昨日ジョージア大使の類推された日本人の国民性を、確かにそれは当たっており、いい得ていると思いました。でも、そう簡単なことでもないとも思いました。
息子が高校か、大学生かの頃の話です。我が家の茶の間で、同じようなことが話題になりました。今はもう50歳も半ばになった一人前の社会人ですから、もっと大人の対応ができているかとも思いますが、当時はこんな考えをしているのでした。
確かに、お年寄りやご不自由な身体の方に席を譲るのは当然のことだと思うよ。でも・・・これがなかなあむずかしいことなんだよ。この方本当に席を欲しがっていらっしゃるかしら、まだお若そう。かえって失礼ではないかなあ。と躊躇することも多い。こんな場面に遭遇したこともあるよ。譲ったら、お礼を言うどころか、俺はまだ若いんだ、席なんかいらない、馬鹿にすんな、と声を荒げた人。親切で譲った若者のどうしようもない立場。悪いことをしたようにこそこそと遠くのドア付近にに逃げて(?)いったよ。
そうでなくても、知らない人に声をかけるのは勇気いるよ。でもやらなくっちゃいけないかなあと思い煩う時もある。声が出ないから、黙ってちょっと顔を動かして黙って立つことも。
たとえ座ってくれた人が素直ににありがとうを言ってくれても、そのままそこに立っていられない。降りる風をよそって場所を替わるよ。
変わらなくても良心が痛むし、替わっても心乱れるし
「だから、おいらは優先席近くにはいかない。運動もやっているし、自分は座る必要はないのだから優先席近辺は勿論のこと、他の所も人の前には立たない。おいらの指定席はドア前。揺れる車内で踵をあげて重心を取っておくのはいい訓練になるよ」。
娘Maも大体同様な意見でした。
国々で、長い歴史の間に培われた国民性、ジョージアの若者は席を譲ろうか、そのまま目をつぶろうか、心痛めたりはしないのだろうか。空いていれば自分も座る、必要とした人が乗ってくれば、素早く席を譲る、そして親しい空気が流れ合うようににこやかな挨拶、本当はこうあっったら一番なのでしょうが。
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