人がひとりでいることは良くない。
彼のために、ふさわしい助け手を造ろう。
(創世記第2章 18節 )
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上記引用の聖句からごくフツーのクリスチャンのわたしたちは結婚というものをとても大切にする。
人間がいちばん人間らしく生きられる人間の生活形態である。
もちろんわたしは独身の人たちをバカにするつもりはない。主より、だからと言って独身でいる人たちをバカにしたり差別したりしてはいけないよ、とみことばをいただいている。あのパウロも独身だった。
さて、「結婚」という人間のいちばん人間らしい生活形態である。わたしはフツーのクリスチャンとして主の御前で、ズバリ言わせていただくが、この人間の生活形態は「ひとりの男性とひとりの女性」の愛の関係である。もちろん愛の関係とひとことでズバリと言っても、そのふたりの愛をフツーのクリスチャンとしてお互いにそれぞれ主に祈り求めながら愛し合う関係である。これはフツーのクリスチャンならごくフツーだし、ごくごく当たれ前だし、ごくごく自然なことである。
わたしたちフツーのクリスチャンの夫婦はお互いに空気のような存在である。ケンカすることだってもちろんある。一日中仲睦まじくゴロリと横になってTVを見ていることもあるし、それぞれが選んだ本(キリスト教関係の本とは限らない、もちろん)をそれぞれに読んでいる時もある。ふたりで料理したりするのも大好きだし、ふたりで散歩したりするのも大好きである。
クリスチャン以外の夫婦関係と違うところは主の主王の王主イエス・キリストが基盤となっての夫婦関係であるということだけである。「結婚」は主の創造のみわざに等しいすばらしいものである。主はきっとご自分もおひとりでいる寂しさをよくご存じだから、すべての生命体にとって「必要」だとお考えになったのだと、フツーのクリスチャンは主張させていただく。
さてこのような記述の仕方が旧態依然の在り方であって、批判を免れないことも承知している。
男と女。これも神の創造の業である。これは否定できない。あらゆる生命体が神の意志によってこの地球を生き、増えてきたのは男と女の存在を無視しては語れないだろう。
しかし、人がひとりでいるのはよろしくないとの神の思いは、男と男、女と女が二人で生活をともにすることを否定したりはしないだろうと思う。
現代のように人口過剰の地球にあってはなおさらである。ホモセクシュアルのペアが養子を引き取り育てはぐくみ社会を維持するのを神は良しとされるはずだ。
もちろん養子を迎えるのが義務であるとは思わないが、あらゆる選択肢があってよいし、それは素晴らしいことだと、フツーのクリスチャンであるわたしは考えるのである。
神の祝福あれかあし。
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