公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

今読ん 『告白的女性論』 北原武夫

2021-02-01 22:12:00 | 女性論
 










 


 






 
関根恵子つまり高橋恵子はシンメトリックな整いがあって、可愛く美しい。男の気持ちで勝手を言わせてもらえるならば、
女性は①かわいい②きれい③女優の3種で、自分にしか見せない表情がある女性つまり③が最上位に来る。
外見は記憶のおまけのようなものだが、女優は大切。
山口百恵の場合 左右が大きく違う。右に見える清楚さ②きれいなところと左に見えてくる③淫らな女、つまり女優とのギャップミックスが素晴らしい天然人材であった。某作曲家はメロディメロメロンだったらしい。
「普段は地味で、ちょっと暗いように見えるけれども、笑うと暗闇のなかでパッとマッチで火をつけたような、人の心をつかむ表情を見せるんですね。彼女の評価は当初、“花の中三トリオ”(山口百恵、桜田淳子、森昌子)のなかでもっとも低かったけれども、私はその表情に惚れ込んでしまったんです」これはプロ酒井氏の意見。
 


 




 








僕らは女優というスクリーンに突出した窓から彼女たちを見るだけなんだ。
僕らは自然、その仮想からその底に抜ける人間を観てるんだよね。彼女たちの仮想の窓にはその家の中に入ってみたいと思わせる言葉の外に滲む誘惑を感じる。誘惑は若さや美しさだけでなくそういう女優達はそういう仮想の家に自分が帰る幻想の旅路の終着点のような存在の女たちだ。共通するのは役柄としてスクリーンには出てこない隠れた奥行き魅力を備えていること。
 
 早乙女愛




坂口良子


 おまけ
 大塚英子を口説いた、安部公房、奥野健男、川上宗薫、北原武夫、黒岩重吾、五味康祐、亀倉雄策、黛敏郎のなかで良く知らないのが 北原武夫と亀倉雄策(1964オリンピックのポスターのデザイン)だ。勿体無い。
 
こんなに作品があるのに世代の開きか読んだことがない。そこで手に入れたのが昭和33年の作品『告白的女性論』講談社の一刷りである。奥付けに北原の検印のある古めかしく灼けた本である。純文学で挫折、通俗的な心理小説で人気を博したというのが北原武夫の評価らしい。しかし通俗でない文学はもはや文学ではなく、学の文である。
 著書
『妻』春陽堂 1939
『粧へる街』三和書房 1939
『文学と倫理』中央公論社 1940
『門』甲鳥書林 1941
『桜ホテル』スタイル社出版部 1941 のち新潮文庫
『創造する意志』中央公論社 1942
『ジヤワ従軍記 雨期来る』文体社 1943
『文学の宿命』実業之日本社 1947
『聖家族』中央公論社 1948
『青春の季節』文体社 1948
『炎断ち難し』酣灯社 1948
『天使』スタイル社出版部 1949
『燃える思春期』鱒書房(コバルト新書) 1956
『魔に憑かれて』宝文館 1957
『愛は抵抗する』東方社 1957
『告白的女性論』講談社 1958 のち旺文社文庫
『午後7時の慾望』清和書院 1958
『文学と映画と女性と』光書房 1959
『火の祈り』講談社 1959
『体当り女性論』正続 中央公論社 1959-1960
『マリヤ』講談社 1959
『おんな十二カ月』講談社 1961
『告白的男性論 男の裏側を語る』講談社 1961 のち旺文社文庫、レグルス文庫
『真昼の天使』講談社 1961
『誘惑者の手記』講談社 1963
『愛の檻』河出書房新社 1964
『薔薇色の門』講談社(ロマン・ブックス)1964
『わが悪女物語』サンケイ新聞出版局 1964
『処女無価値論』桃源社(ポピュラー・ブックス) 1965
『魔唇』日本文華社(文華新書)1965
『危険な日記』講談社 1965
『残酷な男』実業之日本社(ホリデー新書) 1966
『愛のもだえ』日本文華社(文華新書) 1966
『北原武夫現代シリーズ』全5 講談社 1966
『体験的女性論 誘惑的な女の愛と性の秘奥』日本文華社(文華新書) 1967
『ミモザ夫人』講談社 1967
『魔女の誘惑 わが告白的女性遍歴』日本文華社(文華新書) 1967
『恍惚への誘い』青春出版社(プレイブックス) 1967
『女・色見本帖』講談社 1967
『プレイ・ボーイ日記』講談社 1967
『砂に濡れた女』講談社(ロマン・ブックス) 1967
『悪女』講談社(ロマン・ブックス) 1967
『禁断の肌』光文社(カッパ・ノベルス) 1967
『情熱の階段』日本文華社(文華新書) 1968
『色事師』講談社 1968
『カンバスの中の女』講談社(ロマン・ブックス) 1968
『女ごころ』講談社(ロマン・ブックス) 1968
『幻の美女』講談社 1968
『悦楽の禁書 わが秘密を告白する』ベストセラーズ 1968
『悪女たちの饗宴 女の誘惑シリーズ』光文社(カッパ・ノベルス) 1969
『魔女日記』講談社 1969
『憂愁夫人』講談社 1969
『紫陽花の女』講談社 1969
『向日葵の女』講談社 1969
『花川戸助六』講談社 1970
『紋之丞色ざんげ ある歌舞伎役者の性的遍歴』講談社 1970
『ドンファン日誌』講談社 1970
『霧雨』講談社 1971
『黒水仙の夫人』講談社 1971
『パリは今日も雨降る』講談社 1972
『文学論集』正続 冬樹社 1972-1973
『情人』講談社 1972 のち文芸文庫
『美しい獣』講談社(ロマン・ブックス) 1973
『ティヴォリの情炎』講談社(ロマン・ブックス) 1973
『北原武夫文学全集』全5巻 講談社 1974-1975
『告白的女性論』これは男の側のおもしろい考察に溢れた名作である。もちろん告白的女性論 (ちくま文庫)2009年もある。が、旧漢字旧仮名遣いの方が心地良い。さすが川上宗薫の師匠。

