わたしたちは、この純真さ、初心を忘れる、すべて慣れっこになり、
キリスト教が分かってしまいます。
「十字架でしょう、次は復活でしょう」。
「分かっているキリスト教」は分かっていないのです。
(「ペテロ書、ヨハネ書、ユダ書」蓮見和男著 新教出版社 )
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これは「主によって自分は救われているのだ」とい . . . 本文を読む
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