知事選のために押し出されてしまったのは開催日だけでなく,会場もでした。今回,初めて「夢わーく」を使ってみましたが,弱点は市民会館に比べて知名度が低く,場所が分からない人がいたくらいで,部屋は市民会館のものと同程度の人数が収容できて,なおかつこじんまりしていて一体感があり,机椅子を並び替える手間が省け,ゆったりした駐車場もあり・・・と,皆さんの評判はおおむねよかったようです。いつものように11時スタッフ集合で,すぐに準備開始。あっという間に準備が整いました。
会場の後ろのほうには,ファンクラブの展示スペースと高槻先生のご著書のコーナーを作りました。お弁当を食べ終わると,受付です。受付はロビーで行いました。
午後1時,市観光課の網野さんの司会でフォーラムがスタートしました。望月市長さんが主催者を代表してあいさつしてくださいました。
それに続いて,スクリーンに写真を映し出しながら三枝さんが今年度の活動報告をていねいにしてくださいました。いよいよここからがフォーラムの中心部になります。第1部では昔の乙女高原の様子をみんなで共有し,第2部で今の乙女高原について高槻先生らの研究の結果見えてきたことについてのお話を聞き,第3部ではこれからの乙女高原のあり方について議論しました。
【第1部】昔の乙女高原
まず,植原が10年前と今の,同じ時期(夏。だいたい8月初旬)に同じ場所を撮った写真を比べながら紹介しました。「今」はただの草原のように見えますが,「10年前」はそれこそたくさんの花が咲いていたことがわかります。それから,もっと昔の写真,20年前,30年前の写真をお見せしました。「1週間違うと草原の色が違って見えた」というのが決して誇張でないことがわかります。これらの写真をきっかけに,昔の乙女高原の話をフロアから聞いてみました。
・写真を見ると,今はススキが旺盛になっていますが,何が原因なんですか?
・このころはずっと一面お花畑でしたね-。
・私が乙女高原に通い始めて11年。はじめの頃はこれほどまでではなかったですが,お花はたくさんありました。
・乙女高原は昔ものすごくお花がいっぱいでした。40年くらい前のことです。お花のすばらしいところでした。私は乙女高原のお花が大好きで,それを守りたくて,県の自然監視員をやっていました。ファンクラブを作り,遊歩道も作りました。このようになってしまった乙女高原が本当に悲しく,シカのやつは出て行って,人は中に入って踏み荒らさないで。乙女高原の遊歩道にロープをはったきっかけは,乙女高原を踏み荒らす人がいたからです。これを絶対に守っていきたいと思っています。
・スライドを見て,驚きました。どんな原因でこうなってしまったか知りたいわけですが,昔,乙女高原は地域に密着した草原でした。スキー場として認可をえたのが23ヘクタールですが,その当時はほんとうに「花の場」という印象があるわけです。
・60年くらい前はトロッコ道で馬を連れて奥千丈に行く途中,柳平までお父さんと一緒に行って,そこからお父さんが奥千丈から帰って来るまでに乙女高原に行ってました。そのときは,ここは馬の餌場だったんですよ。そのときは,花なんていっぱい咲いていて,踏んで踏んで踏み荒らしたほうなんですよ。ところが,大事にするようになってから,だんだん花が少なくなって,昔の面影がありません。あと,スキー場があった頃のほうがススキが生えなかったような気がするんです。気候の加減やシカとか関係あるんですかね。
【第2部】乙女高原のシカ問題を調べてわかったこと
小林さんによる高槻成紀さんの紹介の後,いよいよ高槻さんのお話が始まりました。
(※録音を元に,読みやすいように若干言い回しを変えています。したがって,文責は植原にあります)
●4年前にお話したこと
ここ4年くらいシーズンになりますと,毎月乙女高原へ行って,いろんな調査をしてきました。今日は,これまでにわかったことをご紹介したいと思います。2011年に一度お招きいただいて,お話をしました。そのときのお話を振り返ってみたいと思います。私はシカと植物の関係を調べてきたので,その観点から乙女高原がどう見えるかというお話をしました。日本は雨が多くて,夏は暑くなる環境ですから,短い時間で草原的な環境が森林的な環境に変化するんですね。世界のどこでもこうなるわけではなく,日本はこの植生遷移が早く進む国だということです。
農地というのは森を伐採して利用しているわけですから,植生遷移を止めていることになり,これが人間の活動であり,遷移のなすがまま移っていってくださいというのが自然保護の活動ということになります。乙女高原の草原の保護というのは,毎年11月に草刈りをしているのですから,普通の自然保護と違うことをしていることになります。草を刈って林にならなくしている。ところが,シカも草を食っている。人間と同じことをやっているわけです。乙女高原で今行われていることは植物が遷移していくことを止めている,つまり,普通の自然保護とは違うことをしているというふうに認識しなければなりません。
それから,よくある「アヤメを守ろう」といったことではなくて,群落全体の組み合わせを守ろうとしてきたということも意識する必要があります。そのときに,日本の生態系のメンバーの一つであるシカがいることを異物として排除することがどういう意味を持っているのか考えて,対応しないといけないです。とても難しい問題だと思います。では,どんな自然を守ることが乙女高原の自然をいい状態に保つことになるのか,これはみんなでじっくり考えないといけないですね・・・というのが2011年の乙女高原フォーラムでお話したことです。
●乙女高原で調べようと思ったこと
その年の夏から学生と一緒に乙女高原に通うようになりました。そのとき,自分自身に問題設定したわけです。
まず,本当にシカがいるのか,その確認をしました。そして,シカたちが何を食べているのかを知りたいと思いました。それから,それより2年ほど前にシカ柵を作っておられる。これはどんな効果を持っているのだろうか。柵によってシカのいなくなる状況を作っているわけですから,シカがいなくなれば植物たちはどんな反応をするのか,これは調べられるだろうと思いました。で,現実にわかってきたことは,ある植物は柵の中で増え,別の植物は減る,反対に柵の外でもある植物は増え,ある植物は減っている,これは何か理由があるはずで,それを知りたいと思いました。
それから,私は昭和24年生まれで今年大学を退官するのですが,これまで50年近く生き物の研究をしてきて,つくづく思うことは,生き物はつながって生きているということなんです。その代表的なことは「花に虫が来る」ということです。それによって虫は蜜を得て,花は花粉を伝えてもらう,そういうことが起きている。そういう観点で乙女高原を見てみたいと思いました。乙女高原に関わってこられた国武さん(注:マルハナバチ調べ隊の元祖隊長)は,ちょうどこのテーマで学位論文を書かれたので,ちょうどいいタイミングだったなと思いました。
●高橋君の研究「シカは本当にいるのか」「シカは何を食べているのか」
最初の年は,地元出身の高橋くんが卒論でシカのことを調べてくれました。まず,自動カメラを設置して,本当にシカがいるかどうかを確認しました。カメラにはちゃんと写っていました。出てくるルートも決まっていました。
そして,一定面積をとって,糞がどれくらいあるかを調べました。糞からは,そこそこの密度でシカがいることがわかりました。シカの糞を大事そうに持って帰って,処理をして,顕微鏡で覗くと中身がわかるんですね。植物からも植物片の標本を作っておきます。植物の表面の様子というのは植物の種類ごとに違っているので,糞の中身と植物片を見比べることによって識別できます。特にササは特徴的な形をしているので,よくわかります。これを高橋君に調べてもらいました。2011年の5月から翌年の4月まで調べました。7月と8月はどういうわけか糞が見つかりませんでした。むきになって探したんですが,ないんです。それで,2012年にリベンジして,ようやく見つけました。
