公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

弱体な国家に貶めるルーピーと形容される首相

2010-04-18 08:05:06 | 日記
「弱体な国家は常に優柔不断である。」
「決断に手間取る事は、常に有害である。」
「このことは確信を持って言える。国家活動について物事を曖昧にしていた事がフィレンッエ共和国にとっていかに有害であったかは、私自身が体験した。」
「長時間の論議の末の遅すぎる結論も有害である。」
「一旦決定してしまえば、言葉などあとから生まれでるものである。」
   「政略論」
   マキャヴェッリ
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「たしかに経済的な窮乏は悪である。しかしそのような窮乏でさえ、自由の喪失ほどの悪ではない。」

   ドラッカー
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 小さな国家や会社でも決定が早ければ、敵や競合に情報をあたえる隙がない。痛みの伴う決定ほど国民や社員さえも知らない電撃ならば効果的に敵を出し抜く事が出来る。
 問題は大きな国家や企業でそれが出来ない状況の方にある。自由主義を前提とする限り、政体や経営体の民衆、株主によるチェックバランスの仕組みを組み込むことは避けられず、言論の自由が制限されない成熟した民主主義国家ならば、電撃決定や合意の無い実行に対して自由主義をベースとした選択肢を考慮した反論が必ず登場し、電撃決定は政敵に利するという恐れから、リーダーは何も決定できない。
 しかし現代はこの選択を前提とする自由主義が疑われている。第一に環境問題、第二に世界経済の一体化、第三にどこに現れるかわからないテロリストの登場の為に、第四にInternetの為に国民と政体との間の約束が常に国民の拒否権によって政体の実行手順に干渉を与えるような自由主義は有害な時間浪費的なものになりつつある。
 最近では、日本の参議院議会の役割が盲腸化した前々回の小泉解散などはその典型的光景といえないか。参議院が否決するので、賛成多数の衆議院を解散するという憲政の暴挙は自由主義的手続きの限界が露呈した典型だった。
 企業においてはどうだろう。内部統制監査済み企業がより報告信頼性の高い企業で投資家を保護する善政であるというのが大方のご意見だろう。そうした自由主義的手続き至上主義は情報を社内に漏らす事無く経営者が電撃決定する事を拒絶している。
 正しい決定の無い状態が長引くことほど、国家企業に有害な事は無い。
 正しい手続きが正しい決定を導くとは限らない。しかも結果が悪ければ経営責任を問われる。そのような仕組みでリーダーがなにを実現できるだろうか。しかも企業は国家より速く動かなければならない。結果早晩従うもののいない盲腸となることだろう。
 ドラッカーが言うように古き良き自由主義はだれもが困難なときに帰ろうとするホームだが、そこにはもう家族はいない。忠実な番犬が迎えるだけの行き詰まった穴蔵だ。世界的課題が国家を超えて山積するときに、偏狭な自由主義の穴蔵から自国民の利害と正義を振りかざすのはloopyといわれてもそれは図星なだけに返す言葉が無い。
 
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