いつしか、それが私のすべてになって、それがなくなると
私自身がなくなってしまう。
これが「貪欲」の財産観ではないでしょうか。
財産や所有物が「生き甲斐」になり、やがて
「わたしのすべて」になる。
それは、「財産の宗教化」「財産の神格化」「財産の偶像化」
が起きているということです。
財産が神に取って変わってしまっているのです。
(「しかし、勇気を出しなさい」福音の倫理的力 近藤勝彦著 )
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上記引用文に反するようであるが、わたしは「お金」というものが「カミ」になってしまうのはある意味で「自然なこと」ではないかと思う。
わたしのような伝道者に言わせれば、何日も食べていない人にどうやって主のみ言葉を伝えることができるだろう。
主のみ言葉より先立つものは「お金」である。
主のみことばをいただくその基となるわたしにとって最も大切な本「聖書」だって「お金」がなければ買うことはできないのだから。
しかし、やはり神は神である。「お金」は「お金」である。
主のみ言葉を伝えるノートパソコンも「お金」がなければ買えないし、とても高価なものである。
しかし、しかし、だからと言ってやはり神は神である。「お金」は「お金」はである。
伝道者に言えることは「主のみこころにかなったお金の使い方」を祈り求めよう、ということだけである。
主イエス・キリストの御名によって。アーメン。
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