糞の中のササの含有量は11月から急に増えて6割ぐらいになって,また,少なくなっていくという傾向を示しました➊。双子葉植物の割合は夏は1割から2割くらいあるのですが,冬だと枯れてしまいますから,冬は少なくなっています。ススキは量としてはたいしたことないです。ススキは消化率がいいので,実際はもっとたくさん食べているかもしれませんが。じつは,太平洋岸の東北地方から関東にかけての他の場所で調べると,夏にもっとササを食べるんですね。乙女高原ではわりと食べていません。それは,ここに草原があるからだと思っています。草原に出てくるシカたちは,冬はまわりの森の中に入って,ササを食べています。森の中のササを刈り取って持ち帰り,何本のササの中で何本食べられているかを調べると,食べられてないです➋。10月に少し,11月に10%くらいしか食べられてなくて,少ないなあと思っていたのですが,冬越しをして4月に残っているササ,つまり前年のササは50から60%と,かなり食われています。ササはあれだけ森の中に広がっていますから,50%つまり半分食べるというとことは,大変なことです。冬に確かに食べているということがわかりました。ということで,乙女高原には確かにシカがいて,夏には草本類を,冬にはササをおもに食べているということがわかりました。
●高橋君の研究「シカ柵内外の植物の高さの違い」
高橋君にもう一つ調べてもらったことは,彼は植物の名前が全然分からなかったので,草の名前をいくつか教え,テープを付けて,毎月,高さを計ってもらいました。柵の内外で20本ずつです。イタドリ,カラマツソウ,クガイソウなどは最初(6月)から高さが違っていて,中には倍も違うのがありました。ただし,ススキとヨツバヒヨドリは柵の内外で高さが変わらなかったです。次の年に追加的に調べましたが,やはりヨツバヒヨドリは高さが違っていなかったです。じつはヒヨドリバナ類は特殊な臭いがするみたいで,シカは嫌っていて,食べないです。でも,ススキは食べます。食べられたり食べられなかったり,同じ食べられても反応が植物によって違うということがわかってきました。
植物の量を調べてみました。全部を刈り取るわけにはいかないので,植物が被っている面積と高さからバイオマス指数を出してみると,これはちょっと意外な感じがするんですが,柵の中のほうが少なかったです➌。場所によってバラつきが大きいですが,少なくとも「柵の外はシカに食べられているからといって,必ずしも草の量は少なくはない」という結果です。つまり,植物の量は柵を作ったからといって増えたわけではないということです。私が興味を持つのはその内訳です。調べてみると,柵内のバイオマスの6~7割を占めているのは,大型の虫媒花,つまり,きれいな花を咲かせて虫にきてもらっている花たちでした。柵の外では数パーセントしかありません。一方,柵の外は9割近くがススキに代表されるイネ科植物でした。このように柵の中と外では,その内訳に大きな違いが表れていました。代表選手は,柵の中は大型虫媒花,虫で受粉されるきれいな花を咲かせる植物たち,柵の外はススキに代表されるイネ科植物に置き換わっていたというわけです。で,だれでも思うわけです。なんでこんな違いが起こるのか?
さきほど調べたデータを一番大きい植物から2番目,3番目…と順番に並べてみました➍。すると,柵の中のグラフは少しずつ減っていて,1番と10番とでは高さがさほど変わりません。ところが,柵の外は1番がどーんとあって,ぐんと下がって2番以降が続いています。外の1番はススキです。ススキが一人勝ちしている状況です。なぜ,こんなことが起こるんでしょうか?
※ここで,話が脱線。モンゴルの草原の植物と乙女高原の植物が,どれくらい似ているかを写真で紹介してくださいました。遠く離れたモンゴルと乙女高原ですが,まるで姉妹のようだと思いました。大昔,大陸と日本は陸つながりになっていて(氷河期),そのときに大陸の植物たちが日本に渡ってきたんだなあと思ったそうです。
●刈り取り実験
「なぜ,柵の内外である植物は増え,ある植物は減るんだろうか」それを確かめるために,刈り取り実験を始めたわけです。2013年の6月16日に調査をしました。記録を取ったり,印を付けたりした後,宮原さんに機械でギューンと刈っていただきました。機械でやるとあっと言う間ですね。6月に刈ったのに,9月にはかなり回復しています。恐ろしい植物ですね,ススキは。刈り取られても平気です。
合わせて,こんな実験もしました。6月,草が少し伸びてきた段階で,名前を調べて,印を付けて,地上10センチくらいのところで,ハサミでちょん切りました。夏になって,それを調べます。6月に印を付けたときには赤い色のテープなのでとても目立っているのですが,夏になると本当に見つけにくくなります。まわりが生い茂ってしまうからです。探して観察すると,枯れて腐ってしまう,かろうじて生きてはいるけどほとんど瀕死状態,切られても葉っぱを盛り返しているなど,種類によって反応が違うことがわかりました。6月に20本ずつに印を付けました。これがスタートです。8月の生存率を調べてみると,ススキとクガイソウは20本全部が生きていました➎。ヨツバヒヨドリ,イタドリ,ヤマハギ,キンバイソウは半減,マルバダケブキ,タムラソウ,シシウド,ワレモコウは全滅でした。次に,生き延びていたやつの高さを調べてみました➏。ススキとヤマハギは高さは変わりませんでした。ヤマハギは低木で枝をたくさん出し,わきからも芽を出すので,もともと刈り取りに強い植物です。しかし,クガイソウ,イタドリ,ヨツバヒヨドリは全部低くなっていました。生き延びてはいるけれど,主軸が切られて,わきから出るわけですから,小型化してしまうわけです。まとめると,ススキは生存率も回復力もありますが,他にこの2つの力を併せ持つ植物はなく,ススキが一人勝ちをしているわけです。
シカはススキも食べるし,ほかの大型草本も食べるわけですが,それに対する反応の仕方が植物によって違うわけです。ススキのように,ストローのような丸い筒状の茎を持っていて,内側からどんどん葉を出すという構造を持っているイネ科植物は節の部分に生長点を持っているので,生長点の上を切られても平気なんですけど,普通の草本は茎の先端に生長点がありますから,これを切られるとオジャンなわけです。元気がいい植物は,その下に不定芽を持っていて,そこから芽を出せるものもいるのですが,出せないものが多いんですね。
●加古さんの研究「花と虫のリンク」
次の年,加古さんという学生が花に来る昆虫の記録を取りました。花と虫のリンク=つながりを調べたわけです。林と草原とでは,花の咲き方やそこに来る昆虫にどんな違いがあるのかを調べました。ルートを決めて,毎月2回,虫が花に止まっていたらその記録を取るということを続けました。草原と林では,花の数がつねに草原のほうが多くて,特に夏から秋にかけては数倍の違いがありました➐。また,訪花昆虫の数は,花の数ほどの違いはなかったけれど,草原の方が多く,差が一番大きかった秋には4倍になっていました。「林の花と虫のリンク」密度と「草原の花と虫のリンク」密度を比べると,草原のリンクの密度のほうが高かったです。とはいえ,草原には草原にしかない,林には林にしかない「花と虫のリンク」もあるので,林も草原も両方大切だと思われます。
高橋君はシカ柵内外で植物の背丈を比べ,シカ柵内の植物の背が高くなることをつきとめていたので,加古さんは,花の数をシカ柵内外で比べてみました。花の数を調べるというのは相当大変なことなんですけど,その結果,柵の外は平均すると1平米あたり3個しかなかったのに,柵の中だと300を超える花が咲いていて,100倍も違うことがわかりました。まとめますと,シカがいろいろな植物を食べますが,ススキだけは大丈夫。他のきれいな花を咲かせる植物は全滅したり半減したり小型化するので花が付かなくなってしまいます。おそらく昔は「柵の中」と同じ,今は「柵の外」と同じ状況が起きていると考えていいと思います。
加古さんは「花にこれだけの違いがあるんだから,昆虫に影響がないはずはない。それを後輩に調べてもらいたい」といって卒業していきました。バトンを受け取ったのが,今3年生の大竹さんです。加古さんは歩きながら「花と虫のリンク」を記録していったんですが,大竹さんは花の前に座って虫が来るのを待ち,記録するという方法で調査しています。労力のかかる仕事ですが,それを柵の外と中で行っています。そのエッセンスを紹介しますと,6月上旬から調査を始めたのですが,6月上旬だけは柵の外のほうが多かったです。キンポウゲの花に虫が来ていました。すぐに逆転され,特に9月上旬には加古さんの調べたのより数倍の開きが観察されました。大事なことは,柵の中では,その月ごとに花が次々に咲いて,そこに虫が来ている,つまり,花が「咲きつないでいる」という感じなんですが,柵の外だと,春にミツバツチグリとキンポウゲがちょっとあって,夏にヨツバヒヨドリが咲きますが,後は断絶するという感じになっています。これは,次回のフォーラムで紹介してもらいますけれど,そういったデータがとれています。
●まとめ…私自身と3人の学生がやってきたこと
