今日の「折々のことば」は、子供の心理の発見でした。もう押しも押されもしないおじさんおばさんになった子供の小さい頃を思い、至らなかった親の態度を反省したことでした。
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いたらぬ親ではありましたが、図書館に連れて行って本を選ばせ、ねる前に、布団に母子三人が横になり、読み聞かせをしたのでした。
そうなんですね。読んで読んでのおねだりは、一緒にいたいという子供の願いの変形だったのですね。今日の言葉で初めて気が付きました。一人一冊(一話)と決めていました。読み終わると、「ではおやすみ」とまだし残した主婦仕事にそそくさとかえったりで、子どもが眠りにつくまで傍にいてやるということはしなかったと思います。はい、今日のママのサービスはこれまで!!と言ったところでした。
反省に、こんな失敗が思い出されます。
小学低学年だったころと思います。確か講談社だったと思いますが、日本・外国のお話を、有名な俳優さんが読み聞かせる、全集が出たことがありました。豪華なつくりの本は、美しい絵本になっており、それにレコード盤が付いているのです。
「これを枕元でかけてやれば、子供も喜ぶだろう」と若いサラリマン家庭ではかなりの出費になるものでしたが求めたのです。「ほらこんなにきれいな本よ。お話も上手に読んでくれるし、掛けてみるね」と音楽もついたお話会が始まったのです。
子供たち、一寸は興味で聞きました。本のページもめくりました。でも続きませんでした。豪華お話会は失敗でした。元のママ劇場になってしまいました。清水の舞台から・・・の全集は狭いアパートの場所ふさぎになり、何年か後に、親戚の子がいるというのでそのまま上げたのでした。その子が聞いたかどうか。
やっと今日分かりました。子供は読み方が上手ではなくても、ねる前のひとときのママの温かみを求めていたのですね。ごめんなさいね。忙しさ、主婦仕事の疲れ、自分の読書の時間をとること、それはそれで理由はあったにせよ、子どもに寄り添う親の心に欠けていました。本当にごめんなさい。
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いたらぬ親ではありましたが、図書館に連れて行って本を選ばせ、ねる前に、布団に母子三人が横になり、読み聞かせをしたのでした。
そうなんですね。読んで読んでのおねだりは、一緒にいたいという子供の願いの変形だったのですね。今日の言葉で初めて気が付きました。一人一冊(一話)と決めていました。読み終わると、「ではおやすみ」とまだし残した主婦仕事にそそくさとかえったりで、子どもが眠りにつくまで傍にいてやるということはしなかったと思います。はい、今日のママのサービスはこれまで!!と言ったところでした。
反省に、こんな失敗が思い出されます。
小学低学年だったころと思います。確か講談社だったと思いますが、日本・外国のお話を、有名な俳優さんが読み聞かせる、全集が出たことがありました。豪華なつくりの本は、美しい絵本になっており、それにレコード盤が付いているのです。
「これを枕元でかけてやれば、子供も喜ぶだろう」と若いサラリマン家庭ではかなりの出費になるものでしたが求めたのです。「ほらこんなにきれいな本よ。お話も上手に読んでくれるし、掛けてみるね」と音楽もついたお話会が始まったのです。
子供たち、一寸は興味で聞きました。本のページもめくりました。でも続きませんでした。豪華お話会は失敗でした。元のママ劇場になってしまいました。清水の舞台から・・・の全集は狭いアパートの場所ふさぎになり、何年か後に、親戚の子がいるというのでそのまま上げたのでした。その子が聞いたかどうか。
やっと今日分かりました。子供は読み方が上手ではなくても、ねる前のひとときのママの温かみを求めていたのですね。ごめんなさいね。忙しさ、主婦仕事の疲れ、自分の読書の時間をとること、それはそれで理由はあったにせよ、子どもに寄り添う親の心に欠けていました。本当にごめんなさい。
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