駆けて、そのSさんから挨拶があった。

「30代半ばの若い夫婦と幼、小、中の子供が3人いるから

うるさいだろうけど、よろしくね。

子供が騒ぐからアパートを出ることになったんだけど

広い庭が欲しいと言って、あの家に決めたのよ」


そして一昨年の4月、一家は隣へ引っ越してきた。

市内にある三交代の工場に勤めるご主人は

少々ヤカラ臭が漂うが、話すと柔らかい人物。

病院で受付のパートをしている奥さんは、しっかり者という印象だ。

Sさんの姪一家という安心感に加え、願ってもなかった若いファミリーに

我々は胸をなでおろした。


しかしその一方で我々は、住宅ローンよりも家の維持費を案じた。

車を2台持って育ち盛りの子供3人を育てながら

あの大きな家を維持できるだろうか… 。


なにせ隣は、華道教室だった。

教室用の大広間をメインに設計され

間取りに難が多いため電気代がハンパない。

敷地が広いので固定資産税も高く

生徒の増加を見越して作った特大の浄化槽は清掃代金が十万超え。

しかし生徒は増えず、華道教室は早晩、開店休業となったのはともかく

それらの維持費が年金生活を圧迫すると、おばさんはよくこぼしていた。


が、奥さんの父親…つまりSさんの弟が毎日出入りして

共働きの両親に代わって子供たちの面倒を見ているし

Sさんから、奥さんの両親はすでに年金生活だが

ご主人の実家は建設系の自営業だと聞いたので

大丈夫だろうと思い直した。

親がしっかりしていれば、経済援助が受けられると思ったからだ。


隣の夫婦は人懐こくもなく、かといって素っ気ないわけでもなく

隣人としてちょうどいい。

欲しかったという広い庭で、ご主人が小学生の息子に野球を教えたり

夏はビニールプールで遊ばせたり、友だちを呼んでバーベキューをしたり…

「家を持ったらこうしたい」と思っていたであろう夢を

着々と実現する一家に、我々は目を細めるのだった。

賑やかな子供の声が聞こえるって、嬉しいことなのよ。


ともあれ2年近くも隣に住んでいれば、色々なことがわかってくる。

それは奥さんが、次男の同級生の妹だったからだ。

前に住んでいたアパートを出たのは

子供の騒音で隣人と喧嘩が絶えず、何度も警察沙汰になったから…

ご主人の父親は自営業という名のフリーターで

奥さんの両親はパチンカー…

Sさんから聞かされた内容とは、少しズレがあった。


その隣の家が今、大変なことになっている。

先月の半ば、ご主人が仕事を辞めたのだ。

夫婦が大声で喧嘩をしていたのが聞こえて、知った。


その内容によると、ご主人は元々仕事が続かないタイプで

知人の世話で工場に就職し、まだ年月が浅いうちに家を買ったらしい。

「何で黙って辞めたん!紹介してくれた◯◯さんに何て言うんよ!」

「仕事が合わんのじゃけん、しょうがなかろうが!」

「あんたが無職になったら、どうやって払うんよ!」

「仕事探しゃあええんじゃろうが!」

「どうせまた辞めるじゃろ!」

「うるさい!」


子供たちはどんな思いで、この言い争いを聞いていることだろう。

昨年末に働かない旦那を捨てた同級生モンちゃんのこともあって

私の胸は痛んだ。


あれから1ヶ月、ご主人がスーツを着て出かけるのを何度か見た。

おそらく面接だと思われる。

「再就職して欲しい…」

私は切に願った。

だって離婚して一家離散となったら、隣はまた売りに出る。

今度は誰が買うやら。

彼らにはぜひとも、頑張って住み続けてもらいたいではないか。


しかし先日、また大きな喧嘩が勃発。

以後、奥さんと子供たちの声は聞こえなくなった。

実家へ帰ったのだと思う。

一家の行く末を案じている。
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靴下番長

2025年02月12日 08時44分44秒 | みりこんぐらし
何を着ようと、変わり映えのしない65才。

去年の秋から冬にかけて

同級生マミちゃんの洋品店で何枚か買ったものの、どれも今ひとつ。


中でも一番の失敗は、この白シャツか。



キリッとした真っ白のシャツって、一着は持っていたいアイテム。

ちょっと厚手だし、冬に白ってなかなかいいじゃんと思い

久しぶりに買ってみたけど、これは失敗だった。

…似合わんのだわ。

さびれた遊園地で所在なく切符もぎをするおばちゃんって感じ。


おばちゃんに異存は無いけど、制服めいているというのか

馴染まなくて浮いている。

これを“着こなせてない”というのだろう。

おそらく学生風の襟の形と、綿85%という素材の問題。

くすんだ高齢者には、カジュアル過ぎるんだと思う。


マミちゃんの店のマネキンは、このシャツの上に

カーキ色のダボッとしたベストを合わせていた。

私はカーキ色が似合わないのでシャツだけ買ったんだけど

カーキ色より似合わないのは、この襟と綿素材だった。


「私が着たら、何か変なんよ…」

マミちゃんに相談すると

「上のボタンを開けて、中に薄手のハイネックを着たら?

ほら、こないだ買ってくれたオレンジやマゼンダの」

とアドバイス。

おお、そうじゃそうじゃと思ってやってみたが

化繊のハイネックと綿のシャツは相性悪し。

お互いに引っかかって、動きにくいんじゃ。

結局、一度も日の目を見ず。


他に買ったワコールの上衣…あれはプルオーバーと呼ぶのか…

これも失敗だったかも。

素材はポリエステル100%で

高齢者の崩れた体型にテロンと柔らかく沿ってくれる。

が、ポリエステルの生地はひんやりするのが特徴なんじゃ。

秋冬の新作ということで買ったけど、寒くてしゃあない。


他にも買った、やはりワコールのズボン…

あれは何と呼ぶのか、足首までの丈で

裾がタックで縮めてあるモンペみたいな攻めたデザイン…

深緑色のこれも、出番が無いまま終わりそう。


よく考えれば私は、こんな突飛なズボンを

カッコよく着こなせる人物ではなかった。

色は派手好みでも、デザインはオーソドックスな服が多いので

無理にはいたところで、上に着る物も靴もバッグも雰囲気ズレズレ。

“無理してズボンだけ買いました”感が、虚しく漂う。

よって、この秋冬物は全敗に終わった。

もう冒険はすまいと心に誓う。



そんなファッション負け組のダサい私でも

唯一、密かに自信を持つアイテムが。

それは靴下。

笑っちゃうね。


隣市のスーパーの2階に

女性用の小物を色々置いているショップがある。

近年、寒くなってくると、私はそこへ靴下を買いに行くのだ。

可愛くて暖かく、柔らかくて丈夫で厚みもほど良い。

ナンボ暖かいのがいいといっても、あんまりゴツいと

靴が入らなくて困るからね。


しかもカカトがガサガサにならないばかりか

つま先から足首まで、強からず弱からずフィット。

その使用感は何度洗っても変わらない。

ほどよく締まる靴下って、年寄りには大事なのよ。

どんなに素敵なデザインでも

靴下の中で足が泳ぐようなのは疲れるんだわ。
 

そんな申し分ない靴下なのに、何と三足で千円という信じられない安さ。

わざわざ買いに行く価値があるというものよ。


この靴下に出会うまで、私の靴下ライフは微妙なものだった。

冬はマミちゃんの店でカカトガサガサ防止の靴下を買い

あと先は同級生ユリちゃんのお寺で料理をした時に

お礼だかご褒美だかで支給される靴下を消費する暮らし。


ただし靴下は、毎回くれるのではない。

年に2回か3回、お祭りと大きな行事の時だけ

マミちゃんの店で380円で販売されているのを十足ほど並べ

我々料理番と、手伝いをした檀家さんに一足ずつ選ばせてくれる。


だけどマミちゃんの店は年配女性がターゲットなので

グレー、茶、くすんだピンク…どれも見事な婆色。

もう少し高い靴下なら可愛いのがあって、私も時々買うんだけど

店で一番安いのといったら無地の婆色しか無い。

小ましなのは黒だが、黒はお寺の嫁の必須アイテムということで

彼女と兄嫁さんが先に取ってしまい、我々は残った婆色ワールドで彷徨う。


そんな裏悲しい靴下ライフに喜びをもたらしてくれたのが

この子たち。


未使用のが4足あったので、見せびらかしてみた。

美しい花柄のこれを履いていると、幸せな気持ちになる。

願わくば今後も毎年、販売して欲しいと願っている。
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婆ネタ・5

