The ride is that thing inside you that you can no longer hold in. When you exercise it you exorcise it.
走るという行為は自分では抑えきれない自分の中の「なにか」なのだ。運動 (exercise)をすればその「なにか」を追い払う (exorcise)ことができる
この記事は、筆者 (Seth Davidson)の許可を得て翻訳しています。
SethのHPはこちら! Thanks Seth!
(オリジナルの記事はこちら)
心の琴線にふれる良エッセイに出会いました。
自分の考えていたことがすっきりと表現されていたので、翻訳しちゃいます。
ながーく自転車にのる人生を送りたいですね。
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わかっているとは思うが、問題はあなたが追いつけない人々に追いつこうとしていることにある。人には優劣があり、どんなに厳しい練習をしても、いざセレクションがかかった時にどうしても追いつけないほど速い選手はいるものだ。
あなたは自転車に乗り始めてまだ日が浅い、そして普通の人々が見ることのないほどの自分の能力の向上を経験している。だが、一つ間違いを犯している。自己の肉体的能力を遥かに越えた人種と自分の比較をし始めていることだ。あの人たちと同じくらい「速く」なりたい、という思いがフラストレーションにつながる。あなたは平均的なサイクリストよりずばぬけて速い、なぜならあなたにとって「良い」状態は「速い」状態と同義だからだ。おそらくあなたは私(この記事の筆者)の言っていいる意味がわかっていないか、ただヨイショしているだけと思っているか、私があなたのことをよく理解していないと思うかもしれない。
だが、理解していないのはあなたなのだ。
わたしは(自転車に)30年近く乗っている。昔から、ファンライドでは一緒に走れる自転車乗りでも、いざペースがあがってクランクを真剣に廻されると決して追いつけない人々がいるのはわかっている。追いつこうとするのは不毛であるし、その努力は自転車に乗るという経験をスポイルする、なぜなら自転車に乗るという行為はそもそもあなたの内面性の問題なのだ。
多くの人は、自転車に乗るという行為が個人の内面性であるとは信じたくないかもしれない。答えは道路の上にあるか、Stravaか、平均速度・ワットか、走行距離、レースの結果、そして「速い人達」といっしょに走らない?という無言の招待の中にあると信じている。
走るという行為は自分では抑えきれない自分の中の「なにか」なのだ。運動 (exercise)をすればその「なにか」を追い払う (exorcise)ことができる、そしてそれからの開放が濃厚に楽しいのだ。しばらく解かれた状態が続き、また「なにか」がたまり、そしてまた追い払う。この繰り返しによって少しずつ、永遠になにかが変わっていく。
自転車に乗るという肉体的行為は、他者との比較によって計測できる。しかし、あなたの内部にある例のあれを他者との比較のなかで表現はできない。まず、自分の中にある例のあれと真摯に向き合い、表現してみることだ。
さまざまな理由で自転車(競技)を始め、そして去って行く人を見てきた。去ってしまう主な理由は、何かを達成するために自転車に乗っているからだ。目標を達成するか、達成できないことを悟ると、人生の次のテーマに移っていく。また、物理的に何かを得られると思って自転車に乗るものの、自転車に乗らない時に比べて金欠になっていることに気付く人も多い。トップエンドバイクや、エアロなホイールは高くつくものだ。
自転車に乗るという行為が最も空疎になってしまったのは、競技のみを目標としてやってしまった人だ。
(筆者は)レーサーからはほど遠い。私はあなたを負かすために自転車には乗らない。あなたを負かそうと本当に思っているなら、先頭は牽かないし、クリテに出場することもないし、必要がないのにパーツをアップグレードすることもしていないだろう。私が自転車に乗る時、私は非常に個人的な経験をしているわけだが、それは多くの場合他者の参加によって影響されている、しかし他者によってその個人的な経験が定義されるというわけではない。私の「内部」の走りの中で、他者は色々な役割を果たす。速い人、私をちぎって行く人、遅い人、私にちぎられる人、フェイスブックやWordPressや動画サイトで間接的に私と一緒に自転車に乗っている人、横で冗談を言って笑う人、家族の近況を信号待ちでシェアする人・・・
自分のこと、知っていますか?
もし少しでも理解していれば、その贈り物に人生の最後の息をする日まで感謝できるでしょう。まだわかっていない人、その贈り物は自分の想像とはギャップがあるかもしれません。満足できるものではなく、改善を要し、ひょっとしたらお店にいってもっと格好いい色でグレードの高いコンポーネントにアップグレードできるかもしれません。
乗るという行為の答えは自分の内面にある。勇気をだして自分の中の薄暗い場所を探し、そこで見つけたものを受け止めよう。期待していたものとは違うかもしれない。だが、見つけたものはおそらく最高の贈り物なのだ。
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朝2時半に起床して、ふと思うことがあり訳してしまいました。4時に作り終えて、Sethさんにメールを打って二度寝。
6時半に目覚めてたら「翻訳していいよ」との返事がinboxに入っていました。
何か感じることがあったら共有してくださいね。
自分はレーサーではありませんが、
なんか、ぐっ、とくるものがありました。
夜中にもぞもぞ起きてきて、翻訳した甲斐がありました。
ここで書かれていることは、自転車に限らず、アスリートに限らず、普遍的な側面がありますね。
だから共感の波が伝播するのでしょうか。
ツキイチでちぎれた際に先生の復活をまざまざと体験させて頂きました。
遅ればせながらブログ再開もお慶び申し上げます。
Sethさんの記事、私程度の者でも響くものがありました。
なんというか、アントニオ猪木さんの「(答えは)探せ!てめぇで!」、「迷わず行けよ、行けばわかるさ」という御言葉を連想しました。
あと、どうでもいいのですが、原文サイトの次の"UCI、シャンパンファイト禁止か"の記事で、その理由が男性の絶頂のアレを象徴した行為だとジェンダー研究機間から注意されたため、というのがなんとも、、、
よく読んでないのでアレですが、ネタになりそうならこちらも翻訳願います( ^ω^ )
長文失礼しましたー。
ご丁寧にコメントを頂くと大阪を目指していたあの頃が蘇りますね。
シャンパンファイトの記事ですが、記事の日付をご確認くださいwwww
こんなのもありました
Froome faces scrutiny over extraterrestrial DNA test results
http://velonews.competitor.com/2014/04/news/froome-faces-scrutiny-extraterrestrial-dna-test-results_322157#u428U5eI1uWseEUF.99