・シカは夏はイネ科,冬はミヤコザサを食べている。
・シカにとって食物として重要でないが,さまざまな草も食べている。
・シカが食べると多くの双子葉草本は枯れてしまうか,生き延びても背が低くなる。
・ススキは食べられても平気。ススキにとってむしろ怖いのは,刈り取りがなくなって,他の植物が入ってくることだろう。ススキは直射日光があたらないとすぐにだめになるので,草を刈ってひなたを作るのは好都合。皆さんはシカとともにススキの繁栄を手伝っているとも言える。
・虫媒花が減ってススキが増えたことはまちがいないだろう。
・植物が変化するとそれを利用する昆虫も変化する。
・ヨツバヒヨドリ,ハンゴンソウ,マルバダケブキは減らない(増える?)。これらの植物にマルハナバチがいっているので,全部の植物がなくなって,マルハナバチが減っているわけではない。ただ,特定の植物が生き残ると,それを利用できる昆虫からいいけど,それを利用できない虫が淘汰されてしまう。
私がずっと調査している宮城県の金華山は,乙女高原の10倍くらいの密度でシカがいます。私が学生の時分には草丈もかなりあって歩くのが大変でしたが,30年ほどの間にシカが増えて,芝生に変わってしまいました。日本庭園でもゴルフコースでもありません。シカが毎日植物を食べた結果,刈り取りに強いシバが残ってしまいました➑。むしろ,シバはススキ以上に刈り取ってもらわないと生きられないのです。芝生にところどころ,植え木のような盆栽のような木がありますが,メギという木で,トゲがあります。トゲが痛いので,シカはつまみ食いはするんですけど,そんなには食べません。乙女高原がこうなったら嫌ですよね。でも,放っておいたら,こうなる可能性はあるんですよ。ススキが減るほどのシカの密度というのもあるんです。
シカの密度とそれに対応する植物群落というのはいろいろなところで見ていますが,たとえば伊豆半島なんていうのはこれに近いです。林の下には何もありません。アセビという有毒植物だけが残っています。櫛形もそうだし,南アルプスも危ないです。山梨県,結構危ないです。乙女高原だって,楽観はできません。
乙女高原はどうあるべきかということについては,私が調べてここまでわかったんですが,「こうしたらいいですよ」というのとはちょっと違います。それは地元の人たちで答えを出すべきです。ただ,「どうすれば,どうなるか」「このままだとどうなるか」という発言はできます。
私たちは自然の中に入り,自分の目で自然を観察しているわけですが,乙女高原で何がありがたいかというと,地元の人が一緒に研究のサポートもしてくれたり,いろいろな活動に参加させてもらったりしていることです。とてもいい経験をさせてもらいました。非常に熱心なファンクラブの人,それにプラスですね,草刈りの時に200人も市民が集まって,ボランティア活動をしている・・・そういう意味でもこの草原は歴史的産物だと私は思います。活動がいろいろと形を変え,農家の草刈り場から馬草場という話もありました。それがスキー場になって,自然観察,環境保全の場になってときていますが,植物たちは自分の性質を変えていません。人のかかわり・動物のかかわりによって反応していく。ですから,どういう状態の自然がいいかをよく考えて管理していってください。手つかずの屋久島や知床や白神の自然とは違うんだ・・・それが今日,私がお伝えしたかったことです。今後ともよろしくお願いします。
【第3部】乙女高原にこうなってもらいたい
まず、植原がスライドを使いながら,2010年に設置したシカ柵の、その後の様子を説明しました。2014年になると、シカ柵の中は7月にアヤメが咲き,8月はオミナエシもたくさん咲き、9月はシラヤマギクがいっぱいでした。そして、8月くらいからシカ柵の外の草丈のほうが中より高くなっていました。外はススキが優占しているからです。シカ柵の効果がわかったので,乙女高原ファンクラブは、乙女高原を大きく囲むシカ柵を設置することを提案しています。現在,巨大なシカ柵が設置されているのは,県内では櫛形山と大蔵高丸です。大きなシカ柵なので,ドアを開けて、中に入らなければなりません。なんか不自然ですね。ですが、そうでもしないとシカの影響を少なくすることはできません。そんな説明をした後、全体で意見交換をしていきました。(番号は意見の順です)
●1.甘利山ではいつも乙女高原の活動を参考にさせていただいています。甘利山はまだ柵の外のほうがススキが高いという状態ではありません。柵の外で植物がシカに食べられてはいますが、皆無というわけではありません。ミヤコザサもあり,トリカブトも食べられながらも咲いています。花の種類は昔と変わらずありますが,数が少なくなりました。オミナエシもマツムシソウも少なくなりました。甘利山倶楽部では自分たちで小さな柵を作ってきましたが,メンテナンスのたいへんさを考えると,行政にお願いして,大きくて,丈夫な柵を作るしかないなと考えています。
●2.たいへんなことになっています。人間の力でなんとかなるのかなあと思っています。
●3.今までの自然保護って,「自然」とは付きますが,開発問題に対して反対する人がいたなど、基本的には人対人,人間社会の中での問題でした。おそらく,シカ問題というのは、日本人が初めて直面する対野生動物の自然保護問題だと思います。しかも、その野生動物というのは、日本の生態系の大切な一員であるシカです。シカを悪者にしていいのか?というジレンマがあります。植物の立場からみればシカは悪者かもしれないけど、シカの立場でも考えなければならないと思います。
●4.シカの問題は確かに大きなテーマで,シカ柵を作るしかありません。でも、シカを排除したら、本当に植物が回復するのか? シカ以外に植物を減少させている原因はないのか? というのも,シカ柵の中でもヤナギランが見事に咲かないのです。雨の問題、気候の問題、湿度の問題などもあると思います。
●5.乙女高原でシカ柵の大きいのを一度は作ってみて、そして、草を刈るのも、極端な言い方をすれば、1回はやめてみるとか、なんか大きな実験をしてみないと、目先の問題に振り回されちゃうような気がします。
●6.…そういう意味では,乙女高原は大きな教室かもしれません。人が自然とどのように関わっていけばいいのかを、いろいろ試行錯誤してみる場。しかも、ここは県有林で、私たちみんなの財産であり、それを県と市と市民団体である乙女高原ファンクラブが3者で守っているという場ですから、まさに自然保護の教室としての価値があるところかもしれないです。
●7.シカの糞分析に興味を持ちました。私たちも甘利山で調べています。シカの冬の食べ物について教えてください。甘利山では雪の深いときには木の皮を食べているようです。昨年は大雪の後だったためかお花がよく咲きました。大雪によって植物が守られたということがあるのかなあと思いました。
↓
●8.高槻さん 甘利山には行ったことはありませんが、だいたい、東北から関東にかけての太平洋側では冬,シカはミヤコザサを食べています。なぜミヤコザサが重要な餌植物になるかという話をしようとすると1時間くらいかかるんですが、それなりの条件を備えているわけです。太平洋側は一般的に雪が少ないので、植物が越冬するのにとても危険な地域なんです。冷たくて,乾いた気候ですから。だから、常緑の植物がほとんどないわけです。冬になるとミヤコザサはほとんど唯一の常緑の植物です。
乙女高原のシカはそんなに樹皮を食べていません。ただ,10年前くらいに盛んに樹皮を食べていた時期があったようで、表面が巻き込んだような状況があり、一部枯れているところもあります。大雪の冬があって、そのときに本当に食べ物がなくなって、食べたんだと思います。樹皮を食べるというのは,シカにとってかなり危険な状態です。日光のように雪が深くていられなくなると,雪の少ない場所に移動してきます。すると,そこは非常に高密度になってしまい,そのときに樹皮はぎが起こります。金華山はシカの密度がとても高いところですが,雪が少ないので,樹皮はぎは起こらないです。樹皮には栄養はほとんどありません。樹皮を食べているんじゃなくて,樹皮の内側の形成層に「あまかわ」という部分があって,そこを食べています。枯れ葉も食べるし,木の枝も食べるし,そういう栄養のないものも食べざるをえなくなります。乙女高原の森にはササはあるし、大きな木もありますが,低木類がほとんどないです。これはもう、この20年くらいかけて、シカが一掃してしまったんですね。まだシカが入ったばかりのころは、ノリウツギやコマユミといった低木類を食べるんです。ところが、早川なんか林の下に低木どころか何もなくて、土砂崩れまで起きているところがありました。ササを喰い尽くして、食べるものがなくなると、ほんとうに危ないです。シカの食害以外の原因があるのかということについては、確かにその可能性はありますが,わかりません。ゲリラ豪雨は確かにありますが,それが直接原因になっているという説明はつかないと思います。