2025年02月09日 16時49分17秒 | みりこんぐらし
サチコが入院を今月末まで延長した理由は

同級生のデイサービス仲間メイ子ちゃんについた嘘が

バレないようにするための格好…
 
格好というワードで延長の謎が解明されると

もう一つ残っていた疑問も自然に解消された。

今回、どうしてサチコが素直に入院したか…である。


それは、施設の職員に向けた格好。

延長がメイ子ちゃんに向けた格好なら

入院は施設の職員向けの格好というわけだ。


最初は誰でもそうであるように、サチコは入院を嫌がった。

嫌がるというより、正月に行き場の無い自分をしきりに嘆く。

担当医には「入院します」と言ったものの

例のごとく、心が揺れ続けるヒロイン状態だ。


施設には、「実子が帰省しなければ入院」と伝えてあった。

こういうのも個人情報なので、メイ子ちゃんを始め

デイサービスの利用者に漏れることは無い。

しかしその伝達は職員全員が共有していて

入れ替わり立ち替わり、デイサービスの迎えが来るたびに

「娘さんが帰られるから、いいですね!」

サチコにそう話しかけていた。


けれども12月の半ばになると

実子のマーヤが正月の帰省に消極的だとわかってきた。

帰省の話が出ても電話が無い、かけても留守、リターンも無し。

これが続けば、認知症でもわかる。


その頃から、サチコは精神安定剤とビールを飲み始めて

朝、起きられなくなった。

私はサチコがよくやる、周囲を困らせて気を引くための

パフォーマンスと思っていたが

本人はマーヤが帰らないとわかって絶望したと思われる。


一人娘に対するサチコの思いは、尋常でなく強い。

帰らないとなると、サチコにはやるべきことがあった。

施設の職員に、マーヤが冷たい娘だと思われないよう立ち回ること。

それには入院しかなかった。


「入院するから、帰省はしなくていい」

先にそう断ったという格好にすれば、娘の低体温は問われず

ついでに「娘から嫌われた母」という汚名も払拭できる…

誰もそんなこと思やしないんだけど

いつも他人のそういう部分を見透かして、あざ笑ってきたサチコは

いざ自分にそういう事態が訪れると

人の目や口が気になってしょうがないのだ。

このような面倒くさい性格が

サチコの脳と心を破壊したのかもしれなかった。


ともあれ入院のお陰で穏やかな日々を満喫中の私だが

ひとたび楽をしてしまったら、もう以前には戻れないかも。

そこで今は、入れる余地の無い市内の施設を諦め

遠くの施設に連絡を取ったりパンフレットを取り寄せて

虎視眈々と勉強中。


安く入れることで人気の特別養護老人ホームは

入居資格が要介護3以上なので、要介護2のサチコは入れない。

要介護2でも入れる有料老人ホームは費用が高い所しかなく

元公務員のサチコの年金でも厳しいため、現実性が無い。


サ高住(サービス付き高齢者住宅)であれば

入居条件が要支援からなので、サチコでも入れる。

夜間も当直がいて、希望すれば三食が付き

デイサービスや入浴介助も受けられる賃貸アパートのようなもので

私の住む町にもある。


が、何だかんだの上乗せで毎月の費用が20万近くかかり

生活はアパートで一人暮らしをするのとあまり変わらない。

入院したら部屋を返すか

あるいは借りていたいなら家賃を払い続けなければならず

しかもアパート扱いだから看取りができない。

つまり終の住処にはならないので人気が無く、いつも空き部屋がある。


同級生けいちゃんのお父さんも、マミちゃんのお父さんも

他に数人の知り合いの親が、生前はサ高住を利用したが

皆、数ヶ月で出てしまった。

今は別の知り合いが、施設の順番待ちをする母親を入居させているが

サ高住で順番待ちをしたら、永遠に順番が来ないという黒い噂もある。


サチコに手がかかるようになって以来、私はどこかで思っていた。

入れる施設が無いまま、立ち退きの日が来てしまったら

国土交通省あたりに「おそれながら」と申し出て

何とかしてもらおう…。


しかし甘かった。

悪名高いサ高住の親分は厚生労働省ではなく

国土交通省の管轄らしいではないか。

町内のサ高住を紹介されて、終わりそう。


色々調べてみたが、入居させるのであれば

やはり特別養護老人ホームが一番良さげだ。

だから人気があって、なかなか入れない。


本人の収入に見合った費用で入れるのもそうだけど

民間でなく病院経営なので、病気に対して手厚く

看取りまで確実にやってくれるのはもとより

いちいち外出させて外部の病院へ連れて行く手間が少ない。

母体が大きいので経営不振で倒産したり

経営者が変わって混乱する可能性も少ない。


しかし私が最も注目する点は、施設内の売店の有無。

民間経営の小さい所だと売店が無いので

やれ衣類だティッシュだと、施設や本人から連絡が来たら

いちいち買って届けなければならない。

料金を支払えば買い物を代行してくれる所もあるそうだが

施設によってあったり無かったり、確実でない。

よって医療法人が母体の特養で、売店のある所が私の希望。

要介護3になって申し込み、順番が回ってきたらの儚い夢である。


しかし特養ではないものの、県境に一軒、これはと思う施設がある。

デイサービスを受けながら、永遠に宿泊できる形態の施設だ。

うちからは遠いが、マーヤの住む関西からは少し近くなる立地も魅力。

この際、バトンタッチだ。


さっそく電話をしたら、要介護2のサチコでも可能だそうで

一度、見学に来るよう言われた。

が、何しろ遠いし、今は雪深いので行けそうもない。

春になったら考えようと思っている。

《完》
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婆ネタ・4

2025年02月07日 09時44分44秒 | みりこんぐらし
サチコが自ら進んで入院し

さらに自ら入院期間を延長したのはなぜか。

去年の夏、初めて入院した時は脱走を企て

洋服や大きいマスクを持って来いと私に命じたサチコが…

家もお金も継子に盗られると罵詈雑言を吐いていたサチコが…

今回、滅多に電話をかけてこないのは明らかにおかしい。


思いつくままの電話も迷惑だが、あんまり静かだと

また急に何を言い出すやら、反動が怖いじゃないの。

今はサチコの世話から解放されてパラダイスだけど

いつか突然の電話でそれが終わると思ったら

油断するわけにいかないじゃないの。


しかしやがて、不気味な静寂の理由が明らかになった。

…ショウタキのデイサービスには、メイ子ちゃんという

サチコの同級生も通っている。

二人の実家は近所で、幼馴染みでもあった。


大音響のマシンガントークを炸裂させ

ガハハ!と笑う陽気な彼女は、陰気な気取り屋のサチコと対照的だが

人を人とも思わぬ所や自慢しいの女王体質はサチコと同じなので

二人は仲良しじゃない。

それでも生き残っている同級生は彼女だけだから

お互いに伴侶を亡くして一人暮らしという共通点をよすがに

サチコの方が幾分遠慮する形で付き合っている。


代々米問屋を営んできた裕福な家付き娘のメイ子ちゃんは

数々の自慢案件を持つが、中でも一番の自慢は

私より一つ上の娘さんが岡山の開業医に嫁いでいること。

それをデイサービスでも自慢しまくるので

サチコは大いに気に入らない。

娘自慢はサチコの十八番でも、医者の妻というカードを出されたら

サチコ基準では負けになるらしく、いつも悔しがっている。

デイサービスに行きたがらないのは

メイ子ちゃんも原因の一つだと私は見ているのだ。


この正月が明けた10日過ぎ、実家の様子を見に行くと

メイ子ちゃんから遅い年賀状が届いていた。

それにはこう書いてある。

“前にも話しましたけど岡山の娘が迎えに来てくれたので

デーサービスが休みの間はそちらで厄介になりました。

娘夫婦と孫たちが良くしてくれて楽しい正月でした。

サチコさんも久しぶりに娘さんと会って嬉しかったでしょう。

またデーサービスでたくさん話をしましょうね”


