私が小学生、中学生のころ一緒に暮らしていた兄は3人です。3兄・4兄(先に私の恩人として紹介しました)・5兄、それぞれに異色タレント兄たちでした。
宿題で、分からない問題があると3人の兄の誰かに教えてもらうのでした。
3兄・・・正に真面目そのもの、自分の責任でやらねばならないことは徹底的に丁寧にやる人でした。今でも思い出すのは数学の多分三角関数の問題だったと思います。
「ええか、この角度が37度。ぐるっと一回りして360度だけれど、37度ということはかわらん、360度はぐるっと一回りして元に帰るんだから」ぐるぐるっと2周回っても変わらん、グルグルぐるっと3周回っても変わらん。分かったか?延々とぐるっとが続く説明でした。いつまでも本題にまでたどり着きません。
4兄・・・頭の良い、手早い人でした。教えてくれるのは教えてくれるのですが、
「これが分からんか。これがこうでこうだからこうなるだろう。だから答えはこれ。分かったか、はいお終い」わかる分からないより、煙に巻かれて唖然としているうちに講義は終わるのでした。
5兄・・・これねえ。これは大事な基礎になる問題だよ。ちゃんと理解しておかないといけん。こうなるからこうだろう、そうして次はこうなる・・・」少々理屈っぽく、上から目線で反発も覚えるのだけれど、説明しながら紙に要点の式などをきちんと書いて説明してくれる。こちらは、分かったような分からないようなあやふやだけど、まあいいや、あの紙さえもらっていけば自分でゆっくり考えればどうにかなるだろうと思う。
説明が終わったと思うと、「分かったか、質問はないか、よし分かったんだね、はいお終い」。紙は兄の手の中でいくつかの紙っ切れに破られる。
あ~っ、と悲鳴が漏れる。
高校生になって、兄たちはみんな世間に出て行っていなくなりました。妹のらい太と話が弾むことがありました。
うん、そうじゃった。三人のだれに教えてもらいに行くか、大問題じゃったねえ。
少し、ケチをつけられても・・・
考えようによっては子供が成長していくのに、いい時代でもあったかと。
揃って、妹を想うところが素敵です!
私は3人兄姉の末っ子でしたが、勉強を教わった記憶はありません。
5歳年上の兄は医者を目指していましたが、医者にはならずに製造薬学を学びました。
30歳で企業して300人以上の社員を抱える会社の社長になりました。
成功者ではありましたが、兄妹の縁は薄い人でした。
音楽にも長けていた人でしたので歌の指導をしてもらったことはありました。
大人になってからは、遠い存在の人でしたよ・・
大変な時代の、人生行路でしたが。