大きなシカ柵を作っても草刈りをしますか? 自然が好きな人って自由に山を歩きたいという感じがあるわけです。だけど、ゲートを開けてお邪魔しまーすというのであれば、もうそれは自然観察とは言えないのではないかと思えます。また、シカだけでなく、キツネやウサギやいろいろな動物も排除するわけで、それでいいのかなと思います。きれいな花が見られていいなあという人はいるでしょうが,では、だれのための自然(保護)なの? 自然って人間の所有物ではありませんよね。このように考えると,とりあえず緊急避難的に実験的に柵を作るのはいいけど、恒久的に柵を作るのが乙女高原全体を考えたときに本当に自然保護になるの? など、いろいろな課題があります。本当に今、難しい局面にいると思います。
●9.乙女高原に通うのは丸10年になります。初年度は花の多さにびっくりし、アサギマダラの乱舞に感動し、2年間で120種類くらいの植物の写真が撮れました。3年目になったら,オオバギボウシやアマドコロなど美味しい草をシカがつまんでいる痕跡をよく見ました。そうしたら,翌年からピシャッと出てこなくなりました。観察して特徴的なことはシートに書いて記録していたのですが、それをみると8年前に出てこなくなったことがわかりました。アヤメもしかり。やはりシカの影響であったことが、今日のお話ではっきり判りました。また,ススキは食べられても回復力があることも納得できました。ササの藪もすっきりしてしまった印象があります。ここ3年くらいではないでしょうか。
●10.シカについての質問です。シカの行動範囲はどれくらいあるのでしょうか? また,冬場、道路に凍結防止のエンカリ(塩化カリウム)をまきますが、それを動物が食べるという話がありますが、本当はどうなのでしょうか?
↓
●11.高槻さん シカに限らないんですが、野生動物というのは案外行動範囲が狭いです。知らない所に行くのを嫌がります。生まれた赤ちゃんがお母さんと一緒に動く範囲というのは、広くて直径300mくらいの範囲内です。かなり狭いです。ただ、オスの子どもはある年齢(3~4歳)になると、そこを離れます。今までシカが見られないところでシカが発見されて話題になるのは、必ず若いオスです。特に秋、交尾期に若いオスはフラフラします。メスのことばっかり考えているんですね。交通事故にも会ったりします。そのときは広くなります。
もう一つは,雪が降る地域だと、雪が降って、食べ物が見つけられなくなると、仕方なく下がって、そこで子どもが生まれるんだけれど、お母さんはまた登っていくけれど、子どもはそこに留まって、そこに定着していくということがあります。南向きの斜面などでは雪どけが早く,笹が出てきやすいので、そういう場所に集中して移動してくるということもあります。でも、また春になると散らばっていきます。
シカの密度がまだ低い場合は,雪が少ない年は,冬のはじめに餌を食べ尽くしてしまい、飢え死にしてしまうことがあります。というのも、冬の間に体重が30~40パーセントも減るんです。夏の間に栄養を取って、脂肪分をつけておいて,えさをあまり食べなくても冬を越していけるようにしているんです。だから、栄養のほとんどない枝を食べても枯れ葉を食べてもなんとか生きていけます。雪が多い冬だと、冬の始めのころにエサが食べられないんだけれど、脂肪分の蓄積があるので、枯れ葉などを食べながらやり過ごして,本当に栄養がなくなった頃、雪が解けるので、ササが食べられるようになります。本当によくできています。かえって、雪が少ない年は餓死するシカが多いんです。ちょっと意外かもしれませんけどね。
それから、有蹄類は慢性的な塩分不足で、岩塩なんか置いておくと集まってきます。ただ、私が調査している金華山はまわりが海で塩気があるのか,実験的に塩を置いておいても全然シカが来ないんです。ということで、沿岸部はそうでもないのですが、内陸部は塩不足になるので,日光なんかそうなのですが、塩を置いておいてシカを集めて、それで猟をしたという記録が残っています。塩化カリウムも塩化ナトリウム(食塩)も同じようなものなので,道路にまいておけば舐めにきます。それは栄養になる餌ではなく、ミネラル分ですね。ただ、それを舐めにシカが道路に来ますと,道路での滞在時間が長くなりますから、交通事故の危険性は高くなりますね。
●12.シカとの共存というのはとても難しい問題だと思います。山に住んでいるものは、もう個人で山仕事はできないですよ,シカに全部やられてしまって。昔はノウサギにやられるということはありました。でも、シカほどではありませんでした。ネットを張らないと植林してもダメですし、ネットは個人でできるようなことではありません。山梨県では戦後,公社造林をやったり、県が補助して造林をやってきたわけですが、そういうふうに広大な面積でないと柵を作ってくれないです。個人での植林はもう不可能です。こういうこともシカの害として考えていただきたい。
●13.私の住んでいる座間から相模原(神奈川県)あたりは江戸時代は南北10キロ、東西5キロくらいの馬草場(まぐさば)だったんです。ものすごく広い草原だったんです。その中で気になったのは夏草騒動と冬草騒動です。馬草場はどちらかというと夏刈ります。ところが、私たちは秋の,もうススキがたねを飛ばして、地下に栄養を蓄えて、もうススキには痛くもかゆくもない時期に刈っているわけです。冬草騒動というのは,馬草場を養生するために、協定で「この地区は冬刈らない」というようなことをやっているわけです。当時、その付近は江戸幕府の直轄領でしたから、江戸幕府に対して「相模原地区は協定違反している」といったことを訴えている文献が残っています。もう一度、刈る時期を検討したらいいと思います。ススキに我々が協力している感じがしてしょうがありません。
●14.去年の6月から乙女高原で、シカ柵内外で昆虫と植物の関係を調べている麻布大学の学生です。私が知っている乙女高原はススキ群落が広がる草原なのですが、今日は昔の乙女高原の様子が聞けるとても機会だったです。来年度も植物と昆虫の調査を続けて,今後の乙女高原の将来について考える情報としてデータを取らせていただきたいと思います。よろしくお願いします。
これで意見交換を終わり、司会を山梨市観光課の網野さんにバトンタッチし、閉会行事に移行しました。宮原さんからお礼のあいさつをいただき、内藤さんから諸連絡をしていただいてフォーラムを無事終了させました・・・・おっと、その前に、ちょっとしたサプライズとして今春、大学を退官される高槻先生に芳賀さんから花束を渡してもらいました。高槻先生にはずっと乙女高原に関わっていただきたいと思っていますが,節目の記念と今までの参画への感謝です。片付け後、毎回好例となっているゲストを囲んでの茶話会を行いました。大勢が残って,手作りの品々に舌鼓を打ちながら、おおいに盛り上がって情報交換しました。
会場の後ろのほうには,ファンクラブの展示スペースと高槻先生のご著書のコーナーを作りました。お弁当を食べ終わると,受付です。受付はロビーで行いました。
午後1時,市観光課の網野さんの司会でフォーラムがスタートしました。望月市長さんが主催者を代表してあいさつしてくださいました。
それに続いて,スクリーンに写真を映し出しながら三枝さんが今年度の活動報告をていねいにしてくださいました。いよいよここからがフォーラムの中心部になります。第1部では昔の乙女高原の様子をみんなで共有し,第2部で今の乙女高原について高槻先生らの研究の結果見えてきたことについてのお話を聞き,第3部ではこれからの乙女高原のあり方について議論しました。
【第1部】昔の乙女高原
まず,植原が10年前と今の,同じ時期(夏。だいたい8月初旬)に同じ場所を撮った写真を比べながら紹介しました。「今」はただの草原のように見えますが,「10年前」はそれこそたくさんの花が咲いていたことがわかります。それから,もっと昔の写真,20年前,30年前の写真をお見せしました。「1週間違うと草原の色が違って見えた」というのが決して誇張でないことがわかります。これらの写真をきっかけに,昔の乙女高原の話をフロアから聞いてみました。
・写真を見ると,今はススキが旺盛になっていますが,何が原因なんですか?