メイ子ちゃんもどっぷり認知症だが、なかなかどうして

しっかりした字と文章だ。

サチコはこの年賀状をまだ見てないが、見たら逆上するのは確定。


ともあれ内容から推測するに、メイ子ちゃんとサチコの間で

施設も弁当も休みになる年末年始の6日間をどう過ごすかが

話題になっていたらしい。

サチコはメイ子ちゃんへのライバル心で

マーヤが帰省すると自慢していたようだ。


入院を延長したのは、そのメイ子ちゃんに会いたくないから。

3月からデイサービスに行けば、ほとぼりは冷めており

正月の話は回避できる寸法だ。


時の流れを利用して、別の結果にすり替えたり

無かったことにする…

これは狡猾なサチコが昔から使う手の一つなので、間違いない。

何が何でも入院を続ける決意だから

どうでもいい継子と接触する必要は無いのだ。

病院でひたすら息を潜め、月日が過ぎ去るのを待つ…

それがサチコの計画である。


「認知症の老人が、そこまで考えられるだろうか?」

認知症を知らない人は思うかもしれない。

しかし認知症はある日突然、急に何もわからなくなるわけではない。

その前に、頭がはっきりしている時とそうでない時を繰り返す

長い助走がある。

“まだら”と呼ばれる時期だ。


まだら期には、ボンヤリしているかと思えば

突如しっかりしたり、こざかしい知恵で何やら画策することがあり

認知症の診断を疑ってしまいそうなことがよくある。

特に、本人が強いこだわりを持つ事柄に関しては

その現象がよく現れる。

が、そこは悲しいかな認知症。

こだわりを通すために子供じみた嘘をついたり

恥ずかしい作り話や小細工をやらかすことも、ままある。


サチコのこだわりは、“格好”。

元々自意識過剰なので、格好をつけるために何でもするさ。

娘が帰省してくれる…

メイ子ちゃんについた嘘を隠し通すためならば

2ヶ月の入院なんざ、へのカッパ。

入院を延長した原因がわかったので、私は退院までの残された日々を

存分に楽しむことができそうだ。

《続く》
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婆ネタ・3

2025年02月05日 10時27分47秒 | みりこんぐらし
寒波が襲っていますが、皆様の所は大丈夫でしょうか?

くれぐれも気をつけてお過ごしください。



で、私を悩ませている当のサチコだが

昨年末から現在に至るまで、依然として精神病院へ入院中。
 
時間に余裕があるもんで、2日の節分には巻き寿司を作っちゃった。

いつものビンボー寿司と…


エビマヨ巻き

家族で豆まきもして、楽しかった。



サチコは、デイサービスの年末年始の休業が終わる1月6日が

退院予定だった。

しかし実家の玄関その他を修繕する業者の日程が決まったため

私が1月末までの延長を希望。

コロナ禍の遺産で材料が入りにくいのと

儲けにならない工事は後回しにされるのとで

昨年9月に頼んだ工事が1月になったのだ。


サチコは今もって、この工事に納得していない。

「どうせ立ち退きになって壊すのに、もったいない!」

と主張し

「継子が友だちの大工とグルになって、私の金を取ろうとしとる」

とまでほざきおった。


しかしショウタキのケアマネからは

「玄関の修繕はまだですか?」

と催促され続けているし、私も玄関を直すのは

必要なことだと思っている。

人の世話にならなければ生活できなくなったのだから

人が出入りしやすように家を整備するのは要介護者の義務とすら思う。

サチコが家に居たら、業者に暴言を吐きまくるのは明白なので

留守の間にやってしまうもんね。


工事が終わり、1月の末が近づいたので

病院の相談員と電話で話し合った。

「せっかく慣れたデイサービスが振り出しに戻るので

早めに退院された方がいいと思うんです」

相談員は言う。


サチコが退院すると、またデイサービスの送り出しが始まって

慌ただしくなるが、もっともな意見だと私も思った。

デイサービスに通い始めた初期は、施設へ行っても昼には帰ってしまい

午後は私に電話の嵐だった、あの悪夢が再び始まるのはごめんだ。


さらに入院に関しては、3ヶ月ルールというのがある。

最大3ヶ月間は入院できるが、長く入院すると

次に本当に調子が悪くなった時、退院して3ヶ月が経過しなければ

再び入院することはできない。

相談員は、そのことも心配している様子。


そして元気なサチコを引き留めたら

病院が民間施設の商売を邪魔する格好になるので

それを避けたいという都合もあるようだ。

少人数の利用者で運営されるショウタキは

一人が長く休むと減収が大きいのである。


私が退院を承諾したので、相談員は病棟のサチコと面談して

退院の日を決めることになった。

しかしサチコは、「まだ入院していたい」と言う。

説得不可能な性格は相談員もわかっているので

サチコの強い希望が通され、退院は今月末まで延長された。

実家の修繕も終わり、だから私は今、自由の身なのである。



話は遡って昨年11月。

施設が年末年始に休業すると知ったサチコが不安定になった時

私はこう思っていた。

「デイサービスが休みになるから、寂しいのだろう」


そして12月に入ると、サチコは自ら入院したいと言い出した。

その頃にはすでに入院を決めていたので

行く行かないで揉める恐れが無くなり、私は安堵したものだ。

しかし一方、「何でこんなに素直なんじゃ?」
 
と、いぶかしくも思った。

あまのじゃくサチコの素直は、ちょっと怖いじゃないか。


そのまま年末が来て、すんなり入院したが

昨年の夏に初めて入院した時とは違って、今回は異様におとなしい。

インフルエンザの流行で面会が禁止になっているため

私が病院へ呼ばれることはなく、彼女も滅多に電話をしてこない。

「入院も2回目だから、慣れたんだろう」

そう思いながらも

「あのサチコがなぜ…」

違和感は、ずっと拭えないままだった。


エナジーバンパイアは、◯ぬまで治らん。

エナジーバンパイアとは、周囲の人間の時間や労働力を搾取し

愚痴や悪口を聞かせ続けて活力を吸い取る者のことだそうで

つまりサチコそのものじゃん。

そのモンスターが、こんなにもおとなしいのには

きっと何かがあるに違いないのだ。


やがて今頃になって、サチコが自ら進んで入院し

さらに自ら入院期間を延長した理由が判明した。

その真相は、単純なものだった。

《続く》
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婆ネタ・2

2025年02月02日 13時49分59秒 | みりこんぐらし
油断ならない施設…ショウタキ。

サチコに要介護が付くまで、そんな施設が存在することを知らなかった。

デイサービスに宿泊、希望があれば日に2回の弁当配達で安否確認…

施設と最初に面談した時、そのシステムを聞いた私は

「何と素晴らしい施設があるものよ」

と感激したものだ。


「1ヶ月単位、あるいは暑い間や寒い間

本人の希望があって、お部屋が空いていたらいつでも泊まれます」

そう言われたからこそ、喜んで契約したショウタキ。

しかしフタを開けたら泊まりは週一、デイサービスは一日おき。

なかなか入れない老人ホームの代わりに

宿泊という形でしっかり泊まらせてくれ

あと先はデイサービスと弁当でしのぐ所だと思っていたら

違っていた。


「もっと泊まれないのか」とたずねても、答えはすげない。

「本人の希望があれば、です。

お母様は長期宿泊どころか、週一の泊まりも嫌がられますし

9室あるお部屋も、長期となると空けられるかどうか

今はわからないので難しいかもしれません」

“本人の希望があれば”、“お部屋が空いていたら”

