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フツーのクリスチャンのわたしは結婚の相手こそ一番の隣人ではないのかという思想を主より与えられている。
結婚する前の2人は他人だが、ひとたび恋をし愛し合い結婚すれば他人同士などと言っては主ご自身の御前に罪だとさえ思っている。
一人の夫の妻であるわたしは全宇宙で一番わたしの夫を夫として愛している。それは以前からこのブログで書かせていただいているとおり、わたしたちはお互いに最も良き助け手であり理解者である。
「愛」は「理解すること、理解されること」であるというのが主よりわたしに与えられた思想である。
まず男女が出会い、恋をすると互いに互いのことが知りたくなる。つまりお互いにお互いを理解しあうことが始まる。そしてこの「愛」は主の愛だとフツーのクリスチャンのわたしは確信している。
そしてこの「愛」はどのように小さなものでも主の御前には全宇宙である。
このように考えることができると「人間ってまだまだ捨てたもんではないな」とこの「愛」することの少ない最も小さなクリスチャンのわたしでも、主が福音書の中でおっしゃった一粒のからし種の価値をもつのだとこの罪深いわたしの全身全霊が、主よりの希望で強められるのである。
わたしたちは「愛」の被造物である。
成長させていただくと空の鳥が来て、宿るほどの樹となる一粒のからし種である。
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