だから、祭壇の上に供え物をささげようとしているとき、
もし兄弟に恨まれていることをそこで思い出したなら、
供え物はそこに、祭壇の前に置いたままにして、出て行って
まずあなたの兄弟と仲直りしなさい。
(マタイによる福音書第5章 23・24節 )
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わたしは上記引用聖句を読んでごく自然に領聖(聖餐式)を
いただく時、当時一番わたしを恨んでいる者をゆるすお祈りを
してから領聖をいただいた。わたし自身もその者を恨んでいた。
ただただ主ご自身の御前でゆるしのお祈りを一生懸命してから
領聖をいただいた。このようにするのが、主の御体と御血に対する
ささやかな礼儀だと思った。
その者は亡くなったが、まだわたしの中にゆるせないことがあるので、
このゆるしのお祈りはしなければいけないと思っている。
そうでなければ、主ご自身のわたしたちに対するゆるしをいただく資格が
ないと思っている。
その者が死の床についていて臨終を迎える時もなんとかゆるし合いたいと
思っていろいろ言ったが、ついにわたしをゆるすことのないまま亡くなった。
しかし、主ご自身がその者の代わりにわたしをゆるしてくださった。
わたしのゆるしのお祈りはむだではではなかった思っている。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
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