・このころはずっと一面お花畑でしたね-。
・私が乙女高原に通い始めて11年。はじめの頃はこれほどまでではなかったですが,お花はたくさんありました。
・乙女高原は昔ものすごくお花がいっぱいでした。40年くらい前のことです。お花のすばらしいところでした。私は乙女高原のお花が大好きで,それを守りたくて,県の自然監視員をやっていました。ファンクラブを作り,遊歩道も作りました。このようになってしまった乙女高原が本当に悲しく,シカのやつは出て行って,人は中に入って踏み荒らさないで。乙女高原の遊歩道にロープをはったきっかけは,乙女高原を踏み荒らす人がいたからです。これを絶対に守っていきたいと思っています。
・スライドを見て,驚きました。どんな原因でこうなってしまったか知りたいわけですが,昔,乙女高原は地域に密着した草原でした。スキー場として認可をえたのが23ヘクタールですが,その当時はほんとうに「花の場」という印象があるわけです。
・60年くらい前はトロッコ道で馬を連れて奥千丈に行く途中,柳平までお父さんと一緒に行って,そこからお父さんが奥千丈から帰って来るまでに乙女高原に行ってました。そのときは,ここは馬の餌場だったんですよ。そのときは,花なんていっぱい咲いていて,踏んで踏んで踏み荒らしたほうなんですよ。ところが,大事にするようになってから,だんだん花が少なくなって,昔の面影がありません。あと,スキー場があった頃のほうがススキが生えなかったような気がするんです。気候の加減やシカとか関係あるんですかね。
【第2部】乙女高原のシカ問題を調べてわかったこと
小林さんによる高槻成紀さんの紹介の後,いよいよ高槻さんのお話が始まりました。
(※録音を元に,読みやすいように若干言い回しを変えています。したがって,文責は植原にあります)
●4年前にお話したこと
ここ4年くらいシーズンになりますと,毎月乙女高原へ行って,いろんな調査をしてきました。今日は,これまでにわかったことをご紹介したいと思います。2011年に一度お招きいただいて,お話をしました。そのときのお話を振り返ってみたいと思います。私はシカと植物の関係を調べてきたので,その観点から乙女高原がどう見えるかというお話をしました。日本は雨が多くて,夏は暑くなる環境ですから,短い時間で草原的な環境が森林的な環境に変化するんですね。世界のどこでもこうなるわけではなく,日本はこの植生遷移が早く進む国だということです。
農地というのは森を伐採して利用しているわけですから,植生遷移を止めていることになり,これが人間の活動であり,遷移のなすがまま移っていってくださいというのが自然保護の活動ということになります。乙女高原の草原の保護というのは,毎年11月に草刈りをしているのですから,普通の自然保護と違うことをしていることになります。草を刈って林にならなくしている。ところが,シカも草を食っている。人間と同じことをやっているわけです。乙女高原で今行われていることは植物が遷移していくことを止めている,つまり,普通の自然保護とは違うことをしているというふうに認識しなければなりません。
それから,よくある「アヤメを守ろう」といったことではなくて,群落全体の組み合わせを守ろうとしてきたということも意識する必要があります。そのときに,日本の生態系のメンバーの一つであるシカがいることを異物として排除することがどういう意味を持っているのか考えて,対応しないといけないです。とても難しい問題だと思います。では,どんな自然を守ることが乙女高原の自然をいい状態に保つことになるのか,これはみんなでじっくり考えないといけないですね・・・というのが2011年の乙女高原フォーラムでお話したことです。
●乙女高原で調べようと思ったこと
その年の夏から学生と一緒に乙女高原に通うようになりました。そのとき,自分自身に問題設定したわけです。
まず,本当にシカがいるのか,その確認をしました。そして,シカたちが何を食べているのかを知りたいと思いました。それから,それより2年ほど前にシカ柵を作っておられる。これはどんな効果を持っているのだろうか。柵によってシカのいなくなる状況を作っているわけですから,シカがいなくなれば植物たちはどんな反応をするのか,これは調べられるだろうと思いました。で,現実にわかってきたことは,ある植物は柵の中で増え,別の植物は減る,反対に柵の外でもある植物は増え,ある植物は減っている,これは何か理由があるはずで,それを知りたいと思いました。
それから,私は昭和24年生まれで今年大学を退官するのですが,これまで50年近く生き物の研究をしてきて,つくづく思うことは,生き物はつながって生きているということなんです。その代表的なことは「花に虫が来る」ということです。それによって虫は蜜を得て,花は花粉を伝えてもらう,そういうことが起きている。そういう観点で乙女高原を見てみたいと思いました。乙女高原に関わってこられた国武さん(注:マルハナバチ調べ隊の元祖隊長)は,ちょうどこのテーマで学位論文を書かれたので,ちょうどいいタイミングだったなと思いました。
●高橋君の研究「シカは本当にいるのか」「シカは何を食べているのか」
最初の年は,地元出身の高橋くんが卒論でシカのことを調べてくれました。まず,自動カメラを設置して,本当にシカがいるかどうかを確認しました。カメラにはちゃんと写っていました。出てくるルートも決まっていました。
そして,一定面積をとって,糞がどれくらいあるかを調べました。糞からは,そこそこの密度でシカがいることがわかりました。シカの糞を大事そうに持って帰って,処理をして,顕微鏡で覗くと中身がわかるんですね。植物からも植物片の標本を作っておきます。植物の表面の様子というのは植物の種類ごとに違っているので,糞の中身と植物片を見比べることによって識別できます。特にササは特徴的な形をしているので,よくわかります。これを高橋君に調べてもらいました。2011年の5月から翌年の4月まで調べました。7月と8月はどういうわけか糞が見つかりませんでした。むきになって探したんですが,ないんです。それで,2012年にリベンジして,ようやく見つけました。
糞の中のササの含有量は11月から急に増えて6割ぐらいになって,また,少なくなっていくという傾向を示しました➊。双子葉植物の割合は夏は1割から2割くらいあるのですが,冬だと枯れてしまいますから,冬は少なくなっています。ススキは量としてはたいしたことないです。ススキは消化率がいいので,実際はもっとたくさん食べているかもしれませんが。じつは,太平洋岸の東北地方から関東にかけての他の場所で調べると,夏にもっとササを食べるんですね。乙女高原ではわりと食べていません。それは,ここに草原があるからだと思っています。草原に出てくるシカたちは,冬はまわりの森の中に入って,ササを食べています。森の中のササを刈り取って持ち帰り,何本のササの中で何本食べられているかを調べると,食べられてないです➋。10月に少し,11月に10%くらいしか食べられてなくて,少ないなあと思っていたのですが,冬越しをして4月に残っているササ,つまり前年のササは50から60%と,かなり食われています。ササはあれだけ森の中に広がっていますから,50%つまり半分食べるというとことは,大変なことです。冬に確かに食べているということがわかりました。ということで,乙女高原には確かにシカがいて,夏には草本類を,冬にはササをおもに食べているということがわかりました。
●高橋君の研究「シカ柵内外の植物の高さの違い」
