古代の律令制が早々に崩壊*すると日本の古代は地方から、富豪の輩を中心に自力救済の色を濃くし、様々な権門が割拠するようになる。朝廷はこれを抑えるために貴種を派遣して名の大きさで動員数を確保させるようになる。源平の起源である。日本の歴史は中央集権よりも自力救済の歴史が長いので、司法が相対解決の傾向にあった。*743年墾田永世私財法では公有原則が完全に放棄されることになる。大宝律令から42年後のこと
自力救済は昨日今日の流れではなくこの先数十年は確実に続く全地球的強奪社会に適応するために避けられない自己防衛であって侵略や反逆ではない。
政治原理として極めて実際的で有効な<自力救済>というあまり聞き慣れない言葉が<民主国家防衛>のキーワードになる。将来はこの変化がなんと呼ばれるか予想できないが、これを<国民奉還>革命と呼んでももいいだろう。