事前に提示した伏線が、施設と職員を守る寸法。

プロの話術に、舌を巻いた私である。


誤解の無いよう申し上げておくが、それはあくまで私にとってのこと。

私が何でも裏を見ようとするひねくれた人間であり

サチコとは戸籍上、無関係の他人というイレギュラーな状況だからだ。

ショウタキのシステムが合っていて

助かっている利用者やご家族もおられるはずである。


ともあれサチコが難しい人間で、扱いに困るのは百も承知。

それをうまくやってくれるのがプロであり、施設だと思っていたが

施設では、親の性格も家族の責任になってしまうらしい。

「お母様の症状や気持ちを考えると

ここは娘様に少し頑張っていただいて…」

こればっかりで、私の負担はどんどこ増えていく。

さりげなく子供の孝行心を刺激して

やるべきことを増やすのもまた、プロの技。

孝行心の無い私は、持ち前のひねくれ根性でそう受け取るが

親を大切に思う子供なら、ひとたまりも無いだろう。


その例が、中学の同級生ミッくん。

彼の母親は、サチコと同じショウタキの利用者だ。

ミッくんは単身赴任で長らく海外に居て

奥さんは留守を守りながら、認知症になった彼の母親を

何年も一人で介護していた。

しかし数年前、奥さんが脳出血で倒れたため

ミッくんはすぐさま退職して帰国、母親の世話を引き継いだ。

幸いにも奥さんは生還し、今は無理の無い程度に

母親を介護するミッくんのサポートをしている。


寝坊してデイサービスに遅れたサチコを施設に送ったり

書類や薬のやり取りで施設へ行く時には、いつも彼を見かける。

気のいい子なので、施設から言われるままに母親を送迎しているのだ。


彼らの住まいは町外れで、送迎に時間がかかる。

しかし家族が送迎すれば、施設から送迎車を出さずに済むので

車や人員が浮くではないか…ひねくれた私はそう見ている。

私も一度、自力の送迎を打診されたことがあるからだ。


まずデイサービスの送り出しを提案され、これは飲んだ。

サチコが行きたがらないのと、玄関に外鍵が無いため

裏から出入りするという物理的な問題があったからだ。

が、送り出しに慣れてくると

「同じ遠くから来られるなら、朝だけでも施設まで送っていただくと
 
お母様も安心されると思うんですよ」

そのような意味のことをさりげなく言われた。


ミッくんは母親の近所に住んでいるし、家事をする必要も無く

母親だけに専念できるので支障は無かろうが

JRで3駅離れている私には無理。

「施設までの道が狭いので怖い」

と断ったが、朝の送り出しは

迎えの車と人員を節約するための前触れ… 

私はひねくれた心で、そう思った。


中学の頃から変わらない笑顔で

楽しそうに母親を連れて来るミッくんを見るたび

私の汚れきった心は洗われる。

しかし一方、脳出血で倒れた彼の奥さんは

近未来の私のような気がしてならない。

自分を大事にしよう…改めてそう誓う日々である。


ちなみにショウタキの料金は

要介護2・デイサービス週3・宿泊週1・日に2回の弁当配達

洗濯が施設任せで、1ヵ月約7万5千円。

弁当は昼も夕も、1食600円だ。

これに泊まりが増えると、朝食料金と宿泊料金で

一泊あたり5千円ちょっとが加算される。

このようなことを知るのも糧といえば糧だけど

あんまり役に立ちそうもない。

《続く》
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婆ネタ・1

2025年02月01日 09時15分35秒 | みりこんぐらし
「また婆ネタかよ…」

実家の母サチコ関連の記事をアップすると

お立ち寄りくださる方々の溜め息が聞こえそうだ。

本当に申し訳ない。

いつも我慢してくださって、本当にありがとうございます。


そう言う私だって、よその年寄りの話なんか面白くないもんね。

特にサチコのような人物の話は、胸くそ悪いぞ。

だけど、書くのは面白い。

壊れた年寄りが何を考えているか…

介護関係者が何を求めているのか…

その時は全然わからなくて当惑するんだけど

後で「なるほど」と納得することがよくあるのだ。

これがしゃべらずにおられようか。


自宅の姑に実家のサチコ…

二人の老女にかまける状況でも、唯一の趣味は続けられる。

それは人間観察。

生きとし生けるものの心模様や、世の仕組みを知るという

腹の足しにならないことが好きな私にとって

老人を媒体にもたらされる新しい知識は

厳しい日々の中で与えられる、小さな糧なのかもしれない。



さて91才のサチコが、認知症と鬱病で前後不覚となった現在

安全を確認した地元の人々は、徐々に本音を口にし始めた。

近所、趣味の仲間、商売などでサチコと長く関わってきた人たちが

その激しい気性を恐れ、引き、遠巻きにしてきたのがよくわかる。

皆、優しいのでダイレクトな表現ではないが

表向きではサチコを気遣う言葉の端々から、それを感じる。

「この人たちは何もかも、わかっていたんだな…」


サチコが壊れて以降、実子が寄りつかなくなったのも

存在を消されていた継子が急に現れたのも

「あのサチコさんなら、そうだろう」

と納得され、誰も不審に思わない様子。

説明不要の安堵感は、糧の一つである。


今まで未知の世界だった介護業界のあれこれを知るのも、やはり糧。

昨年、サチコが要介護2と認定されて以来

デイサービスだのケアマネだの、初めてづくしで

何もわからなかった私だが、やっと少しわかってきた。

ケアマネって、ズタズタの年寄りとその家族の救世主じゃないのね。

施設と利用者の間に入って何をするかというと

施設が円滑に運営できるよう

利用者との兼ね合いを調節するお仕事なのね。


老人の世話で疲弊している子世代が

優しく導いてくれるケアマネを信頼するのは無理もない。

しかし地獄に仏とばかりに、ありがたがったり

親孝行な子供と思われたくて

何もかもあの人たちの言う通りにしていたら、えらいことになる。


ケアマネだって人間だから、利用者や家族との相性によって

当たり外れがあるという。

サチコに付いたベテランのケアマネは、誠実でいい人だ。


しかし寂しい寂しいと訴え続け、問題行動を起こすことで

誰でもいいから無給の召使いをゲットしたいサチコとは

一定の距離を取りながら、できる範囲で関わるスタンスを

保ちたい私には手強い相手。

「これこれこういうことがありましたから

今日、様子を見に行ってあげてください」

「これから電話で事情を聞いてあげてください」

うっかりしていると、頻繁な訪問や電話を指導され

サチコとの距離を縮められてしまうため、油断できない。


けれどもそれは、サチコが関わっているのが老人ホームと違い

小規模多機能型居宅介護施設…通称ショウタキだからだ。

“小規模”というからには、少人数の利用者を対象に

少人数の職員で運営する施設。

“居宅介護”というからには、自宅で生活を続ける人のための施設。


日本は凄まじい高齢化に対応できず、完全入居できる老人施設が足りない。

だから政府は、要介護度の認定をなるべく進ませない方針に決め

やたらと自宅での生活を推奨するようになった。

しかしヨレヨレの老人が一人で生活するのは、誰が考えても大変だ。

特に困るのが風呂と食事。

老人を自宅で生活させなければ、商売は成り立たないので

その鬼門である風呂と食事を

デイサービス、宿泊、弁当の配食といった“多機能”でカバーし

自宅生活をサポートするのが、このショウタキという施設らしい。


転倒、ヒートショック、事故、火事などの危険から

老人を守るという建前があるので

施設の目や手が行き届かないところは、家族がカバーすることになる。

多機能によって至れり尽くせり

ありがたい施設であることに異論は無いが、結局のところ何かあるたびに

家族の負担は一つ、また一つと増えていき

確か別居しているはずが、知らず知らず同居と似た状況に近づいていく。

そんなショウタキの現実を知ったのも、やはり糧の一つである。

《続く》
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値上げと戦う

2025年01月24日 10時48分10秒 | みりこんぐらし
このところの物価上昇は、どうしたことだ。

こういうことに疎い私ですら驚くのだから

敏感な人はもっと衝撃を受けておられることだろう。


私が値上げに疎いのは、裕福だからではない。

我が家のエンゲル係数の高さにおいては

そんじょそこらの家庭に負けない自信がある。


しかし大人5人の家族に三度三度 

休みなくごはんを作り続ける身の上だと

「次のごはんは何を食べさせようか」

値段よりも、そっちが優先になってしまう。

贅沢三昧の特別料理を望み、年々食欲旺盛になる姑と

中高年になっても食べ盛りの男3人衆の腹を満たすため

日夜、孤軍奮闘する私には

