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「女性を見つめると逃げられた」琉球王朝末期の風情 仏の軍人がつづる

2020-11-18 08:33:58 | ニュース

11月14日記事の続きのようなものです。

下の画像は、当時(1877年)の崇元寺と今の崇元寺。

ルヴェルトガが1877年に撮影したとされる崇元寺

(艦長の子孫が発表した論文より)(沖縄タイムス)

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首里城(1877年)
できればAIを使って当時の色を再現して欲しいものだ。

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フランスの巡洋艦ラクロシュトリ号(アンリ・リウニエ艦長)で1877年来琉し、最古とみられる首里城正殿の写真を撮影したというフランスの海軍中尉ジュール・ルヴェルトガは、帰国後の82年に紀行文「琉球諸島紀行」を発表した。

琉球側高官と懇談する様子や那覇の街の風情、首里城のたたずまいなどがつづられている。

神奈川大学の熊谷謙介教授(フランス文学)の翻訳で一部を紹介する。

外交を任務とし、首里城に向かう一行は「道は上り坂となり、海抜200メートルに達する。その頂に首里城がそびえ立っている」と表現。

さらに案内役の人物2人と合流し、歩を進めると「物見高い人々の集団が増え始め、臆することなく、奇妙な外国人のことを見つめてくる。とはいえ、ある女性に視線を投げると、彼女は逃げてしまったのだが」 と当時の人々の様子にも触れている。

「もう二つ門を通って、私たちはようやく宮殿前庭(御庭)にたどりついた。その奧に正殿がそびえているのだが、木造の巨大な長方形の建造物といったところである」との印象。「屋根がおりなす稜線(りょうせん)の両端には、彩色された龍の二つの巨大な頭が輝いている」と描写する。

「正殿については、われわれを迎えてくれた者たちが『お寺』と呼んでいるように大きな寺院であるが、ネズミ1匹入れない空間となっている。壮大な儀式の際にしか開かれないからであり、王はそれに隣接する建物に住んでいる。王を垣間見ることさえできないのである」とのエピソードも示した。

また、正殿の横にある応接の間に参上を許されたとし「われわれが着くとほぼ同時に物奉行が現れたが、年の頃六十の老人のような相貌である」「われわれの艦長は今回の訪問の目的を伝え、王に対面がかなわなかったことを残念に思うと告げる」などと記している。

沖縄タイムスより

 

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