高橋君にもう一つ調べてもらったことは,彼は植物の名前が全然分からなかったので,草の名前をいくつか教え,テープを付けて,毎月,高さを計ってもらいました。柵の内外で20本ずつです。イタドリ,カラマツソウ,クガイソウなどは最初(6月)から高さが違っていて,中には倍も違うのがありました。ただし,ススキとヨツバヒヨドリは柵の内外で高さが変わらなかったです。次の年に追加的に調べましたが,やはりヨツバヒヨドリは高さが違っていなかったです。じつはヒヨドリバナ類は特殊な臭いがするみたいで,シカは嫌っていて,食べないです。でも,ススキは食べます。食べられたり食べられなかったり,同じ食べられても反応が植物によって違うということがわかってきました。
植物の量を調べてみました。全部を刈り取るわけにはいかないので,植物が被っている面積と高さからバイオマス指数を出してみると,これはちょっと意外な感じがするんですが,柵の中のほうが少なかったです➌。場所によってバラつきが大きいですが,少なくとも「柵の外はシカに食べられているからといって,必ずしも草の量は少なくはない」という結果です。つまり,植物の量は柵を作ったからといって増えたわけではないということです。私が興味を持つのはその内訳です。調べてみると,柵内のバイオマスの6~7割を占めているのは,大型の虫媒花,つまり,きれいな花を咲かせて虫にきてもらっている花たちでした。柵の外では数パーセントしかありません。一方,柵の外は9割近くがススキに代表されるイネ科植物でした。このように柵の中と外では,その内訳に大きな違いが表れていました。代表選手は,柵の中は大型虫媒花,虫で受粉されるきれいな花を咲かせる植物たち,柵の外はススキに代表されるイネ科植物に置き換わっていたというわけです。で,だれでも思うわけです。なんでこんな違いが起こるのか?
さきほど調べたデータを一番大きい植物から2番目,3番目…と順番に並べてみました➍。すると,柵の中のグラフは少しずつ減っていて,1番と10番とでは高さがさほど変わりません。ところが,柵の外は1番がどーんとあって,ぐんと下がって2番以降が続いています。外の1番はススキです。ススキが一人勝ちしている状況です。なぜ,こんなことが起こるんでしょうか?
※ここで,話が脱線。モンゴルの草原の植物と乙女高原の植物が,どれくらい似ているかを写真で紹介してくださいました。遠く離れたモンゴルと乙女高原ですが,まるで姉妹のようだと思いました。大昔,大陸と日本は陸つながりになっていて(氷河期),そのときに大陸の植物たちが日本に渡ってきたんだなあと思ったそうです。
●刈り取り実験
「なぜ,柵の内外である植物は増え,ある植物は減るんだろうか」それを確かめるために,刈り取り実験を始めたわけです。2013年の6月16日に調査をしました。記録を取ったり,印を付けたりした後,宮原さんに機械でギューンと刈っていただきました。機械でやるとあっと言う間ですね。6月に刈ったのに,9月にはかなり回復しています。恐ろしい植物ですね,ススキは。刈り取られても平気です。
合わせて,こんな実験もしました。6月,草が少し伸びてきた段階で,名前を調べて,印を付けて,地上10センチくらいのところで,ハサミでちょん切りました。夏になって,それを調べます。6月に印を付けたときには赤い色のテープなのでとても目立っているのですが,夏になると本当に見つけにくくなります。まわりが生い茂ってしまうからです。探して観察すると,枯れて腐ってしまう,かろうじて生きてはいるけどほとんど瀕死状態,切られても葉っぱを盛り返しているなど,種類によって反応が違うことがわかりました。6月に20本ずつに印を付けました。これがスタートです。8月の生存率を調べてみると,ススキとクガイソウは20本全部が生きていました➎。ヨツバヒヨドリ,イタドリ,ヤマハギ,キンバイソウは半減,マルバダケブキ,タムラソウ,シシウド,ワレモコウは全滅でした。次に,生き延びていたやつの高さを調べてみました➏。ススキとヤマハギは高さは変わりませんでした。ヤマハギは低木で枝をたくさん出し,わきからも芽を出すので,もともと刈り取りに強い植物です。しかし,クガイソウ,イタドリ,ヨツバヒヨドリは全部低くなっていました。生き延びてはいるけれど,主軸が切られて,わきから出るわけですから,小型化してしまうわけです。まとめると,ススキは生存率も回復力もありますが,他にこの2つの力を併せ持つ植物はなく,ススキが一人勝ちをしているわけです。
シカはススキも食べるし,ほかの大型草本も食べるわけですが,それに対する反応の仕方が植物によって違うわけです。ススキのように,ストローのような丸い筒状の茎を持っていて,内側からどんどん葉を出すという構造を持っているイネ科植物は節の部分に生長点を持っているので,生長点の上を切られても平気なんですけど,普通の草本は茎の先端に生長点がありますから,これを切られるとオジャンなわけです。元気がいい植物は,その下に不定芽を持っていて,そこから芽を出せるものもいるのですが,出せないものが多いんですね。
●加古さんの研究「花と虫のリンク」
次の年,加古さんという学生が花に来る昆虫の記録を取りました。花と虫のリンク=つながりを調べたわけです。林と草原とでは,花の咲き方やそこに来る昆虫にどんな違いがあるのかを調べました。ルートを決めて,毎月2回,虫が花に止まっていたらその記録を取るということを続けました。草原と林では,花の数がつねに草原のほうが多くて,特に夏から秋にかけては数倍の違いがありました➐。また,訪花昆虫の数は,花の数ほどの違いはなかったけれど,草原の方が多く,差が一番大きかった秋には4倍になっていました。「林の花と虫のリンク」密度と「草原の花と虫のリンク」密度を比べると,草原のリンクの密度のほうが高かったです。とはいえ,草原には草原にしかない,林には林にしかない「花と虫のリンク」もあるので,林も草原も両方大切だと思われます。
高橋君はシカ柵内外で植物の背丈を比べ,シカ柵内の植物の背が高くなることをつきとめていたので,加古さんは,花の数をシカ柵内外で比べてみました。花の数を調べるというのは相当大変なことなんですけど,その結果,柵の外は平均すると1平米あたり3個しかなかったのに,柵の中だと300を超える花が咲いていて,100倍も違うことがわかりました。まとめますと,シカがいろいろな植物を食べますが,ススキだけは大丈夫。他のきれいな花を咲かせる植物は全滅したり半減したり小型化するので花が付かなくなってしまいます。おそらく昔は「柵の中」と同じ,今は「柵の外」と同じ状況が起きていると考えていいと思います。
加古さんは「花にこれだけの違いがあるんだから,昆虫に影響がないはずはない。それを後輩に調べてもらいたい」といって卒業していきました。バトンを受け取ったのが,今3年生の大竹さんです。加古さんは歩きながら「花と虫のリンク」を記録していったんですが,大竹さんは花の前に座って虫が来るのを待ち,記録するという方法で調査しています。労力のかかる仕事ですが,それを柵の外と中で行っています。そのエッセンスを紹介しますと,6月上旬から調査を始めたのですが,6月上旬だけは柵の外のほうが多かったです。キンポウゲの花に虫が来ていました。すぐに逆転され,特に9月上旬には加古さんの調べたのより数倍の開きが観察されました。大事なことは,柵の中では,その月ごとに花が次々に咲いて,そこに虫が来ている,つまり,花が「咲きつないでいる」という感じなんですが,柵の外だと,春にミツバツチグリとキンポウゲがちょっとあって,夏にヨツバヒヨドリが咲きますが,後は断絶するという感じになっています。これは,次回のフォーラムで紹介してもらいますけれど,そういったデータがとれています。
●まとめ…私自身と3人の学生がやってきたこと
・シカは夏はイネ科,冬はミヤコザサを食べている。
・シカにとって食物として重要でないが,さまざまな草も食べている。
・シカが食べると多くの双子葉草本は枯れてしまうか,生き延びても背が低くなる。
・ススキは食べられても平気。ススキにとってむしろ怖いのは,刈り取りがなくなって,他の植物が入ってくることだろう。ススキは直射日光があたらないとすぐにだめになるので,草を刈ってひなたを作るのは好都合。皆さんはシカとともにススキの繁栄を手伝っているとも言える。