安い物を探すなんて芸当をする余裕が無いのだ。


それでもさすがに最近は、危機感を覚え始めた。

「このままでは老後資金を貯めるどころか、食べて終わりじゃないか」

世間の値上げラッシュは、そこまでになったということである。


最初にびっくりしたのは、SB食品の瓶入りの七味を買った時だ。

キンピラごぼうにかけたら、真っ赤っかの粉ばっかり。

七つの材料が混じった七味特有の渋い赤ではない上

私の好きな山椒の実やユズが感じられない。


「あれ?一味と間違えた?」

咄嗟に自身の目と頭を疑った私。

でもよく見ると、やっぱり七味と書いてある。

七つの味のうちで一番安価であろう赤唐辛子だけを増量し

あとの六つの味は減らされているのだ。

ショックじゃ。


カラシ、ワサビなどのチューブも然り。

このところ、チューブのシルエットが変わった。

キャップの下が、以前はもっと張っていたはずだが

えらく撫で肩になっとるじゃんか。


ほら、チューブの口の下にある肩のところが

すんなりしてるでしょ。


あんた、着物でも着るつもりか…

一人でカラシやワサビに文句を言う。

チューブの形を変更して撫で肩にすると、内容量が少なくて済むからだ。

その手口がいまいましいではないか。


お菓子も高い。

甘党の我が家では、つまらぬ駄菓子も必要だが

もうスーパーでは買わない。

ドラッグストアで買う。

犬の食べ物を買うのにドラッグストアへは行くので

ついでにお菓子も買うようになったが

お菓子だけでなく乾物なども、スーパーより値段がかなり安いと知った。

こういうことは皆さん、とっくにやっておられるかもしれないが

安い物を求めて店をハシゴする時間が無い私にとっては

新発見だった。


ただし、物によっては安かろう悪かろうのロクでもない物もあるので

よく見極めなければならない。

こないだ、つい買った生麺のうどんなんて、ひどかったね。

昼の焼きうどんにしたら、焼き目が付かずに溶けていったぞ。

私の焼きうどんは、野菜を別に炒めておき

生麺の方はしっかり焼き付けてカリカリした香ばしさを出し

仕上げに炒めた野菜と合わせる。

だけど、このうどんはカリカリにならず

焼けば焼くほど細くなったので気味が悪く、流通の闇を感じた。


さて、野菜が高いのはもう諦めている。

そっちの方の節約は、簡単だ。

肉を減らせばいい。

ナンボ野菜が高いと言ったって肉、特に牛肉の値段にはかなわん。

肉料理を減らせば、野菜は十分買える。

焼肉、すき焼き、しゃぶしゃぶ…

義母ヨシコの三大好物の登場を減らして対応。

物価高を理由に、嫁姑の溜飲を下げる。


あと、私にとっては大発見だった事例がある。

それは電気鍋。

うちは鍋物をする時、土鍋でなく電気式の鍋を使う。

重たい土鍋と、カセットコンロを出すのが面倒だからだ。


長く使っていた、そのパナソニックの電気鍋が

先日、とうとう壊れた。

スイッチを入れてもなかなか温まらないのは前からで

騙し騙し使っていたが、とうとう温度調節のレバーが動かなくなったのだ。


そこで新しいのを買いに行こうとしたら、次男が「待て」と言う。

「俺のアパートにあるけん、取って来るわ」

昨年5月、結婚1年で離婚した元嫁アリサと使っていた電気鍋が

アパートに残されていたのだ。


次男が持ち帰った電気鍋は、うちで使っていた物より小さい二人用。

元新婚家庭では、このサイズで十分だ。

「ちょっと小さいか」

「ちょっとどころか、半分じゃ」

しかし夕食の時間が迫っていたので、その夜はありがたく使うことにした。
 

「おお!もう沸騰した!」

「新しいのは、早いのう」

新型の鍋に感動する次男と私。

よく考えれば鍋自体が小さいので、沸騰が早いのは当たり前だ。

これなら、電気代も半分で済むんじゃないのか。


さらに小さい鍋は、材料を入れてもすぐいっぱいになる。

皆で材料をチビチビと入れては食べるという

上品?な行為を繰り返した食後、肉も野菜もたくさん余った。

これなら、食材も半分で済むんじゃないのか。


値上げと戦うには、安い物を探したり献立の習慣を変える手もあるが

家族が多いから大きい鍋…という固定観念を捨てて

いっそ鍋やホットプレートを小さくするのも

一つの手段だと思った次第である。
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実家の修繕

2025年01月18日 10時38分48秒 | みりこんぐらし
今、実家通いが慌ただしい。

母サチコは入院中なので、彼女に手がかかっているわけではない。

介護用に、実家の玄関その他を修繕しているためだ。

自分の育った家ではあるものの、今やサチコの物件となった実家は

嫌いな人が住むよその家という感覚。

サチコが居ても居なくても、何だか不気味で居心地が悪い。


玄関の方は昨年9月末、サチコが3ヶ月の入院を経て退院した時に

これから始まる介護生活に向けて家を見に来た

小規模多機能型居宅介護施設のケアマネから、きつく言い渡されていた。

「玄関を普通のドアに変えてください」


ケアマネの主張は、もっともである。

なにせ実家の玄関は、元が自動ドアだった。

店舗兼住宅というわけではない。

「家に出入りする時は、たいていカバンや荷物を持っているから

自動で開く方が便利」

という祖父の考えで、大昔に新築した際、そうなった。


父の代になってから、いつしか自動ドアの電源は切られ

手動で開閉するようになった。

会社を閉じて夫婦二人暮らしになり、来客も減ったし

人が来ると勝手に開く自動ドアでは物騒だからだ。


ただし全面ガラス張りの大ぶりな自動ドアという構造上

普通の玄関にはならなかった。

鍵は内鍵しか取り付けられず、外からは鍵をかけられない。

そのため家を留守にする時は、まず玄関に内鍵をかけ

外から鍵のかかる台所の勝手口から裏庭に出たら

隣との境の狭い路地を抜けて表へ回る。

不便だけど、両親はじきにお迎えが来る予定で

この厄介な外出方法に甘んじていた。


父は思惑通り早めに旅立ったが

残ったサチコにはお迎えが来ないまま20年。

今じゃあの世でなく、デイサービスからお迎えが来ている。

介護施設の人はデイサービスの送迎や

1日2回の弁当配達のたびに裏口へ回らなければならず

サチコが一人で外出する際も、こんな長道中では危ないと言う。


ケアマネの話では、要介護の独居老人の家って

玄関が外から施錠できない家が多いという。

スムーズな介護のために

そういう所は直してもらうことになっているそうだ。


古い家に住む古い人が要介護になると

住環境を整える必要が生じるのはわかった。

しかしまた一方、場当たり的な改造を繰り返したあげく

家相が悪化して、要介護と孤独にさいなまれる晩年を過ごす

サチコみたいなケースもあるのかもしれない…

などとチラッと思ってしまった。


ともあれ私もまた、サチコに手がかかるようになった数年前から

食べ物や洗濯物、あるいは実家で出たゴミなどの大荷物を持って

狭い路地を行き来するのに辟易していた。

よって、玄関を普通のドアに替える指示を二つ返事で承諾した。


さっそく建築業をしている同級生、通称モトジメに相談。

彼はサッシの業者を呼んでくれたが、問題はサチコ。

手すりやスロープの設置と違って

こういう大掛かりなリフォームに介護保険は出ないので、自腹になる。

施設の指示に従わなければ面倒を見てもらえないため

言う通りにするしかないのだが、サチコにはそれが理解できない。

「継子が友だちの大工とグルになって、私から金を取るんじゃ!」

そう言って激しく抵抗し、モトジメが来る度に鬼の形相で暴言を吐いた。


友だち価格で工事費を安くしてくれた上に

よその婆さんに怒鳴り散らされるのだから、たまったもんじゃないが

認知症の母親を25年も世話したモトジメの気は長い。

その度に、サチコを優しくなだめてくれるのだった。


さて何処も同じらしく、サッシ業者は

介護が始まった老人宅の玄関をやり替える仕事に追われているそうだ。

そのため、工事は年明けということになった。


「え〜!そんなに先かよ?」

去年、聞いた時はそう思ったものだ。

私が1日おきに実家へ通い、デイサービスの送り出しをしているのは

サチコが行きたがらないのに加え、この不便な玄関のためでもある。

普通の玄関であれば鍵を1本、施設に預け
 
職員はそれで玄関を開閉してデイサービスの送迎をしたり

弁当を持って来て家に入り

弁当と一緒に薬を飲ませることになっているからだ。

「玄関が直るまで、娘様が送り出しに通ってください」 

そう言われたら、通うしかないじゃんか。


しかし今となってみれば

サチコの入院中に工事が済むのはラッキーだった。

アレが家に居る時に工事をしたら、暴れるはずである。


玄関の方は、先日終わった。

