賢明に考える習慣を持つと、そのうちに顔が賢そうな輝きに満ちてくる。表情ばかりか、体の見た目も賢そうになってくるのだ。たとえば、他人から見て動作や姿勢のあり方にシャープな感じが出てくる。
どのような精神を持つかによって、人間の外観もまた変わるのだ。元気な人が活発に歩くように、悲しみと失意を秘めた人がとぼとぼ歩くように。
ニーチェ 『人間的な、あまりに人間的な』
どのような精神を持つかによって、人間の外観もまた変わるのだ。元気な人が活発に歩くように、悲しみと失意を秘めた人がとぼとぼ歩くように。
ニーチェ 『人間的な、あまりに人間的な』
たとえ絵としてはつまらん絵でも、絵の中に物語的要素というか、あるいは対話の要素というか、そういうものがあってそれが魅力の源泉になっていた。必ずしも歴史画であるとか人物画であるとかに限らない、風景を写生的に描いてあってもそういうところがある。それがどの辺りから消えたのかと、私は時々考えるのですが、どうも東山さんの一世代前あたりかららしい。これはどういうことですかね。
安藤次男さんの言葉
安藤次男さんの言葉