今読んでる『愛と憎しみの新宿』半径一キロの日本近代史 平井玄著
(ひらい げん、1952年5月5日 - )東京都立新宿高校時代に坂本龍一らと全共闘運動に関わる。早稲田大学文学部抹籍。1980年代には、府川充男、竹田賢一、後藤美孝とともに雑誌『同時代音楽』の編集にたずさわる。
ハイ・タイド・ハリスを語る 創刊号 同時代音楽1979年3月1日発行 1号
坂本龍一は都立新宿高校の一年先輩。(全共闘で都立新宿高校から東大入学と言えば、もう少し上の世代1948年生まれにゼンショーグループの創業者小川賢太郎氏がいる)全都連の中心世代。主に新宿東口という狭い空間に埋め込まれた何世代にもわたる社会の断層 貧富 資産 地方出身 外国人 朝鮮人 様々な事情で亀裂を遺す新宿の系統発生を徹底的に個人の個体発生で解釈した本。新宿残侠伝 関東尾津組も読んでみたいのだが入手できない。
猥雑な新宿東口。ニューホテルととや (1949年3月5日付読売朝刊に「ニューホテルととや」の広告があり、「旅館・安田本店復活・和洋室、新宿駅前・中村屋ビル」とある。)が映っている。
「ととやホテル」は新宿東口中村屋の旧ビルの4階から6階にあった。1949年春開業で、1969年3月末閉店。作家が缶詰になる場所として常宿のように使った最初の人物が、広津和郎だった。そのほか、利用客としては、井上友一郎、田村泰次郎、林芙美子、獅子文六、川島雄三、溝口健二、八木隆一郎、加藤唐九郎がいた。ホテルの晩年の客としては、三島由紀夫がいて、憂国の打ち合わせで使って以来の客だった。
もう少しあと
そんな戦後の焼け跡の煤くささ漂うかのような新宿東口。
著者が
58歳を契機に止まった映画の続きを見るように1969年とはどんな青春だったのかを反芻する、映画、ジャズ、チープな食事、そして演劇、カネのない高尚趣味なのか反逆なのかわからないままに逃れられない空間新宿を、少なくとも物理的には逃れていった者たちにむけて贈る餞別。そんなことかなと思いつつ読み進む。
読み進んでみると
この作品に通底するのは、階層という社会の断層に対する愛憎。憎むがゆえ愛するがゆえに埋められない歴史的宿命。もはや身体として受容させられた新宿。若松映画の世界が合わせ鏡の様に虚脱した若者に強姦を見せながら、若者を強姦した新宿。やるせない暴力だけが残存した70年安保。同時代の「正統派」左翼のロールモデルの「若者たち」を描いた森川時久監督とは好対照の現実に生きた若者、ドブネズミみたいに金欠で、本当に区役所通りを這い回り、落ち金があるときは呑んだくれる。この時代東京に無数にいたポスト全共闘の生きた姿は、実社会の断層を這いのぼるか、アウトローに滑り落ちるか、其のどっちにも行けないサブカルの担い手元祖新宿二丁目の自称ドブネズミの自画像が悲しくも正直に描かれている。
大木 晴子 他1名
『1969―新宿西口地下広場』
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