今日、米沢商工会議所のホームページで「直江兼続検定(通称直江検定)」の合格発表が公開され、私と夫も合格でした。
試験後、ミョーに自信満々だった夫に比べ、私はいまひとつ自信が無かったので嬉しいです(でもなんだか、やっぱりお情けで合格させてもらったような気がするわぁ)
「直江検定」の前日の朝、次女を車で高校に送った帰りに直江公夫妻のお墓のある林泉寺に立ち寄りました。
直江公と奥方お船の方のお墓は林泉寺墓所の奥まった場所に、まるで雛人形の女雛と男雛のように仲良く並んで立っています。生前のお二人も仲睦まじかったのかな。
直江兼続公の実子は皆若くして無くなり、養子も兼続の許を去り、跡継ぎがいなくなったのにもかかわらず、直江公はあえて次の養子を取ろうとしませんでした。その為直江家は兼続公の代を最後に断絶。
上杉藩で一番の家臣直江家が無くなれば財政難に苦しんでいた藩の助けになると考え、兼続公は自らの家を断絶させたと言われています。
今よりはるかに家系が重んじられていた当時としては大変な決断だったはず。
もしそれが真実なら、主君上杉景勝公への忠義に身を捧げた直江公にふさわしい逸話だと思います。
試験後、ミョーに自信満々だった夫に比べ、私はいまひとつ自信が無かったので嬉しいです(でもなんだか、やっぱりお情けで合格させてもらったような気がするわぁ)
「直江検定」の前日の朝、次女を車で高校に送った帰りに直江公夫妻のお墓のある林泉寺に立ち寄りました。
直江公と奥方お船の方のお墓は林泉寺墓所の奥まった場所に、まるで雛人形の女雛と男雛のように仲良く並んで立っています。生前のお二人も仲睦まじかったのかな。
直江兼続公の実子は皆若くして無くなり、養子も兼続の許を去り、跡継ぎがいなくなったのにもかかわらず、直江公はあえて次の養子を取ろうとしませんでした。その為直江家は兼続公の代を最後に断絶。
上杉藩で一番の家臣直江家が無くなれば財政難に苦しんでいた藩の助けになると考え、兼続公は自らの家を断絶させたと言われています。
今よりはるかに家系が重んじられていた当時としては大変な決断だったはず。
もしそれが真実なら、主君上杉景勝公への忠義に身を捧げた直江公にふさわしい逸話だと思います。
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