殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

セーフ!

2021年06月16日 11時10分44秒 | みりこんぐらし
かねてより入院中だったA君のお父さんが、病気で亡くなった…

夫が外でそう聞いて帰ったのは、今月初めのことであった。

A君は40代半ば。

夫と私、共通の知人だ。


彼とは夫が仕事関係、私が選挙関係で別々に出会って十数年になる。

そのまま交流が続いているのは

A君が我々より精神的に大人で慈悲深いことに加え

彼が実家暮らしの独身であることが大きい。

途中で結婚したら、奥さん思いの子煩悩になりそうなので

うちらのような爺婆に用は無いはずだ。


十数年の付き合いだから、彼の両親とも面識があった。

頭脳明晰で常識人のA君を育てた両親だけあって、優しい人たちだ。

だからお父さんが亡くなったことは、まんざら他人事ではない。

ここは取るものもとりあえず、夫婦でお悔やみに馳せ参じるところである。


しかし、こちらが得たのは亡くなったという情報のみ。

夫の知り合いが雑談の合間に口走ったものだ。

そこで違う方面からの情報を待ってみたが、どこからも聞こえてこない。

コロナの時節柄とはいえ、この状況は珍しい。

田舎で人の生き死には、その気になれば自然に耳に入ってくるものなのだ。


情報が無いことから、我々はA君の強い意志を感じた。

お父さんの見送りを完全秘密主義で行う意志である。

A君は、このご時世に人を集めたくないのだ。


几帳面で誠実な彼のことだから、家族葬といったら徹底的に家族葬だろう。

通常は家族葬よ秘密よと言っていても

どこからか漏れ伝わって人数が増えるものだが

彼は親戚はおろか、離れて暮らす兄弟すら集めない所存かもしれない。


彼に直接、電話でたずねることはできない。

謙虚な彼は、弔問を絶対に辞退する。

断られてしまうと、行きづらいじゃないか。

「落ち着いた頃、家に行ってお参りさせてもらおう」

だから我々は、そう決めた。

そして“落ち着いた頃”という時期は、次の日曜日の午後と定めた。


で、その日曜日がやって来る。

朝起きた時には、A君の家に行く気満々だった。

しかし時間が経つにつれ、私に加齢の波が押し寄せる。

前日の5日、友人ユリちゃんのお寺で料理をしたが

分散方式の調理と給仕でくたびれていた。

午後が近づくと疲れが増幅してきて、出かけるのが億劫になったのだ。


ダラダラしているうちに、やがて夕方。

私は自身の悪癖、ものぐさを軽く呪いつつ

A君の家に行くのを取りやめた。

「すいません、今週中のどこかで行きますけん」

私は夫に告げるのだった。


が、平日となると、なかなか夫婦揃って出られないものよ。

その週は特に慌ただしく、ハッと思い出せば日が暮れている。

諸事万端を押して駆けつけるのがお悔やみだろうが

なにしろ私ってものぐさじゃん。

「急いだって、もう亡くなってるんだし」

これをよすがにズルズルと日を送り、次の週末が訪れた。


そして日曜日、正確にはこの13日。

「今日は何が何でも行きますけん!」

私は夫に固い決意をのべ、午後1時、市内にあるA君宅を目指して出発した。

秘密にしたいであろうA君の気持ちを慮り、服装はあえて普段着。


途中、酒屋に寄ってビールを1ケース買い

不祝儀の熨斗(のし)に、御供(おそなえ)と書いてもらう。

徹底的な家族葬となると、香典を受け取らない確率が高い。

A君は、好物の酒なら絶対に受け取るからだ。


こうしてA君の家に到着した我々。

夫にビールを持たせ、玄関のチャイムを押す。

最初にお母さん、続いてA君が出てきた。

「お父さん、お悪かったんですって?

お悔やみ申しあげます」


「何で知ってるんですか?!」

A君は驚愕の表情で言った。

「僕、誰にも言ってないんですよ?」

「パパがチラッと聞いて帰ったんよ」

「ヒロシさんの情報網、おそるべしですね!」

持ち上げられて、嬉しそうな夫。

看病の年月が長かったからか、A君もお母さんもサバサバして明るい。


「それで、いつ…?」

「おととい、容態が悪くなってそのままでした」

お母さんが答えた。

「おととい…?」

今度は私が驚愕する番だ。

亡くなったと聞いた時には、まだ存命だったのだから

通夜葬儀のことなんか何も聞こえてこないのは当たり前である。

しかし、顔には出せない。

耐える。


そのまま玄関先で香典を差し出したが、やはり辞退された。

「じゃ、これでも飲んで元気出して」

背後に立つ夫に目配せし、隠し球のビールを渡す。

「やられた!」

と言いながら、満面の笑みで受け取るA君。

酒飲みには、酒が一番喜ばれるのだ。


一昨日と聞いた衝撃から立ち直れないでいる我々は、すぐに帰ろうとした。

しかし引き留められて家に上がり、お父さんの遺骨に線香を上げる。

それからA君母子と少し話をして、おいとました。

家の前に立ち、我々の乗った車が見えなくなるまで最敬礼で見送るA君。

本当にいい子だ。


しかし角を曲がり、A君が見えなくなった我々夫婦には

取り急ぎ、話し合わなければならないことがあった。

「ちょっと、おとといって何よ。

月初めは、まだ生きとったんじゃん」

「わしゃ、死んだいうて聞いた」

「死にそうと死んだを聞き間違えたんじゃないん」

「いや、確かに死んだいうて聞いた」

「でも先週、行くつもりじゃった時も生きとったんじゃん」

「まあ、そういうことになるわいのぅ」

「予定通り先週の日曜に行っとったら、どうなったことか」

「まあ、大恥じゃのぅ」

「その後の平日に行っとったら、どうなったことか」

「まあ、似たようなもんよ」

「金曜なら、どうなったことか」

「死んだ当日に香典とビールは、ちょっとのぅ」

「昨日は火葬じゃけん留守じゃったろうし

A君がびっくりするはずよぉ、死にたてじゃんか」

「ギリギリセーフじゃったのぅ」

「ひ〜!恐ろしや恐ろしや」

自分のものぐさが、初めて役に立ったような気がする。
コメント (8)
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