神奈川県小田原市の医家に生まれる。神奈川県立小田原中学校(現:神奈川県立小田原高等学校)を経て、家業を継ぐべく新潟高等学校 (旧制)理科に入学するが父に反抗して中退し、慶應義塾大学予科に入学。慶應義塾大学文学部仏文科に進むが国文科に転じ、1932年に卒業。在学中に、井上友一郎、田村泰次郎らの同人誌『桜』に参加。

都新聞社に入社。横浜支局に勤務。1934年、都新聞社本社に転勤。この間、1933年に宇野千代と知り合う。1936年、宇野千代と共に日本最初のファッション雑誌『スタイル』を創刊。1938年、『妻』を発表して芥川賞候補となり文壇にデビュー。1939年、吉屋信子および藤田嗣治の媒酌により宇野千代と結婚。1964年、北原から申し出て離婚。この離婚は話題を呼び、1965年8月号の婦人倶楽部では「宇野千代さんと別れた北原武夫氏の告白」として特集記事が組まれた。同年10月、交際していた女優の公卿敬子と再婚。

1973年9月29日、糖尿病による腎不全のため慶應義塾大学病院で死去。戒名は光芸院武誉碩文居士。

通俗的な心理小説で人気を博した。門人に佐藤愛子川上宗薫がいる。
何故か告白的男性論も人気がある。


1989年の女子



ちなみに幸福度の国際比較は
 


これでも日本で女性が軽視されていると言えると?年の差結婚も減っている事実がある。
 


 
Average age people lose their virginity:
 
🇲🇾 Malaysia: 23
🇮🇳 India: 22.9
🇸🇬 Singapore: 22.8
🇨🇳 China: 22.1
🇹🇭 Thailand: 20.5
🇭🇰 Hong Kong: 20.2
🇻🇳 Vietnam: 19.7
🇳🇬 Nigeria: 19.7
🇯🇵 Japan: 19.4
🇪🇸 Spain: 19.2
🇮🇩 Indonesia: 19.1
🇵🇱 Poland: 19
🇮🇹 Italy: 18.9
🇹🇼 Taiwan: 18.9
🇷🇺 Russia: 18.7
🇲🇽 Mexico: 18.7
🇿🇦 South Africa: 18.7
🇫🇷 France: 18.5
🇬🇧 United Kingdom: 18.3
🇨🇭 Switzerland: 18.2
🇨🇦 Canada: 18.1
🇳🇱 Netherlands: 18.1
🇬🇷 Greece: 18.1
🇺🇸 United States: 18
🇦🇺 Australia: 17.9
🇹🇷 Turkey: 17.8
🇳🇿 New Zealand: 17.8
🇸🇰 Slovakia: 17.8
🇩🇪 Germany: 17.6
🇧🇷 Brazil: 17.4
🇮🇪 Ireland: 17.3
🇭🇷 Croatia: 17.3
🇦🇹 Austria: 17.3
🇨🇿 Czech Republic: 17.2
🇨🇱 Chile: 17.2
🇧🇪 Belgium: 17.2
🇵🇹 Portugal: 16.9
🇧🇬 Bulgaria: 16.9
🇮🇱 Israel: 16.7
🇫🇮 Finland: 16.5
🇳🇴 Norway: 16.5
🇸🇪 Sweden: 16.2
🇩🇰 Denmark: 16.1
🇮🇸 Iceland: 15.6
 
同級生(もちろん学校は違う)
 
宮崎 美子(みやざき よしこ、1958年12月11日[2][3] - )は、日本女優タレント。本名同じ[4]。旧芸名、宮﨑 淑子(みやざき よしこ)。
 

宮崎美子
 
大分大学教育学部附属中学校卒業後、大分県立大分上野丘高等学校に入学。2年に進級する際、熊本市内に戻り熊本県立熊本高等学校編入学。卒業後、熊本大学法学部法律学科に入学[5]。大学でのゼミは「現代の政治」(岡本宏教授)を専攻した。
 
 

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