オミクロンの拡大が収まりません。重病になることは少ないとはいうけれど、その感染拡大は不気味です。子どもや、年寄にも段々拡大してきたと言います。
隔離のためのベッドが危機的状態になるのも近いとか。
そこで打ち出されたのが、症状の軽い人たちは、自分で検査キッドを求め感染の有無を確め、保健所に申し出る方法が考えられてきました。ほかに、無料の検査所も設けられているようです。
兎に角かかってしまった人は、他へ感染させないように、自主隔離する方法。最善ではないかもしれないけれど、検査できることは良いことだと思いました。
ところが肝心のキッドの生産が、急激に膨らんだ希望者数に追いつかないと言います。
テレビニュースで、主婦とおぼしき方が、こう話していました。
「今朝から駆け回ったのです。やっとこれだけ手に入りました」。どこか誇らしげな、安心したような口調です。「同居家族もいますから、症状が疑われるときいち早く自宅で検査できるようにしたいと複数買いました」。またある会社の社長さんらしき人。「社員もかなりいますから、これらに蔓延すると働く人の数が足りなくなります。すぐ使えるように、会社用として求めました」
二人とも手に入った、これで安心。家族のため、会社のため、こうした用意をするのは主婦の、経営者の務めだと言わんばかりの満足顔でした。
私。はあ、出遅れているなあ、無能主婦、バツ印主婦かいな?もし、家族の中に患者が出た時、この主婦は感謝されるのだろうな。「さすがママ、手に入れて置いてくれて助かったよ」と株が上がるに違いない。社長さんもしかり。
でもこれって、買い占めではないの。視点を転じれば、不確かな需要のため、必要な人の分まで死蔵するのではないの。予想以上に品不足になったというのは、一見こうした優秀な人たちの買いだめが、物不足の原因ではないの。困ったちゃんではないの。〇か✕か、見方で正反対の行動になるかもしれない。ここで重要なのは、深くじっくり根本を考える力でしょう。
公園で、ワンちゃん散歩をしているままと挨拶の声を掛け合う仲の人がいます。昨日出会ったら、「3度目やったのよ」と。「あら早い。もう、申込用紙が来たの?我が家はまだ来ないわよ」「区の会場でやったのではないの、かかりつけの医者が薦めてくれて、やってもらったの」。へ~え、そんな手があるのだ。きっと医療従事者用を、多めに確保して,上客に勧めているのではないかな。これって違反だよね。と思ったけれど「良かったわね」と言って別れた。
手元にいくつか用意する、このことが善なるか、悪なるか、自分でよ~く考えるほかありませんね。私は決して正義の人ではありませんが、昔あったトイレットペーパーの買いだめからいろいろな機会に買い占めはあったけれど、私にはさもしいこととしか思えないのでしたことがない。馬鹿正直よと馬鹿にされたこともあったけれど。自分の価値観は崩せない。
話は飛びますが、今日新聞の広告欄で、茨木のり子さんの「倚りかからず」が紹介されていました。自分の立ち位置の大事さ。とにかく自分で考えることの大切さ、心を打たれましたのでメモりました。
倚りかからず
もはや
出来合いの思想には倚りかかりたくない
もはや
出来合いの宗教には倚りかかりたくない
もはや
出来合いの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれくらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