おせっちゃんの今日2

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ワクチン(3度目)の予約

2022-01-29 13:33:58 | コロナウイルス

昨日の郵便でワクチンの接種券が配達されました。
1回・2回目の予約が電話は繋がらない、ネットも受付までたどり着けないでずいぶん苦労した覚えがありましたので、この度も覚悟しておりました。が、接種券を日にち的にバラしたのか、今日朝はだめでしたが、午後昼食後に試みましたら、すぐ電話が繋がりました。ネットではなく電話にしたのは、接種券は夫婦でも別々に来ます。それを一人ずつやっていると、予約日が違う日にち、違う時間になってしまったからなのです。夫がかなり弱ってきましたので、一緒に行ける方が助かるのです。
こういうアナログ的な微調整は電話の方が話せるだけスムーズに行くような気がします。

手続きは、既に、1回2回で名簿的なものができているのか、スムーズにすらすらできました。
ただ、皆待ちに待っていたのでしょうか、もう2月中は空白が無いのだそうです。3月2日にしていただけることにはなりましたが、打ってから抗体ができるのには2週間ほどと以前聞いたような気がします。一安心と息がつけるのは随分先になります。ちょっと待ち遠しいです。

兎に角身を慎んで自分の身体は自分で守ることにします。


〇か、✕か。

2022-01-28 13:35:15 | コロナウイルス

オミクロンの拡大が収まりません。重病になることは少ないとはいうけれど、その感染拡大は不気味です。子どもや、年寄にも段々拡大してきたと言います。

隔離のためのベッドが危機的状態になるのも近いとか。
そこで打ち出されたのが、症状の軽い人たちは、自分で検査キッドを求め感染の有無を確め、保健所に申し出る方法が考えられてきました。ほかに、無料の検査所も設けられているようです。

兎に角かかってしまった人は、他へ感染させないように、自主隔離する方法。最善ではないかもしれないけれど、検査できることは良いことだと思いました。

ところが肝心のキッドの生産が、急激に膨らんだ希望者数に追いつかないと言います。
テレビニュースで、主婦とおぼしき方が、こう話していました。
「今朝から駆け回ったのです。やっとこれだけ手に入りました」。どこか誇らしげな、安心したような口調です。「同居家族もいますから、症状が疑われるときいち早く自宅で検査できるようにしたいと複数買いました」。またある会社の社長さんらしき人。「社員もかなりいますから、これらに蔓延すると働く人の数が足りなくなります。すぐ使えるように、会社用として求めました」

二人とも手に入った、これで安心。家族のため、会社のため、こうした用意をするのは主婦の、経営者の務めだと言わんばかりの満足顔でした。
私。はあ、出遅れているなあ、無能主婦、バツ印主婦かいな?もし、家族の中に患者が出た時、この主婦は感謝されるのだろうな。「さすがママ、手に入れて置いてくれて助かったよ」と株が上がるに違いない。社長さんもしかり。

でもこれって、買い占めではないの。視点を転じれば、不確かな需要のため、必要な人の分まで死蔵するのではないの。予想以上に品不足になったというのは、一見こうした優秀な人たちの買いだめが、物不足の原因ではないの。困ったちゃんではないの。〇か✕か、見方で正反対の行動になるかもしれない。ここで重要なのは、深くじっくり根本を考える力でしょう。

公園で、ワンちゃん散歩をしているままと挨拶の声を掛け合う仲の人がいます。昨日出会ったら、「3度目やったのよ」と。「あら早い。もう、申込用紙が来たの?我が家はまだ来ないわよ」「区の会場でやったのではないの、かかりつけの医者が薦めてくれて、やってもらったの」。へ~え、そんな手があるのだ。きっと医療従事者用を、多めに確保して,上客に勧めているのではないかな。これって違反だよね。と思ったけれど「良かったわね」と言って別れた。

手元にいくつか用意する、このことが善なるか、悪なるか、自分でよ~く考えるほかありませんね。私は決して正義の人ではありませんが、昔あったトイレットペーパーの買いだめからいろいろな機会に買い占めはあったけれど、私にはさもしいこととしか思えないのでしたことがない。馬鹿正直よと馬鹿にされたこともあったけれど。自分の価値観は崩せない。