・虫媒花が減ってススキが増えたことはまちがいないだろう。
・植物が変化するとそれを利用する昆虫も変化する。
・ヨツバヒヨドリ,ハンゴンソウ,マルバダケブキは減らない(増える?)。これらの植物にマルハナバチがいっているので,全部の植物がなくなって,マルハナバチが減っているわけではない。ただ,特定の植物が生き残ると,それを利用できる昆虫からいいけど,それを利用できない虫が淘汰されてしまう。
私がずっと調査している宮城県の金華山は,乙女高原の10倍くらいの密度でシカがいます。私が学生の時分には草丈もかなりあって歩くのが大変でしたが,30年ほどの間にシカが増えて,芝生に変わってしまいました。日本庭園でもゴルフコースでもありません。シカが毎日植物を食べた結果,刈り取りに強いシバが残ってしまいました➑。むしろ,シバはススキ以上に刈り取ってもらわないと生きられないのです。芝生にところどころ,植え木のような盆栽のような木がありますが,メギという木で,トゲがあります。トゲが痛いので,シカはつまみ食いはするんですけど,そんなには食べません。乙女高原がこうなったら嫌ですよね。でも,放っておいたら,こうなる可能性はあるんですよ。ススキが減るほどのシカの密度というのもあるんです。
シカの密度とそれに対応する植物群落というのはいろいろなところで見ていますが,たとえば伊豆半島なんていうのはこれに近いです。林の下には何もありません。アセビという有毒植物だけが残っています。櫛形もそうだし,南アルプスも危ないです。山梨県,結構危ないです。乙女高原だって,楽観はできません。
乙女高原はどうあるべきかということについては,私が調べてここまでわかったんですが,「こうしたらいいですよ」というのとはちょっと違います。それは地元の人たちで答えを出すべきです。ただ,「どうすれば,どうなるか」「このままだとどうなるか」という発言はできます。
私たちは自然の中に入り,自分の目で自然を観察しているわけですが,乙女高原で何がありがたいかというと,地元の人が一緒に研究のサポートもしてくれたり,いろいろな活動に参加させてもらったりしていることです。とてもいい経験をさせてもらいました。非常に熱心なファンクラブの人,それにプラスですね,草刈りの時に200人も市民が集まって,ボランティア活動をしている・・・そういう意味でもこの草原は歴史的産物だと私は思います。活動がいろいろと形を変え,農家の草刈り場から馬草場という話もありました。それがスキー場になって,自然観察,環境保全の場になってときていますが,植物たちは自分の性質を変えていません。人のかかわり・動物のかかわりによって反応していく。ですから,どういう状態の自然がいいかをよく考えて管理していってください。手つかずの屋久島や知床や白神の自然とは違うんだ・・・それが今日,私がお伝えしたかったことです。今後ともよろしくお願いします。
【第3部】乙女高原にこうなってもらいたい
まず、植原がスライドを使いながら,2010年に設置したシカ柵の、その後の様子を説明しました。2014年になると、シカ柵の中は7月にアヤメが咲き,8月はオミナエシもたくさん咲き、9月はシラヤマギクがいっぱいでした。そして、8月くらいからシカ柵の外の草丈のほうが中より高くなっていました。外はススキが優占しているからです。シカ柵の効果がわかったので,乙女高原ファンクラブは、乙女高原を大きく囲むシカ柵を設置することを提案しています。現在,巨大なシカ柵が設置されているのは,県内では櫛形山と大蔵高丸です。大きなシカ柵なので,ドアを開けて、中に入らなければなりません。なんか不自然ですね。ですが、そうでもしないとシカの影響を少なくすることはできません。そんな説明をした後、全体で意見交換をしていきました。(番号は意見の順です)
●1.甘利山ではいつも乙女高原の活動を参考にさせていただいています。甘利山はまだ柵の外のほうがススキが高いという状態ではありません。柵の外で植物がシカに食べられてはいますが、皆無というわけではありません。ミヤコザサもあり,トリカブトも食べられながらも咲いています。花の種類は昔と変わらずありますが,数が少なくなりました。オミナエシもマツムシソウも少なくなりました。甘利山倶楽部では自分たちで小さな柵を作ってきましたが,メンテナンスのたいへんさを考えると,行政にお願いして,大きくて,丈夫な柵を作るしかないなと考えています。
●2.たいへんなことになっています。人間の力でなんとかなるのかなあと思っています。
●3.今までの自然保護って,「自然」とは付きますが,開発問題に対して反対する人がいたなど、基本的には人対人,人間社会の中での問題でした。おそらく,シカ問題というのは、日本人が初めて直面する対野生動物の自然保護問題だと思います。しかも、その野生動物というのは、日本の生態系の大切な一員であるシカです。シカを悪者にしていいのか?というジレンマがあります。植物の立場からみればシカは悪者かもしれないけど、シカの立場でも考えなければならないと思います。
●4.シカの問題は確かに大きなテーマで,シカ柵を作るしかありません。でも、シカを排除したら、本当に植物が回復するのか? シカ以外に植物を減少させている原因はないのか? というのも,シカ柵の中でもヤナギランが見事に咲かないのです。雨の問題、気候の問題、湿度の問題などもあると思います。
●5.乙女高原でシカ柵の大きいのを一度は作ってみて、そして、草を刈るのも、極端な言い方をすれば、1回はやめてみるとか、なんか大きな実験をしてみないと、目先の問題に振り回されちゃうような気がします。
●6.…そういう意味では,乙女高原は大きな教室かもしれません。人が自然とどのように関わっていけばいいのかを、いろいろ試行錯誤してみる場。しかも、ここは県有林で、私たちみんなの財産であり、それを県と市と市民団体である乙女高原ファンクラブが3者で守っているという場ですから、まさに自然保護の教室としての価値があるところかもしれないです。
●7.シカの糞分析に興味を持ちました。私たちも甘利山で調べています。シカの冬の食べ物について教えてください。甘利山では雪の深いときには木の皮を食べているようです。昨年は大雪の後だったためかお花がよく咲きました。大雪によって植物が守られたということがあるのかなあと思いました。
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●8.高槻さん 甘利山には行ったことはありませんが、だいたい、東北から関東にかけての太平洋側では冬,シカはミヤコザサを食べています。なぜミヤコザサが重要な餌植物になるかという話をしようとすると1時間くらいかかるんですが、それなりの条件を備えているわけです。太平洋側は一般的に雪が少ないので、植物が越冬するのにとても危険な地域なんです。冷たくて,乾いた気候ですから。だから、常緑の植物がほとんどないわけです。冬になるとミヤコザサはほとんど唯一の常緑の植物です。
