おせっちゃんの今日2

こちらでお仲間入りいたします。
よろしくお願いいたします

悲しいお知らせ

2020-12-04 16:14:17 | 知人友人

師走の日々もひらりひらりと過ぎていきます。コロナという家来を連れての速足です。
先日から年末の悲しいお知らせ・喪中欠礼が配達されます。日々の生活ではほとんど会う事もない、友人知人であっても、思い出はよみがえり、しばらく言葉を失います。

中でも、昨日のハガキには呆然としてしまいました。まさか悲しみのハガキが来るとは思っていない方だったのです。
高校のクラスメートで、お医者様と結婚した人がいます。整形医でいらっしゃいます。東京近辺に住んでいるもので、身体を痛めたものは、ここを頼るのです。混雑している受付も、友人ということで、事務長のクラスメートが上手く割り込ませてくれますし、先生も親身に手当てしてくださるのです。「名医」でした。私どもの駆け込み寺でした。
その名医様が亡くなったというのです。
この春、3月末で医院を閉めるとお知らせがあったのです。名医様も歳をとられたのでした。でも私の頭にはお元気なお姿が浮かびました。引き止められて医院を続けていらっしゃったけれど、いよいよお止めになり、あとは奥さまと旅行でもしていらっしゃるかと思っていたのです。引退なさって、3か月ほどで亡くなったのです。しばし思い出に浸り、ご冥福を祈るよりほかありませんでした。

もう30年も前のことだったでしょうか、私はウオーキングを思い立って実行し始めました。まだ若かったのですね。やり始めるとのめり込み、一寸度が過ぎたようでした。とにかく一歩も歩けない状態になりました。駆け込み寺頼みです。

「とにかくいらっしゃい。千代田線1本で来られるのだから、少し遠くてもうちの名医にみてもらおうよ。来るだけ来れば、帰りは歩けるようになるから」。確かに帰りは少しの痛みはありましたけれど、一人でバスと電車を乗り継いで、帰ってきたのです。今から思えば、神経ブロックだったのだと思います。一瞬跳び上がるほどの痛みでしたが、治ったのです。まさに名人芸でツボにはまった注射1本だったのでしょう。

2年半前、私は脊柱圧迫骨折を起こし、ヘルニアを発症しました。夜中に救急車で運び込まれ、5週間入院したのでした。病院を探しても、受け入れてくれる医院が見つからず、5つ目の救急病院に押し込められたのです。そこは救急の患者のための病院です。5週間たったら追い出されるように退院させられました。痛みは尋常一応ではなくさてこれからどうしたものやら、と思い悩んだことでした。

駆け込み寺です。電話しました。救急病院では主治医は手術は進めませんでしたが、若い医師はこれほどの痛みがあれば手術手術!!と言っていました。素人にはどうしたらいいのか分かりません。事情を訴えたことでした。その時の名医のお言葉。
「この年になって手術なんて考えないこと!気を明るく持って、馬鹿話をして、上手いものを食っていたらそのうち治ります。遊びにいらっしゃい、ご馳走しますよ」

この明るい言葉に救われました。名医なき今からも、しゃべって、食って、生きていこうと思います。
名医様、ご冥福を祈ります。ありがとうございました。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