話は飛びますが、今日新聞の広告欄で、茨木のり子さんの「倚りかからず」が紹介されていました。自分の立ち位置の大事さ。とにかく自分で考えることの大切さ、心を打たれましたのでメモりました。

倚りかからず

もはや
出来合いの思想には倚りかかりたくない
もはや
出来合いの宗教には倚りかかりたくない
もはや
出来合いの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれくらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ


目・口

2021-12-07 13:41:00 | コロナウイルス

区民センターのコミュニティー美術教室準備の委員会に行ってきました。
本来なら教室での2時間事前授業と、現地見学一日バス旅行セットで開催するのですが、このところコロナのため中止にしたり、講師の講義のみにするかに留まっています。
この度の美術教室も世田谷美術館で開かれている「グランマ・モーゼス展」にちなんで「絵から読み解く素敵な100年人生ーグランマ・モーゼスの生き方」と題して美術館企画課長・遠藤 望さんに講義をしていただくことになりました。後に各自自分で見学に行ってもらうことで我慢です。25名の募集でしたが、コロナが一応収まっていることで、注意深く用心をして、申し込まれた方41名皆さんに当選葉書を出すことにしました。

同じ世田谷区の区民センターでも、すべて中止にしてしまったところもあるのですが、私どもはこのように縮小してできるだけやることにしています。

さてコロナですが、日本では不思議なほど急速に感染が収まってきました。ただ、また新たにオミクロンとか言う新型が勢力を増す勢いのようで、水際作戦に政府も手早い処置をとるべく努力してくださっているようです。うまくいくよう祈るのみ。

ところで、なぜ日本がこんなに際立って感染が収まったのか、専門に研究しているドクターにも分からないということですね。ワクチンを多くの人がうったこと。日本人はマスクに抵抗する人が少なく、ほとんどの人が素直に使っていること、などが原因かなあ、とのことですが。オミクロンもマスクで退けられるといいのですが。

ところで、この感染者の右下がりのグラフを見ながら、マスクの効用は疑う余地がないほど有効だと言われているのに、なぜ白人社会ではすることを拒むのだろう、と話しているテレビ番組を見たことがあります。
それによると、日本人は、他人との意思疎通、他人の心を読むのに大事なのは「目」なのだそうです。西洋人は「口元」なんだそうです。
そう言えばそうかな。日本では相撲の立ち合いも目と目の見合いですし、心を通わすのに「目を見かわす一瞬」があります。外国の生活を知らない私ですし、言葉も日本語しかできない私です。でもそういえば、話す時、口の形が激しいのは西洋人かも知れないと思うのです。口の動きから心を読むこともあるのでしょうか。
目を大事にする日本人はマスクで口を隠すのはさほど苦にならないけれど、口元で判断する西洋人はそこを隠すことは耐えられないのでしょうか。

テレビで一寸聞きかじったことから、勝手に独断です。

 


マスク生活

2021-09-14 13:35:52 | コロナウイルス

ワクチンがだんだん行き渡り、治療薬も使える日が近く、コロナ対策も少し見通しができるようです。でも油断大敵、コロナは絶滅はしないようで、マスクは必需品のようです。

コロナとの戦いのごく初め、マスクの大切さが言われました。我が家は夫と二人、インフルエンザの予防注射こそしますが、あとは嗽もマスクもしないで何年も引いたことがありませんでした。二人ともマスク嫌い、マスクで喉を庇ってばかりいるから咽喉が弱ってくるのだと逆説的な意見を嘯いていました。
予防のためというよりも、周りの人の目を気にしてしなければいけないな、と思いました。日頃、マスクは敵だと言っていた私どもには、マスクのストックはありませんでした。

求めようと思っても、既に、賢い主婦の方々に買い占められて、マスクは姿を消していました。救急引き出しに5枚あったのが我が家のマスクのすべてでした。

思案投げ首をしてもマスクは湧いて出てきはしません。パソコン教室になけなしのマスクをして行ったところ、Kさんが、テレビでやっていたよ~と、ガーゼのハンカチをひだを付けて折って、耳ゴムを付けて使う代用品の作り方を教えてくださいました。ご親切にガーゼのハンカチ、やわらかゴムひも付きの講習会でした。
使ったら、元のハンカチに戻して、合成洗剤でつけ置き洗いをする、ウイルスはこれで死に絶えるという優れモノでした。
当分これで凌ぎました。

