ゴジラ−1.0を見て再び、このテーマ『世間考察』の切り抜きを貼っておく。映画の中の日本人のセリフ、困った時はお互い様、誰かが貧乏籤を引かなければならないんだ。できることは全部やる。生きなきゃいけない。お上の情報隠蔽はお家芸。仕方ないじゃないか。仕留められて沈むゴジラに敬礼。
これら全てに日本人が捨てない世間というもの (現世礼賛、現世信仰)の絶対感が埋め込まれている。
CG映像には、まさに世間が自ら醸し出した空気によって変質した一種の世間産物、破壊力の塊で問答無用の存在ゴジラが出色している。そのゴジラがまたしても日本を襲う。
戦後の負の出発点、これを描いたことでゴジラ−1.0は怪獣映画ではなく日本人の自画像になった。醜い己の今だけ、カネだけ、自分だけ豊かになれば、国は弱くなってもいい。
日本人は明治維新で市井の公共に官僚制度=中央集権の侵食を受けて【向こう三軒両隣の市井の徳目】と規範継承を失った。さらに敗戦で市井の徳目の代用であった修身と国史教育も失った。それこそこの映画のテーマ
マイナスからの出発であろう。
そしてどうしていつもモヤモヤしていたこと、ゴジラは何故に日本を襲うのかそれが腑に落ちたのではないだろうか。
病んだ世間、腐った世間を仕方なく捨てずに生きる日本人が日本人をいじめている。現在の政治と官僚と財界の米国と中国に挟まれ逼塞した癒着の結果生まれたゴジラはわたしたちが日々目にしているもの、為政者の今だけ、カネだけ、自分だけ豊かになれば、国は弱くなってもいい。だ。
以下は過去記事からの切り取り
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心震える畏れがわかれば、
自ずから信心が見えてくる。
その心震える畏れの表現型は、
時に美であり、
時に真であり、
時に善である
自ずから信心が見えてくる。
その心震える畏れの表現型は、
時に美であり、
時に真であり、
時に善である
これは険しい光を求める道である
その一方で
その人の脳裏に邪悪という言葉が粒子化した瞬間に、
信念の光はこの世全体を瞬時に波動で満たす。なぜなら、
世界は情報でできているからだ。瞬時に交換する情報によって世界は編まれている。
そこに救いの秘密があり、地上から天上が再構成される根拠がある。
日本人の絶望は特殊だ
日本人社会の空気の醸成は世間を喪失しないための病
西欧の絶望と一緒なのだ
なぜならば、日本人には絶対神がないのだから。
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日本人にとって絶対神を代行しているのは世間である。
互恵 長幼
ムラ 血統と天皇
天
阿部謹也のいう世間の5要件の一つでも崩れると
仕方ないじゃないかという空気が生まれ差し込まれる
(# 浜崎洋介の私的解釈#)
このような「世間」からなる社会で大人になるということは容易なことではない。子供はまず大人が建前の世界で生きていることを知ってしまう。明治以降設立された学校は欧米の制度をまねて作られたものであり、その意味では建前の世界のものだったのである。しかしその制度には単に建前であったといってすましてしまうわけにはいかない重要な面があった。 阿部謹也『世間とは何か』
建前は時に世間から個人を追い出すことがある。
不登校22万5千人の学校がいい例だ。
小・中学校における長期欠席者のうち、不登校児童生徒数は244,940人(前年度196,127人)で、児童生徒1,000人当たりの不登校児童生徒数は25.7人(前年度20.5人)。不登校児童生徒数は9年連続で増加し、過去最多となった。
だからといって私は我々
日本人の心に親子親戚兄弟人倫とは無縁な
絶対神を輸入する必要があると主張する立場ではない。
逆に絶対神を拒否するのが日本人の信念
その根源を知る必要があると思うのだ。
