『文明の生態史観』 梅棹忠夫
当時としては珍しい中東旅行記がベースであるが、中洋という言葉に刺激されて当時日本では誰も教えていない地政学に基づいた歴史観を提供した著作。
特にインドは一筋縄ではいかない。インド人のいるところはインドであると思うべき。インド人の難しいところをよく知るのは英国であろう。日英経済交渉が長引きそうだが。
侵食される地方はさておき、国際関係を論じる時に梅棹忠夫の功績は役に立つ。当時1950年代後半の梅棹忠夫の試みは、当時日本語には歴史観という用語しかなかったから、書籍タイトルの限界があるが、中味は社会システム論である。世界には地政学的条件に適した社会システムが歴史的に存在する。日英が似ているのは決してランドパワーに降伏しないという歴史がつくりだした側面であり、その国家自覚が英国のシーパワーである。日英の国家自覚が似ていない側面は、この自覚とシーパワー成立までの歴史的順序である。したがって明治以降日本が英国を真似ているうちは非常に上手くいっていた。
不幸にも米国との交戦よりも先に英国との交戦が始まった歴史があるが、
目に留まる新鮮な視点は
『このようみてきますと、この種の知識人、すなわち、為政者の意識を持ちながら、しかも為政者から分離し、ある場合には為政者に対立的でさえある知識人の層というものは、やはり、高度産業社会の展開にともなって展開してきたもので、その点では、日本やフランス」、ドイツなどの、わたしのいう第一地域の特徴をなすものであるとみることはできないでしょうか。』