しかし、今まで酷使していた勝手口のドアにも無理がきていて

開かなくなるのは時間の問題。

今度はそっちを直すことにした。


1月6日の予定だったサチコの退院を延長してもらった私だが

ついでに彼女がいない間、家をあちこち直して

工事が終わったら退院させるつもりだ。

請求書が来たら怒り狂うのは決定事項だが、そしたらこう言ってやる。

「わかった、今後一切あんたとは縁を切る」

工事費を払いたくないと言ったら、手切れ金代わりに私が払ってもいい。

そして携帯は着信拒否、家の電話は消滅させる。

電話が命の義母ヨシコには、携帯を持たせよう。


老人、特に認知症の老人、さらに鬱病の老人は

“変化”という現象に対して強い抵抗感を持つ。

サチコが退院した時、激変した家を見てどんな反応を示すか

今から楽しみだ。
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モンちゃん去る・続報2

2025年01月16日 08時38分21秒 | みりこんぐらし
さて、モンちゃんは近所の人に勧められるまま

人権センターの門を叩いた。

確かに大声を出されるのは怖い…

仕事中に、自分が出るまで何十回となく携帯をかけられるのも怖い…

でも素直にセンターへ行ったのは怖かったからじゃなく

近所に迷惑をかけていると思い知らされたから…

モンちゃんはそう言うのだった。


私も夫の家で経験したが、抑圧される生活を続けていたら

とにかく我慢して、その日を終えることだけに必死になってしまい

何とかして環境を変えたいという考えや力が出なくなる。

捕虜みたいな心境だ。


それが何かのきっかけで、背中を押される。

こうなったら女は強い。

どんなことでもやってのけるパワーが出るものだ。

モンちゃんの場合、そのきっかけが隣人のアドバイスだったのだろう。


それにしても人権センターって

音楽や料理など市民サークルに建物の部屋を貸したり

差別を受けて人権を侵害された人の相談に乗る所だと思っていたけど

女性の人権と尊厳を保護する部署もあるなんて、初めて知った。

考えてみれば、慰謝料を取りたいなら弁護士だけど

取る慰謝料が無い相手ならば

無料で相談に乗ってくれる人権センターで事足りる。


とはいえ、センターはアドバイスをするだけで

実際に行動するのは、ほとんどモンちゃんだったという。

彼女のケースは、小さい子供がいないのと

さしあたって暴力を受けているわけではない…

つまり緊急性が無いと判断されたからである。


センターの相談員からは、まず転勤と転居によって

配偶者から離れることをアドバイスされた。

勤務先へは、転勤に協力するようセンターから口添えがあったそうだ。


センターは可能な限り遠くへの移動を求めたが

若者ならいざ知らず、65才の高齢嘱託職員を

右から左へおいそれと動かせるものではない。

モンちゃんの転勤先は、隣市にある畑違いの部署に落ち着いた。


今までのようにお金を扱う所ではないため、休日の方は不定期だが

新しい職場は心身に無理が無く、あまり人目につかない仕事。

私はそこに、勤務先の誠意を感じた。

モンちゃんが、地道に何十年も働いてきたからだと思う。


転勤先が決まると、次は転居。

キンテン君が捜索願いを出しても、警察は受理しない手続きを取る。

住民票も移したが、これもキンテン君には見せない手続きを取る。

警察や市役所にも、センターの口添えがあったそうだ。


そこからは、モンちゃんの自力。

転勤先の町でアパートを借りたり、引っ越しの準備だ。

並行して、通院中の病院の転院手続き。

今までかかっていた町内の病院だと

姿を見られたり待ち伏せされる恐れがあるので

持病の数だけ通院先のあるモンちゃんは

主治医に事情を話して紹介状を書いてもらい、病院を総替えした。

ちょっとだけヨ…という生半可な気持ちで元の町に近づいたら

何が起きるかわからないので、徹底したものである。


他に、センターのアドバイスで

キンテン君の名義で貯金していた通帳を置いて出た。

急に文無しになると、危険な行動に出る恐れがあるためだ。


小売店や飲食店では泥棒対策として

夜間はレジに5千円程度の現金を入れておくという。

レジに少しでもお金があれば、泥棒はそれを盗んで帰るが

盗むお金が無い場合、腹いせに店を破壊することが多く

その被害は5千円では済まない。

それと同じ対策だと思われる。


通帳に入っているお金はわずかな額だとモンちゃんは言うが

それがあるうちは、キンテン君はおとなしいはず。

私は『牛方とやまんば』の昔話を思い出した。

やまんばに食べられそうになった牛方が

牛の背に積んだ塩サバを次々に投げ

やまんばがそれを拾って食べている隙に

できるだけ遠くへ逃げ切ろうとする話である。


そして、いよいよ家出。

センターからは、置き手紙をするかどうか聞かれたそうだ。

金ヅル…いや妻が夜になっても帰らないとなると

キンテン君がパニックになって

また大声を出すかもしれないと案じたモンちゃんは

置き手紙を書くことを選んだ。

センターからは、「では短く」とアドバイスがあったという。

「家を出ます、お元気で」の簡潔な置き手紙は

こうして作成されたのだった。


ともあれ、このように深刻な話を聞いたマミちゃんと私は

モンちゃんが家を出たことも、その行き先も

絶対に誰にも言わないと決めた。

同級生のテルちゃんにもだ。

なんならモンちゃんの安全が確保されるまで

もう他の人たちと会わなくてもかまわない。


その後は店を変えて、続きを話し合った。

モンちゃんは、一番の難関と思われる離婚手続きを

センターがやってくれると思っていたが、それも自力だそう。

無料相談なので、そこまで親切ではないらしい。

今はまだキンテン君に近づいたら危ないので、そのままになっている。


ここで、マミちゃんから珠玉のアドバイスが。

「◯ぬのを待ちんさい。

買った惣菜とお酒ばっかりで、すぐ身体を壊すよ」

マミちゃんは真面目に言っているのだが

彼女の優しい口調と内容がかけ離れているのが面白くて

モンちゃんと私は大笑い。

我々は再会を約束し、モンちゃんの住む町を後にした。

《完》
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モンちゃん去る・続報1

2025年01月14日 14時53分36秒 | みりこんぐらし
昨年末に働かないご主人を捨て、家を出たモンちゃんと先日会った。

前の晩、急きょ決まったのだ。


その前日、仲良し同級生マミちゃんは

経営する洋品店のお客さんから

突然モンちゃんの携帯番号をたずねられた。

そのお客さんは、地元に住むモンちゃんの親戚。

マミちゃんは携帯番号を教えてもいいかどうか

モンちゃんにLINEで聞いた。


しかしモンちゃんが言うには

「これまで何十年、その人とは没交渉で

今さら話をする用件は無いから教えないで」

だそう。

この時、私も発言した。

「何十年ぶりかで急に連絡先を知りたがる人の話は

ろくな内容じゃないけん無視した方がいい」。


私が懸念したのは、モンちゃんのご主人キンテン君。

彼がそれとなく人づてに、モンちゃんの行方を探しているのではないか…

たとえそうでなかったとしても

今はモンちゃんの連絡先を誰かに伝えるのは避けた方がいい…。


だからマミちゃんは

「携帯番号を変えたみたいで、私もわからないんです」

と返事をした。

お客さんは、残念そうだったという。


この一件からマミちゃんと私は

危険を水際で防ぐには、誰にどこまで秘密にしたらいいのかを

ちゃんと本人に確認しようという結論に達した。

モンちゃんは長年、農協の受付をしていたので

不特定多数の人に顔を知られている。

彼女が家を出た噂が広まると、その目撃情報から

キンテン君がおよその居場所を知ることだって無いとは言えない。

仕事嫌いが祟って年金の少ない彼は

モンちゃんの稼ぎが無ければたちまち生活に困窮する。

必死で居場所を探しているはずなので、しっかり話し合っておかなければ。


ということで、モンちゃんロスになっている我々は

彼女の顔を見たいのもあり、いっそ会いに行こうと決めた。

モンちゃんは、我々の提案を喜んだ。

彼女の住む町は、隣市の郊外。

スーパーの駐車場で待ち合わせた。


モンちゃんに会うのは昨年11月の末

横浜から帰省したけいちゃんを囲んで食事をして以来

実に1ヶ月半ぶりである。

この何十年、こんなに長く会わなかったことは無いので

懐かしかった。


彼女は相変わらず、痩せ細った世田谷姉妹みたいな外見だが

ストレスから解放されて綺麗になっとるじゃないか。

「この分じゃあ高血圧も甲状腺も、緑内障だって良くなるかもよ!」

輝くようなモンちゃんに安心した私は言った。


「まさか緑内障までは…」

「いいや!何もかもキンテンが悪いんじゃ!」

