主イエスを重大視している。
主に賭けている。
主を頼りとし、誇りとし、人生の関心の優先順位
第一においている。
もっと言えば、「主イエスを愛している」、
分かりやすく言えば、「主イエスが何よりも好きだ」
ということです。
そしてそれは、私たちが主イエスによってどんなに大切に
されているか、どんなに愛されているかということから来るのです。
(「しかし、勇気を出しなさい」福音の倫理的力 近藤勝彦著 教文館 )
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このとるに足りない小さなクリスチャンのわたしが何年も上記引用文のとおりに祈り求めさせていただいた結果、
ある日、主ご自身からこのようなとんでもない、そう、ある意味ではとんでもないみことばをいただいた。
「主であるわたしよりも、夫や子供たちを大切にしなさい」。
わたしはとてもびっくりしたが、よくよく考えてみた結果、「神への愛はそのまま夫や子供に対する愛だ」と魂の奥底から確信に至らしめられた。神に祈り、神を愛することが、夫や家族への愛をますます強めてくれる。まるで主以上に愛してしまうかのように。しかし家族への愛が強くあっても常に祈ることを忘れなければ、主への愛がすたれることはないのだ。主は常にわたしたちを愛してくださるのだから、家族が強く結び合わせて頂き、主への祈りを共同でなすことを怠らなければわたしたち家族は主にあって一つである。主に感謝。
主イエス・キリストの御名によって。アーメン。
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【言の葉(近藤勝彦):神への愛はひとつ】13・08・16
↓:神への愛
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