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#“第31回「山本七平賞」最終選考結果のお知らせ 奨励賞に浜崎洋介著『小林秀雄の「人生」論』』”. News Cast. PHP研究所 (2022年9月17日). 2022年9月18日閲覧。
『ゴジラ-1.0』(ゴジラ マイナスワン、英題: GODZILLA MINUS ONE[2])は、2023年11月3日公開のTOHOスタジオ・ROBOT制作による日本の映画。戦後間もない日本を舞台に描かれる、山崎貴脚本・VFX・監督
<『ゴジラ-1.0』監督・キャストインタビュー>
— 『ゴジラ-1.0』【大ヒット上映中】 (@godzilla231103) December 6, 2023
大石典子 役#浜辺美波
「電車から振り落とされるシーンの撮影で
印象に残ったことは?」#大ヒット上映中#ゴジラ#ゴジラマイナスワン#生きて抗え#GodzillaMinusOne#Godzilla pic.twitter.com/GjqX9e02cJ
敷島 浩一(しきしま こういち)
本作品の主人公。元・海軍航空隊の少尉で日本に戻ってきた帰還兵で、空襲によって両親を失い、家も焼かれた状況の中で典子と出会う[6][7][10]。
大石 典子(おおいし のりこ)
両親を戦争で失い、敷島とひょんなことから出会い、ともに暮らすようになる女性[6][7][10]。
明子(あきこ)
典子が抱えていた女の子の赤ん坊。典子が空襲の最中に他人から託された孤児。戦後、敷島の家で典子と3人で暮らし、1947年には幼児まで成長する。
秋津 淸治(あきつ せいじ)
機雷除去用の特設掃海艇「新生丸」の艇長。戦後処理の特殊任務を国から依頼され、敷島たちとともに行う[6][10]。
水島 四郎(みずしま しろう)
「新生丸」に敷島とともに乗り込む見習い乗組員[6][10]。徴兵適用年齢前に終戦を迎えた「戦争を知らない世代」。
野田 健治(のだ けんじ)
「新生丸」の乗組員。元は技術士官で、戦時中は海軍工廠で兵器の開発に携わっていた[6][10]。
橘 宗作(たちばな そうさく)
元・海軍航空隊の整備部[6]。右に並ぶ者がいないほどの高い整備の技術を持つ[10]。
太田 澄子(おおた すみこ)
敷島が住む家の隣人。息子を空襲で失う[6][10]。
堀田 辰雄
駆逐艦「雪風」の元艦長[11]。
板垣 昭夫
東洋バルーン社の係長[11]。
関中佐の慰霊碑建立に協力した元航空幕僚長で参院議員だった源田実さん(平成元年死去)によると、神風隊は「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」に分かれ、関中佐は敷島隊の一番機(隊長)でもあった。当日、出撃したのは18機。半分は直掩(ちょくえん)機だったという。慰霊碑撰文で源田氏は「六機は敵護衛空母に命中し、三機は至近弾となって敵艦を損傷した。中でも関行男大尉は敵の護衛空母セント・ロー(一万四〇〇屯)に命中。同艦は火薬庫の誘爆を起し、艦体二つに折れて轟沈するという偉功を奏した」と記している。特攻による沈没はセント・ローをふくめ55隻
(ネタバレ注意)直後の感想
色々考えさせられるゴジラ-1.0のラストシーン
— ハルハル@アニラブ女子 (@haruharuAniaka2) November 1, 2024
#ゴジラマイナスワン pic.twitter.com/YpPgZ47bWt
ゴジラ映画70年に一貫してあった観る側のモヤモアをはっきりさせる映画でした。まさにゼロから出発したのでは無く邪悪なマイナスから日本人が再出発したという日本人の自画像がゴジラだという主張が見えてます。病室での再会アキコが母の胸に飛び込むシーンがいつまでも無かったのは、アキコの目には母に見えなかった。
ゴジラ細胞で瓦礫の肉片から再生したであろう典子の姿に本能的恐怖心を持ったからでしょう。