アハハ…アハハ…笑い転げる3人。

やっぱりこのトリオは楽しい。

それぞれが素でいられる友だちだ。


さっそくランチに繰り出す。


牛ホホ肉の赤ワイン煮のコース。

味は悪くなかったが、肉を盛ったスキレットを

あらかじめ温めておく配慮が無かったので、料理はすぐに冷め

「この次は無いね」と言い合ったのはさておき

いつも小食のモンちゃんが、この日は食欲旺盛でびっくりした。

嫌な旦那と離れたら、こうも変わるものなのか。

でもわかるよ…私も実家の母サチコが入院して以来

胃の調子が良くなって食欲が出たもんね。



食事をしながらモンちゃんが話すには

人権センターに相談したのは近所の人の勧めだったそう。

このところキンテン君は大声を出して、モンちゃんを罵るようになった。

この秋は暑かったので、どこの家も窓を開けており

彼の大声が近所にも筒抜けだったらしく

見かねたその人がモンちゃんに言った。

「このままじゃ、危ない。

市の人権センターに、女性を保護する機関がある。

悪いことは言わないから相談してみなさい」


その人は十年余り前、キンテン君の母親…

つまりモンちゃんの姑さんが生きていた頃

キンテン君がその母親に暴力を振るって

何度か警察沙汰になったことも、近所なので知っている。

認知症の母親が彼をイラつかせる…それが暴力の原因。

つまりその人は、キンテン君が危ない性質なのを知っているのだ。


その時は警察と病院と民生委員の連携によって

母親を施設へ入所させることでキンテン君と引き離した。

余談になるが当時、キンテン君の暴力を止めに入ったり

施設入所に奔走した民生委員こそ、義母ヨシコの友だち骨肉のおトミ。

家では嫁姑関係が骨肉でも、民生委員として良い仕事をしたらしい。

そんなおトミも、今は認知症で前後不覚である。

《続く》
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友だち市場

2025年01月10日 10時20分03秒 | みりこんぐらし
今月6日までのはずだった実家の母サチコの入院期間が

私の強い希望で延長されたことはお話しした。

「予定通り退院しますか?それとも延長しますか?」

病院の相談員に電話でたずねられ、一も二もなく延長を希望した私。

「今退院したら、“入院しとけばよかった”と言って必ず泣く」

そう言って頼み込んだ。


実際、そうなのだ。

置かれた境遇が常に不満で

前に戻りたがったり、別の新しい環境を執拗に望む…それがサチコ。


その時に決まったのは入院の延長だけで、日程は未定のままだったが

延長の措置はすぐに取られ、サチコは個室から大部屋へ移動。

「何で私が4人部屋へ行かんといけんの?!」

えらく憤慨してナースセンターの公衆電話から電話をかけてきたが

「さあね」

と答えておく。


対サチコ対策なのか、それとも方針を変えたのか

昨年夏の入院と違って今回は、電話が1分弱で切れるようになった。

電話をかけるために介護士からもらう10円玉の枚数を

制限されているらしい。

さらに1日3回までだった電話の回数が、2回に減少しているみたい。

よって、のらりくらりしていたら終わるのだ。


携帯電話の方は持って行かなかったので、今回は安心。

精神病院の性質上、入院当初は病院で預かり

医師の判断で患者に返還されるという携帯は

前回の入院で心配のタネだった。

自制心の無い電話魔サチコに返されたら最後

携帯に入っている人たちに電話をかけまくって

多大な迷惑をかけるのは決定的だからである。


結局は退院までの3ヶ月間、返されることは無かったが

私はいつ返されるのか、ずっとヒヤヒヤしていた。

あんな思いは二度とゴメンだ。


今回は入院の朝、迎えに行ったら例のごとくまだ寝ていたので

起こして身支度をさせるドサクサに紛れ

サチコの携帯を家に置いて出ることに成功。

病院へ持って行かなければ、彼女が携帯を手にする可能性はゼロだ。


そのまま入院したサチコ、やはり最初のうちは

「帰りたい」と電話がかかっていた。

が、大部屋に移動して話し相手ができたからか、日を追って落ち着き

「春まで入院したかったけど、今月の末までは置いてくれるらしい」

電話でそう言ってきた。

こいつぁ〜春から縁起がいいぜ!


となると、この隙に羽を伸ばしたい私。

期限付きとはいえ、せっかく得た自由だ。

遊びの予定を入れないでどうする。


その前にまず、昨年11月から約束していたAさんとの

新年会が控えている。

私を介してAさんと親しくなった、同級生のマミちゃん

モンちゃん、テルちゃんと5人でランチだ。


けれどもAさんは大晦日に滞在先の東京で倒れ

今も東京の病院へ入院中のため、新年会どころではない。

70才の大台に乗ると、色々あるのよね。

救いは、彼女が東京とこちらの二拠点生活なので

世話をしてくれる仲間が周囲にいることだ。


それにAさんは、モンちゃんが町を出たことを知らない。

たとえ彼女が元気で新年会ができたとしても

モンちゃん不在の理由は伝えなければならない。

家出ホヤホヤの今は話を拡げたくないので

会わずに済んで良かったかも。


同じ理由により、テルちゃんに会うのもはばかられる。

新年会中止の知らせを残念がったテルちゃんは

マミちゃん、モンちゃん、私の4人で遊びたい様子だったが

モンちゃんが来ないのは明らか。

事情を説明する羽目になると、困るではないか。


テルちゃんは人の秘密をしゃべる子ではないが

ひとたび他の誰かに話したら、一人、また一人と話が拡がる可能性が出る。

モンちゃんの身の安全のため、この話を知っているのは

仲良し同級生で結成する5人会だけにとどめておきたい。


去年からユリちゃんに内緒で

我々とランチに行くようになったユリ寺の料理仲間

梶田さんも同じく。

彼女は12月、オーストラリアに住む娘さんの所へ行っていたので

モンちゃんの件は知らない。

「1月に帰ったら、マミちゃんとモンちゃんを誘って

ランチに行きましょう」

そう言って機上の人となったが、帰国はまだ。

モンちゃんの安全が確立するまでは、会わない方がいいように思う。


5人会のメンバーとしてモンちゃんの出奔を知るマミちゃんは

今もずっと心配している。

しかしモンちゃんが少しずつ話してくれて色々と知った私は

彼女からあれこれたずねられるのも話すのも、やっぱりはばかられる。


転勤から家を出るまでのプロセスは

相談した市の人権センターが主導してくれたことや

離婚手続きもそちらに任せていることなど

モンちゃんが命懸けで使った裏技とも言える手段を話したら

マミちゃんはおそらく安心する。

けれどもそれは、モンちゃんの口から話すことだと思う。


モンちゃんは人権センターが乗り出すほど苦しんでいたのであり

そこまでとは気がつかなかった私は、ひたすら辛い。

気がついたからといって何かしてやれるわけではないが

薄い餞別ぐらいは渡せたではないか。


そんなわけで、今は数少ない友だちと

会うわけにいかなくなっている。

その少ない友だちの一人、モンちゃんにも会えなくなったのだから

私の友だち市場は閑古鳥さ。

自由を得れば、羽ばたけず…

おとなしく家に居るしかないようだ。
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今年の目標は…

2025年01月08日 14時20分06秒 | みりこん流
年が明けて日常が始まり、今年の目標やら決意やら

色々と考えたいところだけど、なかなか浮かばん。

介護ってマジ、人間の夢や希望を奪い去ってしまうものなのね。


その介護対象者、実家の母サチコに関する目標ならありますよ。

“今年は施設に入れる”。

実現するといいけど。


さて、この正月休みは久しぶりにのんびりできた。

サチコを入院させたため

デイサービスの送り出しに通わなくてよかったのもあるが

毎年正月の3日、同級生ユリちゃんのお寺で行われる

お雑煮会に行かなかったのも大きい。

「母のデイサービスと弁当が休みで

6日間、世話をしないといけないから無理」

そう言って断った。


嘘をついて欠席したわけではない。

ユリちゃんにそれを言った時、サチコの入院はまだ決まっていなかった。

決まったのは、その2日後。

私は、そのことをユリちゃんに伝えなかっただけである。


この5〜6年、正月の3日は毎年

ユリ寺で行われる初勤行に夫婦で呼ばれ

私は台所でお雑煮の鍋物を作っていた。

前日の2日は食材の準備に走り回り、当日は朝早く寺へ行き

べらぼうに寒い台所で震えながら、一人立ち働き

食べて後片付けをして夕方帰る…

2日と3日がこれで潰れ、4日と5日は疲れが残り

気がついたら、いつも正月休みは終わっていた。

お雑煮会を拒否しただけで、こんなに楽とは思わなかった。

めでたい!


