takano_nagano@yahoo.co.jp
▲立派に組まれたどんど焼きの櫓(西之久保地区)
小正月に行われる三九郎(当地域では「どんど焼き」というのが一般的)、最近は1月第2週の土・日に行う地域が多くなった。
今日も、各所で朝から正月の松飾りやしめ縄・ダルマ・神棚の御札などを持ち寄り、山から切り出した木や竹で骨組みを造り、どんど焼きの櫓を組む様子が見られた。
昔は子供たちが各家をまわり松飾りなどを集め、ソリに乗せて道祖神脇に運び、大人たちと一緒に大きな櫓を造ったものです。各家からもらった「お駄賃」と称するお菓子やミカンを、皆で食べるのも楽しみでした。そして、点火時刻まで他人に火を点けられないように、周りで見張番をしていたものです。
今日では子供も少なくなり大人たちが中心となって、皆が参加しやすい祝祭日に、道祖神近くにこだわらず安全な場所で行われるようになった。櫓の芯棒となる大きな木を山から切り出すこともしない所も増えたようだ。
大きく変わった今日のどんど焼きだが、こうしたどんど焼きができなくなっている地域もあるとのこと。理由は市街化によるものと、過疎化によるものとのことだ。
幸い我が麻績村では、このどんど焼きの行事は今日でも大切に引き継がれている。そして、残り火でお餅や繭玉を焼いて食べ一年の無病息災を願うという風習も残っている。
数は少なくなったが、子供たちも笑顔で参加している。いつまでも、残って欲しい行事の一つだ。
▼燃え上がるどんど焼き(西之久保地区)

▼残り火でお餅を焼く(上町地区)

小正月に行われる三九郎(当地域では「どんど焼き」というのが一般的)、最近は1月第2週の土・日に行う地域が多くなった。
今日も、各所で朝から正月の松飾りやしめ縄・ダルマ・神棚の御札などを持ち寄り、山から切り出した木や竹で骨組みを造り、どんど焼きの櫓を組む様子が見られた。
昔は子供たちが各家をまわり松飾りなどを集め、ソリに乗せて道祖神脇に運び、大人たちと一緒に大きな櫓を造ったものです。各家からもらった「お駄賃」と称するお菓子やミカンを、皆で食べるのも楽しみでした。そして、点火時刻まで他人に火を点けられないように、周りで見張番をしていたものです。
今日では子供も少なくなり大人たちが中心となって、皆が参加しやすい祝祭日に、道祖神近くにこだわらず安全な場所で行われるようになった。櫓の芯棒となる大きな木を山から切り出すこともしない所も増えたようだ。
大きく変わった今日のどんど焼きだが、こうしたどんど焼きができなくなっている地域もあるとのこと。理由は市街化によるものと、過疎化によるものとのことだ。
幸い我が麻績村では、このどんど焼きの行事は今日でも大切に引き継がれている。そして、残り火でお餅や繭玉を焼いて食べ一年の無病息災を願うという風習も残っている。
数は少なくなったが、子供たちも笑顔で参加している。いつまでも、残って欲しい行事の一つだ。
▼燃え上がるどんど焼き(西之久保地区)

▼残り火でお餅を焼く(上町地区)