乙女高原のシカはそんなに樹皮を食べていません。ただ,10年前くらいに盛んに樹皮を食べていた時期があったようで、表面が巻き込んだような状況があり、一部枯れているところもあります。大雪の冬があって、そのときに本当に食べ物がなくなって、食べたんだと思います。樹皮を食べるというのは,シカにとってかなり危険な状態です。日光のように雪が深くていられなくなると,雪の少ない場所に移動してきます。すると,そこは非常に高密度になってしまい,そのときに樹皮はぎが起こります。金華山はシカの密度がとても高いところですが,雪が少ないので,樹皮はぎは起こらないです。樹皮には栄養はほとんどありません。樹皮を食べているんじゃなくて,樹皮の内側の形成層に「あまかわ」という部分があって,そこを食べています。枯れ葉も食べるし,木の枝も食べるし,そういう栄養のないものも食べざるをえなくなります。乙女高原の森にはササはあるし、大きな木もありますが,低木類がほとんどないです。これはもう、この20年くらいかけて、シカが一掃してしまったんですね。まだシカが入ったばかりのころは、ノリウツギやコマユミといった低木類を食べるんです。ところが、早川なんか林の下に低木どころか何もなくて、土砂崩れまで起きているところがありました。ササを喰い尽くして、食べるものがなくなると、ほんとうに危ないです。シカの食害以外の原因があるのかということについては、確かにその可能性はありますが,わかりません。ゲリラ豪雨は確かにありますが,それが直接原因になっているという説明はつかないと思います。
大きなシカ柵を作っても草刈りをしますか? 自然が好きな人って自由に山を歩きたいという感じがあるわけです。だけど、ゲートを開けてお邪魔しまーすというのであれば、もうそれは自然観察とは言えないのではないかと思えます。また、シカだけでなく、キツネやウサギやいろいろな動物も排除するわけで、それでいいのかなと思います。きれいな花が見られていいなあという人はいるでしょうが,では、だれのための自然(保護)なの? 自然って人間の所有物ではありませんよね。このように考えると,とりあえず緊急避難的に実験的に柵を作るのはいいけど、恒久的に柵を作るのが乙女高原全体を考えたときに本当に自然保護になるの? など、いろいろな課題があります。本当に今、難しい局面にいると思います。
●9.乙女高原に通うのは丸10年になります。初年度は花の多さにびっくりし、アサギマダラの乱舞に感動し、2年間で120種類くらいの植物の写真が撮れました。3年目になったら,オオバギボウシやアマドコロなど美味しい草をシカがつまんでいる痕跡をよく見ました。そうしたら,翌年からピシャッと出てこなくなりました。観察して特徴的なことはシートに書いて記録していたのですが、それをみると8年前に出てこなくなったことがわかりました。アヤメもしかり。やはりシカの影響であったことが、今日のお話ではっきり判りました。また,ススキは食べられても回復力があることも納得できました。ササの藪もすっきりしてしまった印象があります。ここ3年くらいではないでしょうか。
●10.シカについての質問です。シカの行動範囲はどれくらいあるのでしょうか? また,冬場、道路に凍結防止のエンカリ(塩化カリウム)をまきますが、それを動物が食べるという話がありますが、本当はどうなのでしょうか?
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●11.高槻さん シカに限らないんですが、野生動物というのは案外行動範囲が狭いです。知らない所に行くのを嫌がります。生まれた赤ちゃんがお母さんと一緒に動く範囲というのは、広くて直径300mくらいの範囲内です。かなり狭いです。ただ、オスの子どもはある年齢(3~4歳)になると、そこを離れます。今までシカが見られないところでシカが発見されて話題になるのは、必ず若いオスです。特に秋、交尾期に若いオスはフラフラします。メスのことばっかり考えているんですね。交通事故にも会ったりします。そのときは広くなります。
もう一つは,雪が降る地域だと、雪が降って、食べ物が見つけられなくなると、仕方なく下がって、そこで子どもが生まれるんだけれど、お母さんはまた登っていくけれど、子どもはそこに留まって、そこに定着していくということがあります。南向きの斜面などでは雪どけが早く,笹が出てきやすいので、そういう場所に集中して移動してくるということもあります。でも、また春になると散らばっていきます。
シカの密度がまだ低い場合は,雪が少ない年は,冬のはじめに餌を食べ尽くしてしまい、飢え死にしてしまうことがあります。というのも、冬の間に体重が30~40パーセントも減るんです。夏の間に栄養を取って、脂肪分をつけておいて,えさをあまり食べなくても冬を越していけるようにしているんです。だから、栄養のほとんどない枝を食べても枯れ葉を食べてもなんとか生きていけます。雪が多い冬だと、冬の始めのころにエサが食べられないんだけれど、脂肪分の蓄積があるので、枯れ葉などを食べながらやり過ごして,本当に栄養がなくなった頃、雪が解けるので、ササが食べられるようになります。本当によくできています。かえって、雪が少ない年は餓死するシカが多いんです。ちょっと意外かもしれませんけどね。
それから、有蹄類は慢性的な塩分不足で、岩塩なんか置いておくと集まってきます。ただ、私が調査している金華山はまわりが海で塩気があるのか,実験的に塩を置いておいても全然シカが来ないんです。ということで、沿岸部はそうでもないのですが、内陸部は塩不足になるので,日光なんかそうなのですが、塩を置いておいてシカを集めて、それで猟をしたという記録が残っています。塩化カリウムも塩化ナトリウム(食塩)も同じようなものなので,道路にまいておけば舐めにきます。それは栄養になる餌ではなく、ミネラル分ですね。ただ、それを舐めにシカが道路に来ますと,道路での滞在時間が長くなりますから、交通事故の危険性は高くなりますね。
●12.シカとの共存というのはとても難しい問題だと思います。山に住んでいるものは、もう個人で山仕事はできないですよ,シカに全部やられてしまって。昔はノウサギにやられるということはありました。でも、シカほどではありませんでした。ネットを張らないと植林してもダメですし、ネットは個人でできるようなことではありません。山梨県では戦後,公社造林をやったり、県が補助して造林をやってきたわけですが、そういうふうに広大な面積でないと柵を作ってくれないです。個人での植林はもう不可能です。こういうこともシカの害として考えていただきたい。
●13.私の住んでいる座間から相模原(神奈川県)あたりは江戸時代は南北10キロ、東西5キロくらいの馬草場(まぐさば)だったんです。ものすごく広い草原だったんです。その中で気になったのは夏草騒動と冬草騒動です。馬草場はどちらかというと夏刈ります。ところが、私たちは秋の,もうススキがたねを飛ばして、地下に栄養を蓄えて、もうススキには痛くもかゆくもない時期に刈っているわけです。冬草騒動というのは,馬草場を養生するために、協定で「この地区は冬刈らない」というようなことをやっているわけです。当時、その付近は江戸幕府の直轄領でしたから、江戸幕府に対して「相模原地区は協定違反している」といったことを訴えている文献が残っています。もう一度、刈る時期を検討したらいいと思います。ススキに我々が協力している感じがしてしょうがありません。
●14.去年の6月から乙女高原で、シカ柵内外で昆虫と植物の関係を調べている麻布大学の学生です。私が知っている乙女高原はススキ群落が広がる草原なのですが、今日は昔の乙女高原の様子が聞けるとても機会だったです。来年度も植物と昆虫の調査を続けて,今後の乙女高原の将来について考える情報としてデータを取らせていただきたいと思います。よろしくお願いします。
これで意見交換を終わり、司会を山梨市観光課の網野さんにバトンタッチし、閉会行事に移行しました。宮原さんからお礼のあいさつをいただき、内藤さんから諸連絡をしていただいてフォーラムを無事終了させました・・・・おっと、その前に、ちょっとしたサプライズとして今春、大学を退官される高槻先生に芳賀さんから花束を渡してもらいました。高槻先生にはずっと乙女高原に関わっていただきたいと思っていますが,節目の記念と今までの参画への感謝です。片付け後、毎回好例となっているゲストを囲んでの茶話会を行いました。大勢が残って,手作りの品々に舌鼓を打ちながら、おおいに盛り上がって情報交換しました。