殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

古い話と新しい話

2017年05月08日 09時48分17秒 | みりこんぐらし
ゴールデンウイーク、楽しく過ごされましたか?

私は例年通り、家事と仕事と、ちょっとしたドライブ。

最終日は実家の墓参りで、あっという間に終了。


「皆様のお陰で幸せです、ありがとうございます」

お墓でそうつぶやいてごらんなさい。

サ〜ッと柔らかい風が吹くから。

え?気のせい?

へへ。



さて、うちの実家のお墓は少々変わっているかもしれない。

墓石の横っつらに、文章が彫り込んである。

「當家は◯◯郡◯◯村に在り。

元禄年間、屋号を◯◯と称し‥」

で始まり

「十代目◯太郎、四男◯夫、昭和32年當地に移住す」

で終わる。

なんのことはない、百姓の証明である。

子孫の縁談のため、墓を一目見たら

全てがわかるようにしておきたいというのが祖父の意向だった。

我々子孫は皆、恋愛結婚なので今のところ役立ってはいない。


明治になって、全国民が苗字を持つようになった時のことを

祖父から聞いたことがある。

祖父もまた、自身の祖父から聞いたそうだ。


「苗字をつけるように」

明治政府からのお達しを伝えに来た役人は

襟を正して迎える一家にそう言った。

「どんなのがいいでしょうか?」

とたずねたら

「何でもいい、好きな苗字をつけて届けなさい」

カジュアルと言おうか、のどかと言おうか

田舎のお百姓たちは、こうして苗字を持ったらしい。


自由過ぎるとかえって迷うもので、一家はものすごく考えた。

結局思いつかず、屋号と似た苗字を届け出たという。

それを聞いた私は、屋号そのままの方が好みだったので

少々残念に思った。



ああ、古い話をしてしまった。

目新しいことといえば、この連休中に義母ヨシコから

ある事柄を伝えられた。

「キクオさんが死んだら、こすずはあの家に居たくないと言うの」

キクオさんとは、こすずの亭主。

こすずとは、夫の姉カンジワ・ルイーゼのことである。


義兄のキクオは還暦を迎えた2年前、パーキンソン病と診断された。

ワイシャツの袖のボタンが留められないので

おかしいと思って病院へ行ったら、難病だった。


本人は2年前に発病したと信じているが

ヨシコを含めた我々一家は、その何年も前から異変を感じていた。

歩いたり振り返ったりの動作がスローモーションになり

靴の脱ぎ履きや駐車に、ひどく時間がかかっていたからだ。


しかし、言わなかった。

キクオは穏やかな善人だが、繊細で神経質。

軽く精神を病んだ経歴もあり、何にどう反応するか

ガサツな我々には予測がつかない。


我々はルイーゼの旦那がどうなろうと知ったこっちゃなかったし

ヨシコの方は、キクオが何かの病気であれば

娘の苦労が始まるので口をつぐんでいた。

女房のルイーゼは、亭主の異変に全く気づいていなかった。


かくして病魔はキクオの肉体をむしばみ続け

発覚した時にはかなり進行していた。

しかしまだ、スローモーションながら日常生活は送れる。

そのキクオの死後の計画を

うちの一卵性母子は、はやばやと練っているのだった。

気の毒なキクオ。


「キクオさんが死んだら、あの家に居たくない」

というのは、この母娘得意の言い回し。

つまり、旦那が死んだら実家に帰りたいという意味である。


ヨシコはこの数日、不眠や頭痛を訴えていた。

不機嫌であてこすりがひどく、明らかにおかしかった。

何かあるとは思っていたが、人間、いざとなると欲が出るもので

脳梗塞か癌の再発を疑っていた。

これだったのね。


バロメーターはトイレ。

大腸癌の後遺症で、トイレ通いは元々頻繁だが

普段にも増して狂ったようにトイレに通い続け

大量のトイレットペーパーをガンガン流すので

トイレが詰まって修理屋を呼んだ。


こんな時は、悩みごとがあるのだ。

前にやった時は、義父の会社が潰れるかどうかの瀬戸際だった。

トイレの大惨事は、あれ以来。

ヨシコは娘の希望を私にどう切り出すか、深く悩んでいたらしい。


ただし彼女の悩みの深さは、遠慮や気兼ねの類ではない。

今住んでいる家は、義父の借金が元で我々夫婦が買い取った。

名義が変わってしまった家へ、頭を下げずに娘を迎え入れる

その手段を考えあぐねていたのだ。


私は即座に返答した。

「ここへ帰ったらいいじゃん」

逆流したトイレの後始末をさせられるより

ルイーゼ・カムバック計画に賛同する方がよっぽどマシである。


「あら‥そう?」

夫一族の常套手段、それとなく切り出して言質を取るという

伝統の手法が成功し、ヨシコはホッとして嬉しそうだった。

「そうよね、こすずは性格もいいし

あなたたちと仲良くやって行けるわよね!」

母親というのは、ありがたくも愚かな生き物である。

あのルイーゼが、我々と仲良く暮らせると思い込んでいる。

すげぇ‥私はひそかに舌を巻くのだった。



小姑が帰って来てもいいのかって?

平気。

現時点ではヨシコ、キクオ、ルイーゼ、そして我々夫婦

この中の誰が一番先に死ぬかわからない。

ヨシコが一番であれば、レッドカーペットを敷いて迎える者がいないので

ルイーゼは帰れないし、私が先であれば夫や息子が考えたらいい。

死の順番によって、結果は大きく違う。


母娘の計画通り、キクオが先に死んで

ルイーゼが母親のもとへ帰ることになったら、それこそ私の思うツボである。

家とヨシコはルイーゼに献上し、一家で引っ越す。

ワクワクするではないか。


50も半ばを過ぎれば

人生、そう思い通りにいかないことはわかっている。

凡人の着々や虎視眈々は、そこに欲が存在するため

成就しにくいことも体験で知っている。

それでも、新たに加わった魅力的な選択肢に上機嫌の私。

交渉が無事成立したヨシコの方も、不眠や頭痛と即座におさらばして

やはり上機嫌。

明るい嫁姑の暮らしは、ズレたまま継続していく。
コメント (10)
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