来年以降も行かないと、改めて誓う。

物事を続ける努力は大事かもしれないが

年を取ったら、自分の身体を守る努力の方が大事だ。


思い返せば私は、自分を守ることを怠って生きてきた。

自分を守る気が無いから、つまらぬことを押し付けられたあげく

価値の無い雑事に追われるようになり

本当にやりたいことや楽しいことを後回しにしてきたように思う。

おそらくそれは、正しい生き方ではない。


今年になって急にそう思うようになったのは

サチコの実子マーヤからの年賀状。

楽しそうな家族旅行の写真付きである。

私がサチコからの電話攻撃に耐え

しょっちゅう呼び出されていた時期の写真だ。

「何よ!親を私に押し付けて!自分たちは旅行に行って!」

とは思わない。

わたしゃ何なのよ、とは思う。


悪魔の化身サチコに関わったら最後、五つ並んだ明るい笑顔が

一瞬で消えてしまうのはわかりきっているので

「犠牲者の人数は少ない方がいい」

このコンセプトにより、自ら魔境に身を投じたのは他でもない私。

文句を言うつもりは無い。


ただ人間って、苦境から一目散に逃げられる人と

グズグズして逃げられない人がいるんだな、と思った。

危険察知能力が高い人と、低い人がいる…

これは紛れもない事実。

私はどうも低いようなので、これは仕方のないこと。

能力の高い者は、お人好しの馬鹿がちゃんといることを

見極められるのかもしれない。


「いつもありがとう」

マーヤからメールでは言われるが口だけで

煎餅のカケラすら、届いたことは無い。

その「ありがとう」は、私に向けられたものではなく

母親の世話を回避できた安堵への感謝なのだろう。


決して、何か欲しいわけではないぞ。

浮世の義理を知らない者が選ぶ品はたいていズレていて

もらっても嬉しくない形だけの物と決まっている。

「こんなモンで誤魔化して!」

そんな怒りが生じる懸念は、無い方がいい。


「いつもありがとう」

サチコも言う。

そりゃ簡単に言うが、口だけだ。

労働に見合う金品を下賜されたことは無く

むしろこちらの持ち出しが多い。

忘れたら損することはしっかり覚えているけど

覚えていたら損することはすぐに忘れる、それが認知症。


なんだかんだ言っても、アレらが似た者親子なのは間違いない。

こういう小さな発見が、私には嬉しいのだから困った性分である。


そういうわけで、今年は“自分を守る”を目標にしたいと思う。

が、今までたびたび目標にしてきた“無口”も全然達成できなかったし

また目標だけで終わるかもね。
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財布で初笑い

2025年01月07日 13時13分08秒 | みりこんぐらし
昨日の朝、今年初めてのヤクルトさんが来た。

ヤクルトの配達があるのを忘れていた私は

台所に置いていた財布をつかみ、玄関へダッシュ。

しかし、私が財布だと思っていたものはケチャップだった。

敗因は、財布がケチャップと同じ色だったこと。


義母ヨシコの笑うまいことか。

人の失敗が嬉しいお年頃よ。

私も笑うしかないじゃないの。

後で息子たちに告白したら

「終わっとるね」

と言われ、やっぱり笑われた。


ケチャップ色の財布は数年前

実家の母サチコを連れてデパートへ行った時に買った…

いや、買わされたもの。

商品券を持っていたので、せっかく街へ出たついでに

財布を買おうと思った。

ひと目で気に入ったのは、黄緑の財布。

それを持ってレジへ行こうとしたら、サチコが止める。

「ちょっと、あんた!そんな変な色はやめんさい!」


私のお金で、いや商品券で何色の財布を買おうと自由なはずだが

そうはさせないのがサチコ。

周囲の人間を自分色に染めたい性分の人はいるもので

その一人が彼女である。

「こっちの色にしんさい!」

黄緑財布の代替え品として、サチコが強く勧めたのが

黄緑と色違いのケチャップ財布だった。


え〜?嫌だ〜!こんな色!

年寄りが赤い物を持ちたくて、でも勇気が無くて

つい選んでしまう、お婆さん御用達の暗い赤…

ワインとか、レンガ色とか、嫌いよ。

私はクリアな色が好き。

特に黄緑、ターコイズ、オレンジ、紫がご贔屓なのさ。


もちろん抵抗したともさ。

しかし、サチコの剣幕は凄まじい。

押し問答が続いてラチがあかないので

「また今度にする」と言って財布を手放し

売り場を離れようとしたが、それでも目を釣り上げて食い下がる。

彼女が買ってくれるのであればまだしも

人のお金で自分の意地を通す、それがサチコ。


思えば昔から、こういうところが

彼女の回りから人が離れて行く原因の一つ。

91年という申し分ない年齢を重ね

その問題多き性質に耐えてくれた優しい人々はいなくなり

今になって孤独地獄に陥ったのも、うなづけるというものだ。

認知症と鬱病が進行しつつあったであろう当時

その勢いは、より激しさを増していたのかもしれない。


あんまりうるさいので、シブシブ婆色財布を買った。

買ったからには使うようになって数年

サチコは私が例の財布を使用しているかどうか

じっと観察を続けているので、別の物に替えることができない。

替えたら最後

「何で替えた!あれが気に入らないのか!」

そう激昂し、いつまでも執拗に文句を言い続けるのは

火を見るより明らかだ。


全ては、彼女の前で物を買おうとしたのが失敗。

服も靴も化粧品も、サチコの前で買おうとするたび

同じ結果になるのは経験で熟知しているはずだった。

都会へ出たんだから、田舎じゃ買えない物を…

そんな欲を出した私のミスなのである。


以後、財布はやっぱり好きになれないのでテンション低し。

特に人前で、この婆色財布を取り出すのは恥ずかしい。

もっとも財布を出してお金を払う時は、たいてい人前だ。

服やバッグの色とかけ離れた婆色財布を出すのを恥じて

私はお金を使う回数が、いささか減ったように思う。

キャッシュレスの現代、財布の出番は減ったが

田舎住まいの我々老人は、まだ財布を使う機会が断然多い。

出費をセーブしたければ、感じの悪い思い出を持つ

嫌いな色の財布を持つのがいいかもしれない(冗談です)。


とはいえ新しい財布は、すでに用意してある。

去年の秋、サチコの認知症が進んできたのを見計らって

マミちゃんの洋品店で買ってしまった。

実物はオレンジ色なんだけど、茶系に写ってしまうのが残念なところよ。

硬そうな見た目とは裏腹に

持ったら柔らかくてフワフワの触感がお気に入り。


新しい財布をおろすのに、秋は“空き財布”と言って

良くないと言われるため、財布業界は農閑期。

そのためおしゃれメイト・マミでは

あえてメーカー協賛のセールをやっていて、半額で買った。


私はいつも空き財布なんだから、気にしなくてよさそうなもんだけど

せっかく嫌な財布で何年も耐えたのだから

縁起ぐらい担ぎたくなるではないか。

新しい財布をおろすのは新春、春財布(張る財布)の時期に決めた。

日にちは1月下旬の従姉妹の誕生日、というのも決めてある。

それまで、新しい財布は引き出しで熟成中。


あ、3日連チャンの更新って、あんた余裕あるよねって?

ヘッヘッヘ…

年末に入院したサチコは1月6日、つまり昨日が退院予定だったけど

私の強い希望により、入院期間を延長してもらった。

退院予定日は今のところ未定で、明日になるのか

最長の3ヶ月になるのか、全然わからない。

病院のベッドが混んできたら、退院させられるんじゃないかしら。

その間はゆっくり休むつもり。
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