一緒に町会の委員をしているSさんに会ったら、「おせっちゃん、マスクどうしてる?私、籠り生活のつれづれに縫ったのよ。掛け心地いいわよ、いる?上げるわよ」。普段用の無地の物2枚と、余所行き用のレース生地の物1枚と頂きました。先ほど書いた洗濯法で、洗っては使いました。口紅で汚れますからガーゼを折って中に重ねました。
都知事の小池さんが洋服と合わせたものなど素敵にして登場なさって、皆それなりにコロナとの戦いプラスおしゃれという、非常時でありながら楽しみもしたのでした。

日本の家庭全部にマスク5枚を配る作戦が、安倍首相先導でおこなわれました。配る手段でもたもた。いざ受け取って見たら、小さすぎるなど「アベノマスク」と揶揄され、首相一人意地のように小さなマスクをしているのが笑いを呼びました。我が家では、自作の代用品で間に合うと、子供さんのいる家庭に差し上げました。

その後、延々と続くマスク生活。私は友人からいただいた洗えるお手製マスクでずっと凌いでおりました。特におしゃれマスクをとも思いませんでしたが、押しつぶされそうな不安感の生活に、せめて潤いをと思うのでしょうか、手作りマスク、刺繍マスク、とうとうセリーヌだか何だか、ブランド物のマスク迄売りに出されました。
人間は、どんな環境でも、創造力を駆使し、得意を活かし、工夫して楽しむものだなと、感心したものでした。

収まるかに思えたコロナが、変異ウイルスと形を変え、またはびこってきました。このウイルスは、ウレタンマスク、普通の布地マスクでは防げないのだと言います。不織布のものを顔と隙間がないようにぴったりつけることが肝要とか。
私の使い古した友人お手製のものはだめだということで、不織布マスクを求めました。幸い、品不足現象は起こっていないようです。洗濯の代わりに、頻繁に取り換え、密封して捨てる作業をしています。


Maからライン…ワクチン打ったよ

2021-08-28 13:21:06 | コロナウイルス

昨日、山口の娘Maからラインが入りました。

「きょうワクチン1回目を打ったよ。世の流れには逆らわない。そこまで天邪鬼ではないから」
「どうもないな。若くない証拠かしら」
「翌日の朝くらいから、うったところが痛くなる。山口もかなり蔓延してきたから気を付けてね。かなり強敵だから。2回目が待たれるところですね」
「普段から遊びに行かないからコロナ前の生活と全く変わっていないよ。コロナでストレスが溜まるって人は、どんだけ遊んでいたんじゃ」
「年寄二人も同じく」
「だよね」

あまり頻繁に連絡し合う母娘ではありません。わざわざ、ワクチンを打ったと報せてきたのには多分、以前、の会話が気になっていたのでしょう。
4月の末の頃、ワクチンが話題になった時、Maは乗り気ではありませんでした。とにかく丈夫で、風邪一つひかない。副反応で熱が出たりすると、その方が怖いよ。周りでも積極的に打つという人いないよ。といういい方でした。
東京と地方では温度差があるかもしれないけれど、変異ウイルスのこともあるし、ワクチンの効果はかなり確実のようだし、集団免疫は皆がうって効果があるのだし、やはり打つべきではない?とばあさんが説教がましく言うと、少々意地になって、「それは個人の考え」と言い捨ててラインを閉じたのでした。
その後情勢はかなり変わってきて、その考えを言い捨てたことが気になってきたのでしょう。親に心配をかけるのは・・・と思ったのかしら。

もっと前の会話にこんなのもありました。子どもたちが受験生だった時と思います。

「わが家では誰もインフルエンジャーにはなりません。忙しくてそんなものにかかる暇はありません」。そんなのんき母さん、肝っ玉母さんで子育てをやりあげたのでしょう。
昨日のラインは老いた親が心配しないようにということが理由のようですね。