☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
聖書を読んでいると特に旧約聖書だが、動物をいとも簡単に
殺して神さまへの献げ物供え物にしている。
わたしはこのように書いてあるところは主イエスさまはどのように
考えながら見て育ったのかなと思わざるをえない。
わたしのような者でもあんなに動物を殺してよく平気でいられるなと
思うのである。一匹一匹どれほど苦しい悲しい思いをして献げ物になる
ために殺されるか。
主イエス・キリストのような方が何も感じないわけはないとわたしは思う。
現代の神学者でもこのような人はいる。
しかし、なかなかみなさん他者に理解してもらえないようである。
だから主イエス・キリストも動物のことはあまり話さなかったのだろうと
わたしは思っている。しかしあの主イエスさまのことである。
いろいろな神学者に書かせたり、言わせたりしていると思う。
同じ主に創造された人間と動物たちなのである。
もっと助け合っても良いと思うのだが。
しかしたいていの人間は動物は食べ物なのであり、だからたかが○×なのである。
たかが猫とか、たかが犬とか、たかが鳥でしかない。
わたしにはどうしてこんなに気楽に「たかが」と考えられるのかわからない。
少なくともわたしの理解者はまずわたしの娘のはな(猫)であるし、その次に
理解してくれているのがわたしの夫であり、この主にある3人の上に立って
いらっしゃるのが主イエス・キリストである。
同じ主に創造された者として人間と動物の未来がよりよいものであることを
主の御名によって祈らずにはいられない。
主イエス・キリストの御名によって。
アーメン。
☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★ ☆★☆★
↓:主にある3人
にほんブログ村