明治維新にあって今ないものは、
熱い知性をぶつけ合う言葉の戦いです。
若い頃に野球を経験したもの同士が何も示さなくてもボールさえあれば無言でお互いにキャッチボールができるのも、技術の問題ではなく、まずは染み付いたココロの問題なんだよね。近代化した情緒がスポーツマンシップというものかもしれない。スポーツマンシップがスポーツにしかないと言う今の世間の方が異常社会と思えなければ古い日本の心は戻って来ない。同じものが戻って来るはずもないのだが。。理屈(赤塚不二夫の言うチンポ)の勢い(流行、付和雷同)に頼っているうちはどんなに高邁なことを言っても子供なのだ。ココロの理解に至らないうちは君子ではない。
(天国からココロのボスより)