公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

差分関数を積分する想像力

2010-08-06 07:32:43 | 日記

 個人の想像力だけで生きてゆく時代は遠い昔に商品流通と交易手段の発達が終わらせてしまったのに、自然に生まれた人間は、想像力を自由で限界の無い物と思っている。またそういう万能感を前提として教育されている。そのような想像力の繰り出す純粋な世界は歌の世界か、アートの世界にしか残されていない。想像力は現実をつかみ取るエンジンであってファンタジーの伴侶ではない。我々の日常の外界はきわめて特殊に延長されていて、リアリティを固定するために五感のみを頼りにできない。

 しかし、凡人であっても、注意力さえあれば、差分(狭い意味では変化)を認識する事は可能だ。

 もし通常の注意力を以て、時間の経過に沿った差分を観察できるならば、個人のアナログな想像力エンジンを用いてその原因にむかって辿る旅をすることができる。このように意識してたどり着いた原始関数に相当するのがリアリティというものなのだ。従ってリアリティはその生い立ちからして観念的なのだが、多くの人はリアリティというものをそこにある事物と同一視して、本質を誤解している。

 リアリティは、はじめから作り物なのだ。だから創らなければならない。

======
グーグルの副社長は少し前にこのように言っている。

「“想像力は筋肉”のようなものだと、いつも肝に銘じていなければならない」という。グーグルはそうした考えに基づいて「20%の自由時間」コンセプトを打ち出し、「1週間のうち1日は好きな仕事をすることを社員に許している」と、マイヤー氏は説明した。「この自由時間から、いろいろな優れたアイディアが生まれた。20%の自由時間の産物には、“Google News”や“Orkut”」などのサービスがある」(マイヤー氏)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 事例研究 28 理想科学工業 | トップ | 34年ぶりの中島みゆき »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。